0-2 村娘の逆行

 ……どうして……。

「母さん、父さん、マイク、ベティ、チャーリー、どこ……?」


 私の祈るような呟きは、頭上をかすめた砲弾によってかき消された。地面に伏せた私は、硝煙が立ち込める周囲を見回して、あと誰が生き残っているのか確かめようとした。この村も終わりだ。もう私たちは戦えない。私は手に持っていた、剣先の錆びたサーベルを怒りに任せて投げ捨てた。こんなものを素人に渡して、どうしろっていうの?

 サーベルも銃も捨てた代わりに、腰に巻きつけていた袋から、仕事に使っていた手斧を取り出す。そう、私は木こりだ。これが私の相棒だ。私たちは人殺しなんかしたくなかったのに。


 クラリス様が殺されてから、この国はどんどんおかしくなっていった。新しく王位についた君主は、騎士を廃止し、徴兵制などという政策を打ち出して、若者たちを次々と周辺国の侵略戦争に送った。当然、急に攻撃された隣国は黙っていない。後ろからエルド王国を叩きに来た隣国の戦線に、私の村は巻き込まれてしまった。


 どうして。

 王女殿下が……クラリス様が、隣国と繋がっていたなんて嘘だ。あの方はこの国の防衛と外交に熱心だっただけで、反乱の意思なんてかけらもない愛国者だったじゃないか。クラリス様は、何もしなくたって次期国王の器だった。それでも、クラリス様自身が、王になるよりも騎士として国を守ることを選んだんだ。だから、青薔薇人になれなかったからって、次期王を暗殺しようとするなんて、そんなことある訳ない。ある訳がないのに。


 「徒花の悪姫」なんかじゃない。

 どうしてみんな、そんな話を信じるの。あんなにクラリス様に助けられていたのに。おかげで私の村は、ろくな武器も支給されないで全滅してしまう。誰のせい? 誰のせいなの?


 匍匐前進で煙をくぐり抜け、少しだけ光の差す場所に出た。後ろの方から、まだ遠いけれど、追手が近付いてくる足音がする。私は手斧を強く握りしめた。ここまでだ。私は足を刺されて怪我をしていた。逃げられない。私は死ぬ。


 ねえ、誰のせい?

 ……自分の、せい? 

 自分に、何か、できることはなかった?


 死を目前にして、考えたことは「後悔」だった。私はクラリス様の無実を信じていた。でも、信じていただけだ。王都で起きている動乱を、遠くからハラハラして見ていただけで、私は何もしなかった。地位もない、権能もない、ただの村娘なんかには、何もできないと思っていたのだ。違う世界のことは、眺めていることしかできなかった。


 空の光を仰いだ。藍色の夜空に、宝石を散らばらせたような星の輝きが見える。その時、ポケットの違和感に気付いて、中身を引っ張り出した。

 いつか骨董屋で買った、古びた銀の懐中時計があった。上着の内ポケットに入れたままだったんだ。

 星明かりを受けて、懐中時計はきらりと光った。私は震える指で蓋を開けた。固まったままの針を見つめて、私は最後の息をついた。


「もし、時間が戻るなら……私の村を、クラリス様が、助けてくれますように……」


 いや、そうじゃない。

 夜空で冷ややかに私を見下ろしていた月が、急にその光の量を減らした。赤くなっていく満月。私は笑えばいいのか泣けばいいのか分からなかった。初めて見る月食が、まさか死ぬ直前だなんて。

 軍靴の音がすぐ間近に聞こえる。それでも私は、言葉を紡ぐのをやめなかった。


「もし、やり直せるなら、私が全部……村も、クラリス様も、全部、私が助ける……!」


 無茶な後悔にまみれた、惨めな祈り。私は胸に懐中時計を抱きしめた。

 私はぎゅっと目をつむる。ああ、終わりだ。さようなら。短い人生だったな……。


 カチコチ、カチコチ。


 その時、変な音がした。それが、懐中時計の動き出した音だと気付く前に、妙なことが起こった。

 身体が地面から浮かび上がる。いつかの時と同じように、空を飛ぶ感覚……。


「いったいなにが……うわっ!」


 懐中時計が、するりと私の手から逃げ出した。赤い月の真下に躍りでた時計は、蓋が開いて、文字盤の上を針がすごい速度で巻き戻っている。

「村人をひとり逃したぞ!」

「この光はなんだ? いかん、目が潰れてしまう、退避!」

 そう声を張り上げる敵の姿は、光に包まれた私には見えなかった。

 そして私は、白い光線の中で意識を失った……。




「……ちゃん。お姉ちゃん。起きて!」

 誰かが寝ている私を揺すっている。うっすらと眼を開くと、しっかり者のマイクが、やれやれといった表情で私を覗き込んでいた。

 ここはどこ。もしかして天国……?


