8 青年は見る

 俺は凄まじく緊張していた。


「おい新人ども! お前たちも騎士団に入って半年は経ったろ、いい加減新人とは呼べなくなるんだからな! 女王陛下の前に出るくらいでびびってどうする!」


 マチルダ副団長が喝を入れて回っているが、そんなこと言われても無理だ。周りの騎士たちも動きがガチガチで、見てみると、胆力のありそうなルイーゼでさえ強張った顔つきをしているし、パトリックはしきりに身だしなみを整えている。


 これから公卿会議が始まる。領主たちや有力官吏たち、学会の重鎮たちなど、セント=エルド大王国のあらゆる権力者が一堂に会するのだ。

 護衛の仕事をつかまつる俺たちが、何か少しでも粗相をしでかしたら、きっと風の前の塵に同じく、簡単に亡きものにされてしまうだろう。なんて恐ろしい。


 ここにクラリス団長がいれば「なに、多少の問題があっても、私がなんとかしてやるさ! 公卿会議なんか紅茶を飲んで居眠りして解散するだけの趣味サークルみたいなものだからな!」なんて不敬極まりないことを言って励ましてくれたに違いない。その自由奔放さで周囲を振り回すクラリス団長だが、こういう時には居てくれるだけで安心感がある。なのに、クラリス団長は王女として会議に出席しなければならないので、ここにはいない。


 そう、うすうすみんなは気付いている。今回の公卿会議は、女王陛下が王位を退き、次期王選抜を始めることを宣言するものだと。


 王女という立場上、クラリス団長は選抜レースから自主的に抜けることは許されない。占星術の才はともかくとして、知力体力、そして人柄の面では、クラリス団長は王になっても不思議ではないレベルだろう。俺はそう思うのだけれど、先輩たちは違うらしい。暗い顔でぼそぼそと囁き合っている。


「いや、あのクラリス団長だぞ。一国の王なんか務まる訳がない」

「その通りだ。ワインが飲める年になって、未だにピーマンが苦くて食べられないとか言ってる人だぞ」

「そのことで副団長に叱られて家出騒ぎを起こすまでがワンセットだし。あ、家出じゃなくて王宮出か」

「ていうか、脱走癖のある王って駄目でしょ」

「何より、団長が次期王になっちゃったら、護衛する私たちの方が国王より弱いっていう屈辱的なことになる」

「なんとしても阻止せねば」


 ……古株になればなるほど、面倒くささの度合いは高まるみたいだ。


 呆れながらやり取りを聞いていると、王宮の最も奥にあるアステロイド殿の前に着いた。巨大な天蓋には金細工の装飾がしてあり、国王が予言の儀式を行う時に使われる神聖な場所だ。会議が行われるのはその横、石造りの荘厳な建物で、俺たち騎士は内と外に分かれて護衛する。


 俺は内側の担当だったので、中に入った。配置についてしばらくすると、ロングテーブルの席に続々と客人がついていく。領主たちは各々の家紋を身につけているので、すぐにどこの家か分かる。


 どきどきして待っていると、客がほぼ全員集まった頃に、部屋の向こうの大扉が開かれた。

 女王陛下のおなりだ。


「公卿の皆様、ごきげんよう」


 そろそろ六十代に手が届きそうな初老の女性。枯れない青薔薇を飾ったグレイヘアーは、昔は美しい黒髪だったらしい。「凍れる黒百合」と異名をとった、冷徹で無慈悲な女王。瞳は君主の誇りである金色。

 真っ黒なドレスに身を包んだ姿は魔女のようだが、あれは亡き王配殿下を偲ぶ喪服なのだという。武に優れ、心優しい性格だったと伝えられるアレクサンダー殿下は弱小領主の家出身で、エリザベス陛下の実家であるド・バーグ一族からは縁を結ぶことに大反対を受けたと噂に聞いたことがある。意外にも、女王夫妻は恋愛結婚だったみたいだ。


 ゆったりと歩いてくる女王陛下について、クラリス団長が後ろから出てくる。騎士服を脱いだクラリス団長は、喪服の女王とは対照的に、真っ白な修道服のようなものを着ている。おそらく儀式服だろう。漆黒の髪がよく映えて、伏せられた銀の瞳も合わさり、普段のクラリス団長からは想像もできない清楚な雰囲気が醸し出されている。


