7-1 村娘の決闘

 今日の全体訓練は午前で終わり、午後は自主鍛錬となるので、私たちは軽い足取りで昼食をとりに行った。


 宿舎のランチは、食堂のおばさんたちが作ってくれる庶民的な料理なので、私には馴染みがあって嬉しい。舌が肥えているだろう他の名家出身の騎士たちも、最初の一口を食べた時からすっかりその味のファンになって、街のレストランへわざわざ行く人は少ない。

 ただ、クラリス様とマチルダさんは、王宮で食事をとっているので不在だ。王女という立場上仕方がないのだが、クラリス様は食堂のランチを食べられる私たちをものすごく羨ましがっていて、時々まかないをねだりに来てはマチルダさんに引きずり戻されている。


 今日のメニューは、東方の島国の家庭料理だという「ニクジャガ」にお米。鎖国政策でほぼ完全に諸外国との国交を断絶しているというかの島国から、どうやってレシピを盗んできたのか。

 キッチンでちゃきちゃき働くおばさんたちを横目に見て、彼女たちの底知れなさに心の中で慄いた。


 味の染みたじゃがいもと牛肉に舌鼓を打っていると、私がついていた大テーブルの向いに、白手袋を置いて座る人物がいた。訓練の後なのに真っ白な手袋を見て、よほど美意識の高い人なんだなと思い、何とは無しに顔を上げて相手を見る。


 プラチナブロンドの髪に碧眼、あまねく周囲を見下していそうな印象を与える高い身長。げっ。こいつ、パトリックとか言う嫌味な奴じゃなかったかな。

 さっさと食べ終えて立ち去ろうと箸を動かす手を速めたが、パトリックの方は何を考えているのか、ちらちらと私を見てくる。私がごちそうさまでした、と手を合わせて、立ち上がろうとした時に、彼が「ねえ」と声をかけてきた。


「キミ、この頃よく王宮に行ってるみたいだけど、何の用なの」


 親しくもない相手からそんなことを聞かれて、私は訝しんだ。


「あなたに教える義理はないでしょう」

「でも頻繁に行ってることは事実なんだろう。ボクでさえ目につくくらいなんだから」


 たしかに私は最近、師匠のもとを訪ねてよく王宮にお邪魔している。私はメデューサのその後を知りたくて訪ね、出不精な師匠はこれ幸いと、私に書類を届けさせたり使いっ走りにしているのだ。

 パトリックはなおも質問を投げてくる。


「基本的に、騎士の身分で許可もなく王宮へ上がることは禁じられている。それは知ってるかい?」

「そりゃ、当然知ってるよ」

「となると、王宮にキミを呼ぶ人物がいるということになるけれど……」


 パトリックはあからさまに疑わしげな目を向けてきた。上流社会と一切関わりがなさそうな私が王宮に呼ばれるというのを、不思議がる気持ちはよく分かる。しかし、彼に対しては、初対面の悪印象もあってつい身構えてしまう。


「なに? 平民の私が王宮に呼ばれちゃ悪い?」

「はあ? そんなことは言ってない。ただその……そう、キミは王宮の作法なんて知らなそうだから、何か粗相をやらかしたらボクたち紅騎士団全体の不名誉になってしまう。それが心配なんだよ」


 その内容にカチンときて、私はパトリックが、後半の言葉をまるで取ってつけたかのように言ったことに気付かなかった。


「お気遣いどうも! 心配しなくても、ちゃんとマナーは勉強しています。実地でね」

「だからそれがまずいんだって」

「大丈夫です。クラリス様たちも教えてくれるし」

「なんなの。贔屓自慢?」

「すぐそういう発想になるあなたの性格が悪いんじゃない?」


 私たちがどんどん険悪な雰囲気になっていくのを察知したのか、周囲の騎士たちが遠巻きにこちらを眺め始めた。パトリックはそれに構わず、


「多忙な上官方の手をそんなことで煩わせるなんて、失礼だと思わないのかい? ま、基本的に忙しいのは副団長だけで、それはほとんどクラリス王女殿下のせいだけどさ」

「なにを! それ……は、事実だけど……」


 悔しいことに言い返せない。パトリックは独り言のように呟いた。


「そう、クラリス殿下だって、もう少し王宮と上流社会の情勢を考えて動いてくれればいいのに。あんな婚約話……殿下はちょっと能天気すぎる」

「何ですって!」


 どうしてこの流れでクラリス様が引き合いに出されるんだ。私が王宮に出入りすることについての話じゃなかったか。すっかり頭にきた私は、もう会話を切り上げてしまおうと席を立った。そんな私に気付いて、パトリックはなぜか慌てた。


