5-2 村娘の遭遇

 ここで少しだけ、話が昔に遡る……。


 騎士を目指して修行を始めて数年。戦斧の使い方が身に付いてくるにつれ、今度は騎士になるための勉強について私は頭を悩ませるようになった。


 そう、戦闘ができるようになっても、騎士として働くには入団試験の筆記試験も、当然突破しないといけない。うちの村には寺子屋があるから、そこで学んで読み書きそろばんは出来るのだけれど、騎士の勉強を教えてくれる人なんかいない。


 騎士の勉強……それは、いわゆる騎士道精神と呼ばれる心構えや礼儀作法、また、騎士として働く上で必要な地理と法律の理解。王国を守る者として、歴史と文化も知っておかなければならない。戦略的な思考能力も重要だし、いざという時のために応急手当てができるよう医学的な知識も問われる。

 そして、私にとって一番大きな壁……占星術。


 王都の中心部で働ける役職としては、騎士は占星術から最も離れた仕事だ。そもそも占星術自体は、星の力を借りて未来を占ったり、物におまじないをかけたりする技術で、フィジカルな分野である騎士職ではそんなに勉強する必要がない。これが官僚とかになると、占星術による吉凶の予知がある程度できないといけないから、やっぱり才能を持たない大多数の庶民には厳しい世界になる。

 だから騎士の占星術が一番易しいはず……なんだけど、どうやって勉強すればいいのか分からない。


 占星術とか一般庶民には無縁の話だから、教科書なんか売ってないんだよねえ。名家の人たちが知識を独占していると言ってもいい。誰かに頼んで、やすやすと教えてくれる学問でもないし……。

 そうして、どうすることもできずに悩んでいた、十四歳くらいの時だった。


 ノクスウッドという森に仕事に行った。その付近にある町には木こりがいなかったので、いつも森が荒れてきたら、うちの村に依頼がくるのだ。ノクスウッドは、うちの村を囲む魑魅魍魎みたいな森とは違って、おとぎ話に出てきそうな木漏れ日の降る素敵な場所で、私は好きだ。幼い時、父の仕事にきょうだいでついて行き、この森で遊んだことを覚えている。この辺りにはいかにも子供が好きそうな、無駄にぴかぴか光る石ころが転がっていて、ポケットにたくさん詰めて持ち帰ろうとすると怒られたっけ……。

 でも、今は仕事だから。私は愛用の斧を振りかざすと、気合を入れて、ひときわ背の高い木の幹に打ち込んだ。


「うわっ?!」


 その時、木の上から何かが悲鳴をあげて落ちてきた。私も驚いて飛び上がったが、地面に頭をぶつけて伸びているのが人間であることに気付き、慌てて駆け寄った。


「わあっ、大丈夫ですか! すみません、まさかこんな所の木に人が登っているとは思ってなくて。お怪我は?」

「あいてて……。ううん、大丈夫。心配かけてごめんね」


 立ち上がったその人の服装を見て、私は内心驚いた。ホロスコープの刺繍で縁取られた、深紫のローブは学者の証。それも、占星術学者だ。

 つまり、十中八九、彼は名家の出身。領主階級の人と会ったのは、これが初めてだ。


 相手は、白銀の長い髪を肩に流して立ち上がった。線が細く整った顔の、アクアマリンのような目をぱちぱちとさせて、私の手にある斧を見ると、私が木こりであることに気付いたらしい。

 そして、自身の服装が、どこからどう見ても一般人ではないことを思い出したのか、急に焦って「あ、あの、その」としどろもどろになった。


「えーっと、学者様ですよね? 研究か何かの一環ですか?」

「それは、えーと、うん、そう……」

「そうですか。私、これからここで仕事するんですが、お邪魔になるようでしたら退散しますけど」

「い、いや! もう作業は終わったので! 貴女は貴女の仕事を、どうぞ続けてください!」


 手を振りまわし、慌てた様子で話す彼が、何か隠し事をしているのか、ただ単にコミュニケーションが極端に下手な人なのか掴めない。


 どちらにせよ、私には関係のないことだ。私は彼の言葉に従って、仕事を再開した。

 でも、名家の人か。ちょっと興味はあった。将来のためにも、できることならコネクションを作っておきたくはあるんだよね……。あの人とは無理そうだけど。

 そんなことを考えながら、今日の分の仕事を終えて帰ろうとしたところで、ぐいっと服の裾を引っ張られてびっくりした。


「うわっ! さっきの人! まだ帰ってなかったんですか?」

「ご、ご、ごめん、迷っちゃったんだ、人里まで連れてって~!」


 それで、私の仕事が終わるまで、邪魔をしないよう待っていた訳だ。私よりも年上で背も高い相手が涙目で縋ってくるので、かなり戸惑いながらも断れず、一緒に帰路につくことになった。