 誰だあの人……と新人騎士たちは圧倒されたが、ちらりと顔を上げたクラリス団長は、部屋の隅に立っているマチルダ副団長を見つけると、ぱっと笑った。

 そして、壁際に並んでいる俺たちにも手を振ってくれたので、やっぱりいつものクラリス団長だ。クラリス団長はどちらかというと、見た目は女王陛下に、性格は亡き王配殿下に似ているとの噂だ。


 テーブルの上座についた女王陛下は、さっと客人たちを見回して口を開いた。


「ボライトン卿がいないようですが……」


 脇に控えていた執務官が駆け寄ってきて、「先ほど連絡を受けとりました。まもなく到着するようです」と伝えた。

 客人たちはざわつく。公卿会議に遅れて女王陛下を待たせながら、あまつさえ謝罪の言葉もないなど、あってはならないことだ。ボライトン卿は女王に喧嘩でも売るつもりなのだろうか。


 今回の会議は荒れそうだぞ、と一同が不吉な予感を抱く。女王陛下は「まあ、先に始めてしまいましょう」と関心もなさそうな調子で言った。


 最初のうちは、各領地の運営状況の確認や、官吏からの報告、学者の研究発表がなされる。

 占星術学者の代表として出席しているのはボライトン家の息子だ。彼本人は父親の遅刻には無関係とはいえ、身内の失態に肩身を狭くしているかと思ったら、特にそんな様子でもない。プライドの高そうな彼は、声高らかにメデューサの研究について発表していた。


「……このような訳で、メデューサの基本的な身体構造は大部分が人間と同じであることが判明しました。発見された未知の臓器と、邪眼の仕組みなど諸々の謎については、現在鋭意究明中です」

「報告ありがとう。一つ質問なのですが、ボライトン博士、あなたの家に全面的に任せてあるメデューサ研究は、もう数十年前から遅々として進んでいませんね。数ヶ月前に新鮮な死体が手に入ったというので、もう少し進展するかと思ったのですけれど」


 残念です、という女王陛下の呟きに、場が凍りつく。怒るでも責めるでもなく、ただ淡々と感想を述べる女王陛下は、それだけに遠慮がない。誰かに遠慮しなければいけない地位でもないことを、少しの言動で周囲に知らしめる。

 ボライトン博士は羞恥と憤りで顔を赤くし、「が、学問の研究は数ヶ月で何か分かるほど簡単なものではないのです!」と言った。


「だいたい、サンプルがたった一体では不十分です。もうあと一体、いや二体ほどあれば、研究は飛躍的に進歩すると思われるのですが……」


 そこでボライトン博士はわざとらしく、女王陛下の隣に座っているクラリス団長を見た。クラリス団長は気付かないフリをしているのか、もしくは本当に気付いていないのか、すました顔で紅茶を飲んでいた。クラリス団長が大好きなロイヤルミルクティーを飲んでいる時は、「余計な質問には答えません」というサインでもある。上流階級の人間なら誰でも持っている独自の合図だ。


 収監しているメデューサを殺してしまうかどうか、という問題は、上流社会の中では地雷的な扱いを受けていた。なおもメデューサの保護を唱えるクラリス団長に、反対する一派が生まれてきているのも理由の一つだ。


 一方で、直接メデューサと接する王宮の召使いたちは、多くがメデューサに同情的になっている。話の通じない異形の生物だと思っていたメデューサが、思考も感情もある存在だということが分かってきたからだ。

 また、聡い人たちは、メデューサたちが未だ生かされていることに何らかの意図が……つまり、メデューサに火薬の製法を教えた、人間側の黒幕を炙り出そうという意図があることをよく理解しているので、様子見をしているらしい。


 その辺りの事情が分かっていないのか、ボライトン博士やその周りの人々は、メデューサを研究のために殺し、実験動物にするという発想に抵抗がない。その認識のズレが、また新たな軋轢を呼んでいる。

 女王陛下はため息をつくと、


「それに先ほどは、メデューサの邪眼が星座の守護を受けていない者には効かないという発見が報告されていませんでした。皆が既に知っていることとはいえ、公的な発表ではきちんと全ての情報を伝えてください」

「邪眼が効かない? そんなこと、どうでもいいじゃないですか。我々上流階級の人間はほとんどが権能持ちで、王都に住む平民たちでさえ、星座の守護を受けている者が大半なんですよ? その守護さえ受けていないなんて、田舎の下賤な村人か羊飼いの話で……」