「ちょっと! 脱線しちゃったけど、言いたかったのは、ボクがキミについて行ってマナーを教えることもできるってことで……」

「余計なお世話です! じゃ、さよなら」

「あ、待って!」


 パトリックも立ち上がる。と、その時、テーブルに置いてあった白手袋が手で払われて、ひらひらと私の足元に落ちた。さすがにそれを踏んづけていくのは気が引けたので、手袋を拾い上げるとパトリックに投げた。


「ほら、落とし物!」


 勢い余ってその手袋は、パトリックの顔面に当たってしまった。周囲が、わっと驚きの声をあげてしんとした。


 周りの異様な空気に、私は少し不安になった。故郷の村だと、トンカチや鎌でさえ「忘れ物よ〜」などと言ってぶん投げてくるのが当たり前だったから、落ちた手袋を投げて当たっちゃうくらい、騒ぐほどのことでもないと思うんだけど……。


 白手袋を握りしめたパトリックは、深く息をついて「そうか、キミがそういうつもりなら、受けてたってやる」とぶつぶつ言い始めた。私が「え、なに……?」と困惑していると、キッと私を見たパトリックが叫んだ。


「ルイーゼ・スミス、キミの申し込みを受け入れる! 決闘だ!」


 わあっ、喧嘩だ喧嘩だと湧き上がる周りの騎士たち。理解が追いつかないで呆然とする私の肩を叩く者がいた。オリバーだ。


「おい、ルイーゼ。俺、ハネルの世話に行ってて、話の流れがよく分からないんだけど、決闘を起こすなんてお前もよほど腹が立ったんだな」

「大丈夫って、言うか……。け、決闘?」

「そうだよ。パトリックの白手袋、拾った上に顔に投げてたろ? 手袋が足元に落ちたのはアクシデントだろうが、それを拾うと決闘の合図になるんだ。その上、手袋で顔をはたくと、お前からも決闘申し込みをしたことになる」


 ええええ! そ、そんなの知らないんですけど! 騎士の作法にも無かったよ!


「……その顔、やっぱり知らなかったのか? 決闘のサインは慣習法というか、暗黙の了解みたいなところがあるから……」


 ここにいる人間は、ほとんどが騎士学校出か、武術の名家で修行した者たちだ。そういった環境で生まれた非公式ルールを、私はよく知らないのである……。

 こんな落とし穴があったとは。さっそくマナーの無知から面倒ごとを引き起こしてしまったのを見ると、パトリックの話にも一理あったようだ。今から決闘を取り下げようにも、周りが盛り上がり過ぎて言い出しづらい雰囲気になっている。


「決闘は食事の後、訓練場で行おう! オリバー、キミが立ち会い人だからね!」

「えっ、流れるように巻き込まれた」


 オリバーに一方的に言いつけると、席に座り直したパトリックは、もりもりと昼食を片付け始めた。私はなんだか脱力する。オリバーが戸惑いながら「頑張れよー」と応援してくれるのに、なんとか苦笑いを返した。

 実は今日も師匠から王宮に呼ばれてたんだけど……。まあ、勝つにしろ負けるにしろ、そんなに時間はかからないから、決闘が終わってから向かえばいいでしょう。






 ……そう思ってたんだけどね。


「キミ、ボクのことなめてんの?」


 使い慣れない剣を握って、パトリックと向かい合った途端に、低い声が飛んできた。

 訳が分からず目をぱちくりしていると、パトリックは私の手にある剣を指差して、


「もう持ち方からして全然ダメ。まるきり素人じゃん。だいたい、木こり娘のくせに、斧を担いで来ないなんてどういうことさ」

「おい、決闘は双方同じ武器でやるのが原則だろ。斧と剣だとリーチの違いもあるし」

「構わない。木こり娘、斧を持ってきて」

「ええ……」


 ギャラリーの先輩騎士たちも「そうだそうだー」「楽しい試合にしろよー」と好き勝手に野次を飛ばして来る。喧嘩騒ぎが大好きな人ばかりで、紅騎士団は大丈夫なのか……。

 そんな中で立会人のオリバーだけが私を気にかけてくれる。


「ルイーゼ、別に今からやめたっていいんだぞ? 騎士の決闘って、厳密に言えば仲間同士の戦いだから、規律違反になるし……」

「やけに心配してくれるけど、なに、パトリックってそんなに強いの?」

「強いというか、あいつの戦闘スタイルには若干問題があるというか……」


 煮え切らない返答をするオリバーに私は首を傾げた。

 でも、誤解とはいえ挑んだのは私なんだし、別に負けるのが癪という訳ではないが、作法云々にうるさいパトリックが決闘の決まりを崩してまで真剣勝負を望んでいるのだから、こちらも全力でいくのが礼儀だろう。私は師匠の呼び出しに遅れることを気にしながらも、斧を持って試合に戻った。


