村娘の逆襲~大好きな王女様のためなら、逆行して騎士にだってなります!~

三ツ星みーこ

0-1 村娘の逆行

 ルイーゼ・スミス。


 これが私の名前。どこにでもある名字に、ちょっと気どった小っ恥ずかしい名前。これは、両親が初子に浮かれ上がって、「将来何かの拍子に出世したときも王宮で見劣りしないように」などと血迷った結果、ルイーゼなんていう田舎の小娘には似合わない名前になってしまったのだ。ああ、大人しくメアリーとかドロシーとかにしておけば良かったのに。村でも、この名前は私だけで、みんな「ルイーゼ!」って呼ぶんだもの。やんなっちゃうな。

 そんな私は、親が期待したように大出世を遂げるようなこともなく、慎ましく木こりと薬草取りの仕事をして暮らしていた。手斧を振るって、鎌で刈り取るルイーゼ少女。やっぱり名前と釣り合ってないよ!


 十六歳を迎えたある日、王都へ村の生産品を売りに行くことになった。この仕事を任されるのは、まあまあ頼りになるとみんなに認められる若者だ。それを思うと、ちょっと誇らしい気がしたし、真面目に木こりをやっててよかったと思う。


「せっかくだから、あんたも若者らしく都会を見物して来なさいよー」

「俺たちにも土産買ってきてくれよー」


 調子よく送り出してくれた親と友人たちの言葉もあったので、私は品物をあらかた売り終えてから、王都を観光していくことにした。

 私は他の国に行ったことがないけれど、セント=エルド大王国の都は、世界の中心とも言えるくらい発展したところだ。うちの田舎では考えられないような技術がたくさんある。馬車を停留所にとめた私の前を、空飛ぶユニコーン列車が横切った。華やかな街並みを照らす外灯は、星あかりを吸収して光っているらしい。村の人たちへのお土産には、昼と夜で模様が変わる不思議な布を買った。うちの村の若者はみんなおしゃれに飢えているからね。針子を目指して修行中の弟妹たちが、きっとすてきな服に仕上げてくれるに違いない。


 本当に夢の国みたいな場所。私は、女王様がいらっしゃるという、高い塔がそばに建つ宮殿を見上げてため息をついた。私がいるのとは全然違う世界。いくら憧れても、あの王宮に入ることが許されるのは領主などをしている名家や旧家の人々だけで、村娘が入りこむ余地なんかない。出世なんか無理だったんだ。唯一の例外を……王都と国を守る、「王国の薔薇」こと紅騎士団にでも入らないことには。


 でもいいんだ、と私は空を仰いだ。私は王都で出世したいとは思ってないから。ただ、うちの村が平和で、安泰であれば、それでいい。お土産を持って帰った時にみんなが見せるだろう笑顔を思い浮かべて、ふふっと笑った。その時に、後ろから「危ない!」という声と通行人の悲鳴が聞こえた。

 えっ、なにごと?

 気がつくと、私のすぐ目の前に路面を走るユニコーン列車が迫っていた。しまった。駅に停まるために、低く飛んでいたんだ。避けようと思ったけれど、足がすくんだ私は動けなくて、ぎゅっと目をつむった。ぶつかる。ああ、せめて上の弟が針子デビューするまで見届けたかった。短い人生だったな……。


 しかし、ユニコーンの角に刺し貫かれる衝撃は、いつまでたっても来なかった。そのかわりに、ふわっと身体が浮いて、地面から離れる感覚がした。


「大丈夫か?」


 耳元でささやかれて、やっと私は目を開いた。

 ぽかんとした通行人の顔と、何のトラブルもなく駅に到着した列車の姿が見える。私は高いところから、王都の街を見下ろしていた。

 私、空、飛んでる!