「マイク、あなたも死んじゃったの?」

 涙を滲ませて質問した私を、マイクは怪訝な顔で見つめた。

「怖い夢でも見たわけ? 寝ぼけたこと言ってないで、お姉ちゃん、今日は初めて斧を持たせてもらえるって張り切ってたじゃん。お父さんが待ってるよ。木こりの仕事教えてもらうんでしょ」


 さあ起きた起きた、とマイクは私をベッドから引きずり出そうとする。その手が、まだぷにぷにとして子供のようだったので、驚いてマイクの顔をまじまじと見た。

 やっぱり変だ。私と二歳しか違わないマイクは、すくすくと私の身長も追い越して立派な青年になっていたはずだ。それなのに、目の前の弟は、まだ八歳かそこらの幼さで可愛い盛り。状況は理解できなかったけど、とりあえずぎゅっと抱きしめておいた。


「わっ?! なにすんのさ!」

 騒ぐマイクを置いて、ダイニングに向かった。ただならぬ勢いでやって来た私に、家族はびっくりしたようだ。


「あらあらあら、どうしたの」

「そんなに斧を使いたかったのかい。焦らなくても、ほら、お前の斧はここに用意してあるから」


 お母さんとお父さんは、そう言って笑った。私の足元をくるくる回りながら「姉ちゃん、どうしたのー」「姉ちゃん、まだ寝巻きのままだよー」と見上げてくるベティとチャーリー。限界だった。

 のちに私は、そこで唐突に泣き崩れて弟妹をめちゃくちゃに抱きしめた理由をごまかすために、「マイクたちが結婚して家を出て行く夢を見てバージンロードで泣いてた」などと馬鹿を極めたような言い訳しかできず、しばらく村中の笑い種にされてしまうことになる。

 私は、子供の頃に精神が逆行したようだった。




 やることは決まっていた。

 ルイーゼ。私の名前。あの人が似合うと言ってくれた名前。それがなんのためにあるのか、私は分かりすぎるほど分かっていた。

 勝負は十六歳の時に訪れる。

 私はそれまで必死で頑張った。

 そして……成し遂げたのだ。


「勝者、右側!」

 くるくると回転しながら、対戦相手の剣が彼方へ飛んでいった。周囲の観客がざわめいたのを空気の揺れで感じる。私は息があがって、肩を上下させていたが、審判員に呼ばれて背筋を伸ばした。


「貴女は見事入団試験を突破し、勝ち抜き戦で優勝した。これにより、貴女は国王直属の第一騎士団へ配属されることになるが、最後に誓っていただこう。汝は、女王陛下と我が国への絶対忠誠を、汝の剣にかけて……」


 そこで審判員は言葉をなくして、どうしたものかと言うように目を迷わせた。

 なぜなら、私の手には剣ではなく、斧が……木こりの象徴が握られているからだ。

 後ろのギャラリーからひそひそと会話が聞こえてくる。


「あんなの許されるのか」

「剣を持たない騎士なんて」

「ただの村娘がどうしてあそこまで強いんだよ……」


 ただの村娘が強くちゃいけない?

 つんと私はあごを上げて、毅然としているように見せる。本当は足がもうがっくがくなんだけど。こんなに注目されるの初めてなの、田舎者だから!

 その時、からっと響く明るい声が、私たちの上から聞こえた。


「素晴らしい!」


 空から降りてきたのは、赤いマントに金の薔薇の刺繍をした騎士。漆黒の髪に、銀の目を輝かせた、はっとするほど美しい人。

 慌てて止めに入る周りを制して、すたすたと私の前にやって来た彼女は、ちょっと近すぎるんじゃないかという距離で私の手を握った。心臓が跳ねた。


「君は王都でもめったに見ないほど強いな。騎士学校にも行かず、権能も持たず、よくここまで洗練された戦い方ができるものだ。きっとよほど自学と鍛錬を積んだのだろう、すごい子だ……!」

「お褒めいただき光栄です殿下。いえ、紅騎士団長様」


 興奮のまま無邪気な称賛の言葉を重ねる彼女に、私は動揺が悟られないよう笑いかけた。


「おや、知っていたのか」

「もちろんです」


 私はそっと、ポケットの上から懐中時計を押さえる。

 今度こそ、この方を助けてみせるんだ。

 うつむいた私に、きょとんと首を傾げた紅騎士団長は、審判員に声をかけられて振り向いた。


「あの、団長、この者なのですが、腕はあっても剣を使わない騎士というのは問題では……」

「そんな瑣末なことに構わなくていい。彼女は強い! そして騎士になろうという意思がある。それで充分だろう、なあ、えっと……」


 そこで彼女は私の顔を覗き込んで尋ねた。


「最初に聞いておこう。君、名前は?」

「ルイーゼ・スミスです。クラリス様、女王陛下とあなたへの忠誠を、この斧に誓います」


 銀の瞳に映るのは、騎士らしく茶髪をすっきりと編み込んで、緑の目で微笑んでいる私。




 今度こそ、私はクラリス様を救ってみせる。

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