 本当に引っ込み思案な人だったらしく、しばらく会話もないまま沈黙が続いた。気まずさに耐えられなくなって、私は彼に話しかけた。


「あの、森で迷ったってことは、この辺りに住んでいる人ではないんですか?」

「う、うん……。考えれば分かるでしょ、学者なんて王都か地方のアカデミーにしかいないんだから、こんな片田舎に住んでる訳ないじゃない」


 おや。おどおどしている割には、結構言ってくる人だ。


「そうなると、ますます不思議ですね。あなたはなぜノクスウッドの森に? この辺りにアカデミーなんかないし、わざわざご足労なさったんでしょう?」

「それは、だから、研究のために……」

「占星術学者が、星も見えない真っ昼間から?」


 相手は黙り込んでしまった。私も、少し詰めすぎてしまっただろうかと思って口を閉ざした。

 町のところまで出てきて「着きましたよ」と彼を振り返り、ここでお別れになるかと思った次の瞬間、彼が急に「ごめんなさい!」と叫んで頭を下げたので、私はすっかり混乱してしまった。


「えっ、何事ですか」

「僕がこの森に居たことを黙っておいてくれないかな? 口止め料は払うから! い、い、いくらがいいですか……?」

「待って待って、まるで私がカツアゲしてるみたいじゃないですか! 外聞き悪い!」


 なんとか相手をなだめて、他人に怪しまれないよう道の端へ連れ込んだ。彼が落ち着くのを待ち、ようやく話を聞き出した。


「実は……僕は、まあまあ地位もお金も権力もある領主階級の人間なんだけど……」

「でしょうね」


 そう言うと、彼は目をぱちぱちさせていたので、自分の世間知らずぶりに自覚がないらしい。私は話の続きを促した。


「ええと、だから僕の名前は安易に明かせないんだけど……。まだ学者の卵でしかない僕だけど、自分で言っちゃうと、かなり才能があって頭もいいのね。ぶっちゃけると天才なんだよね」

「本当に自分でよく言えますね……」

「事実だもの。で、そんな僕は当然、偉大な占星術学者となって、国のために働けって言われてるんだ。ところが、僕は占星術も得意だけど、もっと別のことに興味がある」

「それが、あの森にいた理由ですか?」


 相手はうなずいた。そして、ローブの裾から、きらきら光る石ころをいくつか取り出したので、私は瞬きした。幼い頃によく拾っていた、ノクスウッドの小石じゃないか。


「この石を採りに来たんだ。ここでは特殊な鉱石が採れるから。僕はね、本当は錬金術を学びたいんだよ」

「錬金術って……あんな迷信を?」


 片田舎に住む私でも聞いたことがある。隣国では主流な学問となっている錬金術。それは、鉱物が豊富な隣国の土地柄、生まれやすかった迷信に過ぎず、金属を溶かしてこねくり回すことに本来は何の意味もないという。セント=エルド大王国はそんな隣国を、迷信に踊らされる無知蒙昧な辺境民どもだと笑ってきた。

 彼は興奮して顔を真っ赤にしながら言った。


「それこそ、我らがエルド王国の悪い傲慢だよ! 隣国では逆に、占星術なんていう太古の伝説に縋り続ける老耄の国と、うちを馬鹿にしているんだ。つまり、どちらも自分たちの技術に驕り、どちらも相手の秘法を信じようとしないだけ。でも僕は、ちょうど隣国との境にある領地を治める家の出身だから知っているんだ。あっちの錬金術がどれだけ発達しているか」


 話していくうちにヒートアップしてきたのか、彼は手を組み合わせてため息をついた。


「ああ、いいなあ、勉強したいな! 占星術の学会なんて、古い因習で頭が凝り固まった重鎮どもが闊歩していて、全然自由に研究できないし! もうホント嫌になっちゃう。いっそ隣国へ亡命してしまおうかな」

「そ、それは早計すぎるのでは」

「もちろん、そんなことは知ってる。僕にも立場ってものがあるからね。言ってみただけだよ」


 さいですか。というか、あなた、さてはなかなかイイ性格してますね?

