5-3 村娘の遭遇

「ルイーゼ、どうした? 急に叫んだりして」


 クラリス様が不思議そうにしながら、後ろからついてきた師匠をソファへ案内する。私は口をぱくぱくさせて師匠を見ていたが、師匠の方は視線を明後日の方向へやって目を逸らしている。


 さらに次の瞬間、新しい爆弾が投下された。


「こちらローレンス。占星術学者で、メデューサの尋問にも同席していたので、来てもらった。ついでに私のフィアンセでもある」

「ふぃ、フィアンセ?」

「婚約者ってことだ!」


 その時、私の頭の中でぷつんと何かが切れる音がした。

 私はなりふり構わず師匠の胸ぐらを掴み上げると、前後にぶんぶん揺らして叫んだ。


「しぃしょおお! ちょっと会ってない間になんてことになってんですかあ! しかもなんだフィアンセって! クラリス様の隣にしゃしゃってくるなんてどこの馬骨野郎だと思ってたら、お前か! お前か!」

「ぎゃーっ! 何すんのさ、弟子のくせに師匠を脳震盪で殺すつもり?!」


 揉み合いになった私たちを、マチルダさんとクラリス様が慌てて引き剥がす。けふけふと咳をして、師匠はクラリス様を睨んだ。


「こんなことになりそうだったから、来たくなかったんだよ……。斧をぶん回す新人騎士なんて、この子くらいしかいないもん」

「どういう事情か分からないが、なんだ、二人は知り合いなのか?」


 そう聞かれて、私は今更、まずいことをしたと思った。庶民の私が、名家の人間で学者の師匠と……ローレンスとかいう名前だったらしいが……どこで知り合ったかを説明しようとしたら、芋づる式に錬金術のこともバレてしまう。口籠もっていると、師匠は手をひらひらと振った。


「クラリスとマチルダは錬金術のこと知っているから、話したって大丈夫だよ」

「そうなんですか?」


 さらっと王女殿下を呼び捨てにしている師匠に、うなずくクラリス様たち。この御三方はどういう関係なんだ?


 とりあえず、クラリス様に質問されるまま、私がノクスウッドの森で師匠に師事していたことを明かした。話を聞き終えると、クラリス様は銀色の目を輝かせた。


「では君は、ローレンスの初弟子なんだな? いやはや、そんな子が部下になってくれたとは、とても嬉しい! 友人の秘蔵っ子とあれば、私の秘蔵っ子であると言っても過言ではない!」

「過言でしかないよ」

「う、嬉しいです……! あー、師匠の弟子になってよかった!」

「えっ、感謝するの今?」

「何の話をしてんだ」


 マチルダさんがパンパンと手を叩いて、「そんじゃ、今度は私たちのことだな」と説明を始めた。


「私が姫さんの世話係なのは知ってるだろ? で、ローレンスは姫さんの幼馴染、王宮での役割を端的に言い表すと『お友だち役』だ」

「お友だち……役?」

「そばで一緒に過ごす同年代の子供は、王女に強い影響を与えるものだからね。御しやすい無知な子供を当てがおうと、王宮の大人たちによる人間関係操作の標的にされちゃったのが、この僕というわけ」


 そう語る師匠は、お茶請けのバタークッキーをつまみながら、王宮の客間にいながら自分の家にいるみたいにくつろいでいる。

 なるほど……初対面の時には、たしかに、師匠はおどおどして気弱な人に見えた。でも、多少長く付き合ってみると、その神経がいかに図太いか分かってくる。周りの大人が幼い師匠を操り人形にしたかったのだとしたら、明らかな人選ミスとしか言いようがない。


「初めて会った頃のローレンスは可愛かったのになあ。みるみるうちに逞しくなって」

「いや、それはクラリスがいつもとんでもない悪戯に僕を巻き込んだせいだし……。夜中に街へ抜け出して、孤児院を襲う不届き者の退治とかさ。あれ、大捕物の最中よりも、後で女王陛下に呼び出された時の方が死を感じたよ……」