「ふふん。キミ、オリバーに勝ったんだってね? すごいじゃないか。彼と真面目に戦って倒したのならだけど」


 お互いに武器を構えた時に、私にしか聞こえないような小声でパトリックが話しかけてきた。私はぱちぱちと瞬きする。


「いや、あれは緊急事態だったから、反則技で倒させてもらったの」

「そう。ま、それで調子乗ってんなら、叩き潰してやろうと思ったけど」


 言い方は気に食わないが、パトリックはオリバーの実力をそれなりに認めているということか。


「ボクには紅騎士団に入るために、相応の修練を積んできた自負がある。オリバーだって長いこと努力してきたのを知っている。それをポッと出の木こりが追い抜かそうって言うなら、それなりの強さを見せてくれないとね」


 パトリックの目に好戦的な光がぎらっとちらついたような気がした。

 あれ? 嫌な予感……。

 直後に、彼が攻撃を仕掛けてきたので、試合は始まった。


 相手の剣を斧の柄で受ける。次の手も刃で受け流すと、彼は腰を落として足払いをかけてきた。それを飛んで避けつつ、上空から斧を振り下ろす。パトリックはひょいっとそれを避ける。

 セオリーとなる動きをちゃんとおさえていながら、パトリックの身のこなしは自然で軽やかだ。


 騎士の決闘ではさまざまな決着方法があるらしいが、今回の基準は、相手を傷つけずに攻撃不能にすること。つまり、武器を手放させるか、組み伏せるかしたら勝ち。


 最初はお互い様子見だ。実力差があり過ぎると、ここであっさり負けてしまう。まずまず互角に戦えているな。と、頭の中で分析した時に、急にパトリックが大きく動いた。私はぎょっとして、反射で防御の構えをする。


 ついに仕掛けにきたか!


 怒涛の攻撃の嵐。動きの鈍い斧に対して、素早い剣先が連続して襲いかかる。

 私は驚いた。上品ぶってるパトリックの、引っ掻き回すような苛烈な攻めの姿勢も意外だったが、なにより彼が、自分の守りについてまったく注意を払っていないことが信じられない。


 オリバーがひたすら堅実で隙のない戦闘をしたのに対し、パトリックは派手な攻撃を繰り出す代わりに、隙を見せまくっている。

 しかし、ただでさえ防戦気味になりやすい斧に、これはきつい。まさに攻撃は最大の防御といったやり方だ。


 隙を見て私は、パトリックの懐に潜り込み、力いっぱい斧を振る。鎧があるとはいえ、直撃すれば怪我をする。相手を傷つけないというルールの反則を覚悟でやってみた。

 果たして、パトリックは避けることもせず、斧が自分に当たるより前に剣を突き出してきた。大胆すぎる手だが正解で、私は斧を引っ込めて飛び退き、パトリックを見据えた。


「あっはっはっは!」


 彼の口元には、いつもの傲慢な笑みは消え失せ、頬は上気し、一見子供っぽくさえ見える笑顔が浮かんでいる。


「……やっぱり、戦うのってヤバいくらい楽しいね!」


 ヤバいのはお前だ!


 私は確信した。

 こいつ、戦闘狂の類いだ。


 紅騎士団の先輩たちも、戦いが好きなヤバい人が多いけれど、それはどちらかと言うと職業病のようなもので、危機に陥れば冷静に撤退の判断を下せる。それが熟練の騎士としての強さでもある。

 なのにパトリックは、騎士でなくても当然するはずの防御反応さえしない。


 首元を剣先がかすめる。えっ、今の危なかったよね? 相手を傷つけないのがルールだよね?

 焦りを感じ取られたのか、足払いをかけられて体勢を崩す。転ぶまでは行かなかったけれど、十分に隙を見せてしまった。その一瞬を目掛けて、パトリックの剣が迫ってくる。


 咄嗟に私は斧を突き出した。周囲が、おおっとどよめくのが分かった。斧が届くのが早いか、剣が届くのが早いか。でもこれでは、おそらく、私が負ける……!


「おーい、ルイーゼさん、あまり遅いから呼びに来たんだけど……えっ、何やってるの?!」


 緊迫した空気の中へ、気の抜ける声が飛び込んできた。


「え、師匠?」


 引きこもりの師匠が、わざわざ私を迎えに来るなんて。これが想定外な出来事その一。

 そして、その二は。


「兄上?!」


 パトリックがそう叫んで、攻撃の手を引いたことだ。そのまま私の斧が当たって、彼の剣はカランと音を鳴らして地面に落ちた。


 ……え? 勝った?

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