「おっと、気絶するなよ。もう少し頑張れ」

「わあっ?!」


 私を抱えて悠々と空中飛行をしている人の顔は、後ろにあるので見えない。聞き心地の良いアルトの声から判断すると、どうやら女性のようだ。助けてくれたらしいことは理解したけれど、いきなりの空で私は動転してしまった。手足をばたつかせる私をなだめながら、その人は王宮の塔のてっぺんに降り立った。


「とりあえず、ここに下ろすぞ。王都で一番高い場所だ。景色が綺麗だろう」


 とんがり屋根にへたりこんだ私は、息を整えてから、お礼を言うために顔を上げた。


「あの、ありがとうございました……。すみません、ぼんやりしていて、列車に気付かなくて……」

「気にしなくていい。君、王都は初めてだろう? 慣れないうちはそんなこともあるさ」


 風に揺れるその人のマントは赤色だった。ちらりと見えた刺繍は金の糸で、何かの花弁の模様をしていた。

 赤いマントに、金の薔薇の刺繍。

 まさか。

 そろりそろりと視線を上げると、挙動不審な私に「?」と首を傾げている黒髪の女性。その端麗な顔立ちに見とれて少しぼうっとしたが、銀の瞳が瞬きし、片方の耳についているラピスラズリのピアスが揺れた時、私は叫び声を上げた。


「あ、あ、紅騎士団の方だったんですか!」

「ん? まあ、そうだけど」

「しかも銀色の目ってことは……」


 この国の王は、戴冠の儀式で太陽と月の力を受ける時に、目が金色に変化する。

 銀の瞳は、そんな君主の血縁者である証拠だから、つまりこの人は女王様の……。


「コラーッ! そこの姫さん、逃げるなよ!」


 響いた怒号に、私はびっくりして屋根から滑り落ちかけた。首根っこを騎士の女性に掴まれて支えられ、下を見ると、塔に向かって走ってくる赤いマントの集団がいる。その先頭で、集団を指揮している人が、私たちのことを睨んでいた。

 まずいなー、と呟きながら危機感のかけらもなさそうな彼女に言った。


「やっぱり、王女様でいらっしゃったんですね……私はそんなお方に助けていただいて……というか、なんで王女殿下があんな街中に?!」

「いやあ、ちょっと退屈な式典を抜け出して、お忍びをしていたんだが。見つかってしまった、わはは」


 ごまかすように笑った王女様に、私はなんだか脱力してしまった。

 下の騒ぎはだんだん塔を登って近づいてきていた。王女様は私に振り返って「ここでお別れだな」と言った。


「最後に聞いておこう。君、名前は?」

「る、ルイーゼです」

「そうか。素敵な名前だ、君によく似合う」


 ふわりと身体を浮かせながら、王女様は私の頭にぽんぽんと触れた。王女様の鏡のような銀の瞳には、私の姿が映っている……茶色の癖っ毛を跳ねさせた、緑の目の、野暮ったい村娘の姿が。

 ついに騎士団が最上階にたどり着いて、「見つけたぞ!」と指揮をしていた人が屋根に登った時には、王女様はつややかな長髪をたなびかせて、はるか高みを飛んでいた。


「うわっ、あのヤロー! 自分の権能を好き放題に発揮しやがって! おい、誰か騎馬隊のユニコーン借りてこい!」

「もう遅いですよお……」

「諦めましょうよ、副団長」


 私は周りの喧騒に呆然としながら、高笑いで王都の上空を駆けていく王女様を眺めていた。街の子供たちが彼女の姿に歓声を上げた。

「クラリス様だー!」

「クラリス王女殿下!」

 彼女はマントを翻すと、子供たちに向かって大きく手を振った。




 クラリス・フォン・エルド。

 私が知る中で、最も高貴で、最も偉大な人の名前。




 セント=エルド大王国の君主は世襲制ではない。五十年に一回くらいの頻度で、先代王の引退とともに、国内から次期王候補を募って選抜が始まるのだ。

 その過程では、知力、体力、リーダーシップ、人間的な器などを厳しい試験で見極められ、徹底的にふるいにかけられた後に残ったひとりが王となる。しかし、その選抜の基準にひとつ、特殊な要素があるため、ただ有能な人物というだけでは駄目なのだ。