 あ、逆か。クラリス様のおかげで、師匠は引っ込み思案な割に図々しい性格になった、と……。


「だから、僕は小さい頃は王都で過ごし、学校に入ったあたりから領地に移って、今は王宮付きの学者になってるの」

「そういえば、なんで辺境の領主の子である師匠が、わざわざお友だち役に選ばれたんですか? 同い年の子供なら、王都にいるマチルダさんでも良かったのでは」

「バーカ。私みたいなちっこい家の子ども、しかも養子なんざ、世話係くらいが関の山なんだよ」


 上流階級の勢力図はよく知らないが、スティアート家は代々王宮に仕える、領地を持たない家らしく、立場的には領主階級より弱いみたいだ。

 クッキーにクリームを添えて頬張った師匠は「ま、領地に戻ってからも、クラリスがよく空を飛んで押しかけてきてたけど」と愚痴っぽく言った。クラリス様はきらりと笑って「私の辞書に物理的距離という文字はないからな!」と謎の宣言をした。マチルダさんがまとめて、


「そんなこんなで仲良く育った王女とその悪友は、つい先日、いきなり女王陛下から婚約の話を聞かされて唖然としたという次第だ」

「そうだ、婚約! どういうことですか!」


 思い出して、急に大きな声を出した私に、クラリス様と師匠は顔を見合わせて「さあ……」と曖昧な返事をする。


「正直、私たちも戸惑っているんだ。わざわざ異性を友人役にされたことの意図を考えると、こんな事態も予測しなかった訳ではないが、いかんせん急でな」

「なんでこのタイミングなのか分からないよね。とにかく、今回の話に、僕たち自身の意向はかけらも考慮されていない」


 人生の重大事に関わることなのに、政治的な面での疑問以外は結構ぼんやりした認識の二人に、私は困惑してしまう。


「あの、それよりもっと……。結婚を勝手に決められたのとか、お互いの好意の有無とか、気にするべきことがあるのでは……」

「うーん、結婚を親に決められるのは、覚悟していたことでもあるからな。純粋に婚約相手としては、気心が知れているローレンスなら私は構わない」

「僕も別にクラリスならいいや。自由に研究させてくれるし、錬金術にも理解があるし」


 すなわち、利害の一致。

 なに? これが上流社会の常識なの?


 カルチャーショックで意識が遠いところに飛びかけた私をマチルダさんが「しっかりしろ、たぶんお前さんの反応が一般的だ」と肩を叩いて現実に引き戻してくれた。

 マチルダさんは疲れた様子で嘆息した。


「お前らは興味のある分野以外に無頓着過ぎるんだよ……。でもま、見も知りもしない相手と婚約させられるくらいなら、これでよかったんじゃねえか?」


 マチルダさんに尋ねられて、クラリス様はちょっと困った顔をした。


「それはそうだが……。私には女王陛下の意向が分からない。できることなら、今はこの話を取り下げさせていただきたいのだが……」

「えっ」


 なんだ。結局、婚約はなし?

 私と同じように、師匠もよく理解できなかったらしい。「なあに、僕と結婚するのは嫌になった?」とむくれて見せる。


「とんでもない! 私は君が大好きさ、ローレンス」

「いや、そうはっきり言われるのも困るというか……ほらほらほら、この子はなんていう目をしてるの!」


 あら、私ったら、うっかり自分の師を視線で射殺してやろうとしちゃった。

 師匠は顔を引き攣らせて「もう、なんでよりによって紅騎士団に婚約の話が伝わっちゃったんだ……まあ、あの子が原因だと思うけど……」とぶつぶつ言った。どういうことだ?