 夕暮れに染まる空を見上げた彼は、「すっかり話し込んじゃった」と言って、私に尋ねた。


「そういう訳で、僕がこの森でうろうろしていること、錬金術に興味があること、ついでに亡命したいとか口走ったことは秘密にしてね。代わりに、僕にできることなら、貴女のお願いを叶えてあげる。何がいい?」


 そう言われて、私は考える。いろいろ驚かされたけど、降って沸いたチャンスはものにしなければ。


「あなたは、これからもノクスウッドの森に来ますか?」

「うん。そのつもりだけど」

「でしたら、私に占星術の勉強を教えてください」


 そう言うと、彼は瞬きした。庶民が占星術など習ってどうするのかと疑問に思ったみたいだったが、私が騎士になりたい旨を話し、そのために教師につきたかったことを伝えると、彼は快く承諾してくれた。


「そういうことなら任せて。占星術だけじゃなく、武術以外の学問なら、なんでも大丈夫。教える方は初めてだけど頑張るよ! 貴女のお名前は?」

「ルイーゼ・スミスです。あなたは……って、名前を明かせないんでしたね。どうしよう」


 ちょっと悩んで、私は思いついた。


「じゃ、師匠って呼びます。あなたの弟子になる訳なので」

「いいね。貴女は初弟子で、僕は師匠か。ふふっ、よろしくね」


 私たちは握手をして、師弟の契りを交わした。




 こうして、私はたびたびノクスウッドの森で師匠に会い、占星術の授業を受けることになった。


 歴史や地理は、独学でもやっていてよく覚えていたし、数学は褒められるくらいには得意だったが、私は占星術への理解というかセンスが致命的にないらしく、師匠を何度か怒らせてしまった。しかし、なんだかんだ心優しい師匠は、怒った後で「僕には人に教える才能がないのかな……」と極端に落ち込むので、むしろそっちが申し訳なくて、私はよく勉強した。


 いやー、でも占星術って、本当に意味が分からないんだよね……。とにかく、ホロスコープの書き方とか、星の位置関係とか、十二宮がどうとか、何もかもがややこしい上に、そもそも星の守護を受けてないと意味を成さないものばかりだし。

 難しい占星術の問題に四苦八苦していると、ある時、師匠が聞いてきた。


「そんなにして、どうして騎士になりたいの? 出世の糸口にはなるだろうけど、お金儲けのためなら、商人になって一発当てる方がたくさん稼げるし……。騎士なんて、有事の際には平気で使い捨てにされちゃう職業だよ」


 騎士でなくても、民衆が国のために使い捨てにされる未来がこの先で待ち受けているのですけどね。とは、言わなかった。


「そうですねえ。お金も出世もどうでもよくて、私、故郷を守りたいんです」

「でも貴女、王都に行きたがってるんでしょ」

「はい。紅騎士団に入りたいんです」

「……あ、そう。紅騎士団か……」


 なぜか、師匠が微妙な顔をした。


「へんてこですけど、私が紅騎士団に入ることで、故郷を守れるんです。なんでしたっけこういうの、バタフライ効果って言うんでしょう?」

「あってるような間違ってるような……」

「それに私、紅騎士団で会いたい人がいるんです! えへへ、誰でしょう!」

「そうだねー、ついこの間クラリス王女殿下が紅騎士団の団長になったらしいけどきっとそれは関係ないよねー」

「大正解です! 師匠はさすがですねー」

「へー……頑張ってね」


 気のない返事をして、師匠は私が書いたホロスコープを確認した。ホロスコープは、占星術を行う時に、円に何やら記号とか角度とかを大量に書き込んで占う陣のようなものだ。


「どうですか? 私のホロスコープ」

「うん。字は綺麗だね」


 それ以外はまるで駄目ということか。


 とにかく、そんな風に師匠が教えてくれなければ、私は紅騎士団入りはおろか、筆記試験で脱落したため騎士にさえなれなかった。王都に来てからはもちろん森にも行っていないので、無事に騎士になれましたと報告ができていなかったのが唯一気がかりだったんだけど……。


 どうして、その師匠が王宮に?

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