「口を慎みたまえ、ボライトン博士。女王陛下の御前であるぞ」


 他の客人から叱責されて、ボライトン博士は不満げにしながらも腰を下ろした。


 俺は向かいの壁に立っているパトリックとルイーゼの顔を見て、彼らの気持ちが察せることに苦笑した。パトリックは、おそらく「作法がなってない」とボライトン博士に呆れていて、守護のないルイーゼは自分のことを馬鹿にされたと思って博士を睨んでいる。いや、さっき博士が、クラリス団長をなじるような発言をしたから、そっちを怒っているのかも知れない。


 俺も羊飼いを引き合いに出されて、あまりいい気分ではない。しかし、いつまでも不機嫌でいる訳にはいかなかった。この発表の後で、女王陛下からのお言葉があったからだ。


「さて皆様、わたくしも長く国王としての公務に携わり、先日の『星の間』での儀式にて、その地位を下りて王冠を次世代へ明け渡すべし、との天啓を授かりました」


 真面目な官吏たちは姿勢を正し、居眠りをしていた領主も慌てて頭を上げる。

 ここで女王陛下の言う「天啓」は、そのままの意味だ。つまり、占星術を極めた予言者として宇宙、「天」からの「啓示」を賜ったということ。


「ここに、次期王選抜試験の開催を宣言します」


 国王の代替わり。

 それが告げられた途端、部屋にぶわっと満ちたのは、期待、緊張、焦燥、嫉妬、それらの感情を抑えようとする欺瞞の匂い。つまり、上流社会というものが、いつも纏っている香りである。

 ああ、俺、この雰囲気が苦手だ……。


 辟易している俺の前では、領主たちが誰を選抜に出そうかと思案しているみたいだった。まあまあ優秀で、外面が良くて、もちろん権能持ちで占星術の才能がある若者。頭が良くないとレースを勝ち上がれないが、ほどよく愚かだと、傀儡に仕立てやすいから……。


 となると、だいたい領主連中は自分の子供や、領地内の貴族学校の首席生などを選んでくるので、官吏たちが領主の目にはあぶれてしまった、優秀な平民を探して選抜に参加させる。これが次期王選抜試験の通常の流れ。


 しかし、今回は違った。


 いきなりバン! と無作法に扉が開かれて、皆がそちらを向く。


「いやいやいや! ずいぶん遅れてしまいましたな!」

 と陽気に言いながら入ってきたのは、大遅刻していたボライトン卿だ。


 テーブルの末席に座ったボライトン卿は、「して、会議はどこまで進みましたかな?」と誰にともなく聞いた。


「わたくしが国王の座を退き、次期王選抜試験を開くことを宣言するまでですよ、ボライトン卿」


 女王陛下が気怠げに答えた。


「しかし、あなたの領地の運営状況について、まだ報告を聞いていません。そちらを先にお願いしましょうか」

「そうですか! それはいいタイミングでした、私の方から、領地の報告に関しましても、次期王選抜に関しましても、重大なことをお伝えしようとしていたのです。その準備で遅れてしまったのですがね」


 何やらもったいぶっているボライトン卿に、少し眉を上げた女王陛下は「何のことです、言ってみなさい」と発表の許可を出した。


「とにもかくにも、女王陛下に会っていただきたい人物がいるのです。さあ、入っておいで」


 背後の扉に呼びかける。すると、重い扉を、衛兵の手も借りないで、のろのろと開けて入ってくる者がいた。

 部屋中が息を呑んだ。


 俺たちと同年代くらいの小柄な少女。ワンピースに袖の膨らんだシャツを着た彼女は、素朴な可愛らしさのある町娘のような印象だ。三つ編みにした金髪は少しくすんでいて派手さがない。不安げに視線を彷徨わせる瞳は、淡い紫色。


 公卿会議には場違いな人物であることは一目瞭然だったが、みんなが驚いていたのはそこじゃなかった。彼女がぎゅっと握っているのは、薔薇のつぼみで……目が醒めるような青色をしていた。


 嵐の前の静けさが、一瞬部屋に訪れた。ボライトン卿は得意げに言った。


「さあ、彼女を紹介しましょう。我がボライトン家の領地の住民である少女……

 ……アナ・ベーカー。『祝福の青薔薇人』です」


 俺たちは衝撃で言葉も出なかった。ここ数百年は現れていなかった、平民出身の青薔薇人。


 だから俺は、向かいの壁でルイーゼが、蒼白な顔で少女を見つめていることに気付かなかったのだった。

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