 クラリス様は愉快そうに笑った。


「私はいい部下たちを持ったものだ! 話を聞きつけ、わざわざ王宮までお祝いに来てくれるとはな。夜の庭園が松明の光に照らされて輝いていた」

「……え? それって、焼き討ち……」

「言うな」


 マチルダさんが私の口をクッキーで塞いで黙らせ、ゆっくり言い聞かせる。


「誇り高き王都第一騎士団が、そんな暴動まがいのことをしでかすはずがない。庭園の三分の二が焼け焦げたのは、なんてことはない、ランタンの火が燃え移って起きた不運な事故だ」


 星の光を利用する王都のランタンは、火事の心配はないはずなんですけど……。

 地下にはメデューサの秘密基地があるし、騎士たちには燃やされるし、王宮の庭園は踏んだり蹴ったりだな。庭師さんたちは泣いていいと思う。


「ああやだ。紅騎士団の、特に古株の脳筋バカたちは、揃いも揃ってクラリスの信奉者なんだから」


 ぶるりと震えた師匠は、熱い紅茶で落ち着こうとカップを手に取った。クラリス様は「人聞きの悪いことを言うなよ」と肩をすくめて、私に振り向いた。


「ずいぶん脱線してしまったが、話を戻すぞ。君に例の、収監されているメデューサたちの尋問に立ち会って欲しいと言いたかったんだ。私とローレンスと一緒に」

「尋問……ですか?」


 命令とあれば当然ついて行くが、さすがに上手くやれるか自信がない。不安が伝わったのか、マチルダさんが補足して言った。


「安心しな、拷問したりはしない。姫さんはずっと地道な取調べを続けているんだ」

「えっ、何もしないんですか? 髪の毛の蛇を一本いっぽん切っていったり、日の光に弱いというメデューサの肌を炎天下に一日中晒したりとかは?」

「しないよ! 逆にどうして貴女はそんな猟奇的な発想をぽんぽん思い付けるの?!」


 弟子が怖い! と騒ぐ師匠をよそにして、クラリス様が説明した。


「君は何の星座の守護も受けていないため、メデューサの邪眼に操られなかったそうじゃないか。官吏や王宮にいる人間のほとんどは、守護を受けていて権能持ちだから、取調べに同行できないんだ。そのため、私と、時々特殊メガネをしたローレンスが混ざって取調べを続けていたのだが、こう着状態でな。現状を打破するために新しい人員が欲しい。どうだ、来てくれるか、ルイーゼ」


 そういうことならば。私がうなずいて、「お役に立てて嬉しいです」と言ったら、クラリス様はなぜかホッとした表情をした。


「いや、一応君は、メデューサに殺されかけた立場だろう。勇敢に戦ったとはいえ、その後で恐怖症になっていたりしたら、この仕事は酷かと思って」

「紅騎士団の騎士がそんなガラスのハートで勤まるかよ」


 行こうぜ、と席を立つマチルダさんに続いて、私たちは王宮の外れにある地下牢に向かった。マチルダさんは地下に通じる入り口で待機するらしい。私たちは牢への階段を降りて行った。

 道中、師匠がメデューサについていろいろと説明してくれた。三体は大人しく、メデューサが占星術の代わりに使うという「呪いの術」を封じる手錠をかけて捕まっているが、いっこうに口を開こうとしないのだという。


「メデューサと話し合いなんてできるんですか?」

「君はメデューサを言葉の通じない珍獣だとでも思っているのか」


 苦笑するクラリス様。ちょっと恥ずかしかったが、エルド王国の子供たちは「悪いことをすると、メデューサに攫われてしまうんだからね!」と叱られて育つほど、メデューサは得体の知れない脅威だと思われているし、あの擬態するメデューサと対峙してからは、尚更その認識が強くなっていた。


 クラリス様は私の気持ちに共感するようにうなずいてくれたが、階段の突き当たりで立ち止まると、こう言った。


「同じ言葉を使っている限り、意思疎通は可能だろう。メデューサが話に聞くような凶暴な種族か、自分の目で確かめなくては」


 そして、牢の部屋の扉が開けられた。

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