 それが、占星術で天の神々が選び出す「青薔薇人」である。


 世界の最先端を行く我らが王国でも、どんなに知識と技術を結集しても青い薔薇だけは咲かせられない。青い薔薇が咲くのは、天の星々に祝福された者が触れたつぼみからのみだ。それは、占星術の才能を持っている証拠であり、つまりは予言者の素質があることの証明なのだ。

 だから、もしかしたら、まともな教育さえ受けてこなかった田舎の子供がある日突然に青薔薇人となり、その才能によっては選抜をパスしていきなり即位が決定、なんていう可能性もある。その場合は、特別に「祝福の青薔薇人」という呼び名になるけど、もちろん可能性というだけで、青薔薇人が現れるのはたいてい上流階級の子女の中からだ。


 今の女王も、その王冠に決して枯れることのない青薔薇を飾って公務をしている。そして、いくら世襲ではないといっても、やっぱり王の子供は特別だし、予言者の素質は遺伝するとも考えられているから、王女様なんていう立場に生まれたら、次期王選抜レースに問答無用で組み込まれてしまうのは当然だ。それが普通なんだけど……。


「まあ、クラリス様が今日も空を飛んでらっしゃるよ」

「本日は西の平野に向かわれるみたいですよ。最近あそこで、川の大氾濫があったから、それを助けに行くんですって」


 王都にくるたび、必ずどこかでそんな世間話を聞いた。私は、商人たちを相手になるべく高く品物を売ってやろうと交渉に集中しながら、クラリス様の話が聞こえてきたらどうしても意識がそれてしまう。


 クラリス様は、王女でありながら騎士をしている。それも、紅騎士団長を勤めている。

 それは身分で手に入れた地位ではなくて、王女であることを隠して騎士団に混ざり、正当に手柄を立てて得た役職なのだという。ただの下っ端騎士だった時から色々と破天荒で有名だったらしいが、団長となってからは遠慮もなく、王族の証であるラピスラズリのピアスをつけたまま、国のあちこちを自身の権能……「ペガサスの足」で飛び回っている。


 この権能こそが、占星術の生まれつきの才能だ。名家と呼ばれる家の出身者は、ほとんどみんな何かしらの権能を持っている。権能はそれぞれ、守護を受ける星座によって変わるらしい。クラリス様はペルセウス座の権能を授かっているようだ。そのペルセウスとは誰なのかは、何万年も前の古代人たちが信じた神話に由来するらしいが、今ではその神話を詳しく知る者はいない。


「この間も、山脈の向こうから侵攻してきた放浪民どもをひとりで蹴散らしたんだって? よくやってくれるね、あんな奴らの相手はふもとの村人にでも任せておけばいいのに」

「ちょっとあんた、田舎の方じゃここほど技術がないんだよ。武器もないのに、クワや鎌で応戦しろってのかい」

「でも、どんな場所でもクラリス殿下が駆けつけてくれるなら、安心して暮らせるな」


 楽しそうに店の前で話しているのを聞いた私は、もし私の村が襲われたらクラリス様は来てくれるのだろうか、と想像した。来てくださるんだろうな。そう思うと、なんだか心臓の辺りがむずむずする。

 ませてきた妹が、からかうように「お姉ちゃん初恋?」と尋ねてきたのを思い出した。必死で否定したけど、顔が真っ赤になってて全然説得力がなかった。いや、たぶんこれは違う。これは思春期にありがちな、恋と憧憬を取り違えているやつだ。私は単に憧れているだけなのだろう。才能に溢れていて、かっこよく人助けができる素敵な王女様に。そう、助けられたから、ちょっと意識しているだけ。でも、クラリス様に助けられた人なんて国中に大勢いるんだから、私なんか特別でもなんでもないんだ。


「よう、お嬢さん、コイかい?」

「だから恋じゃないって言ってるでしょ!」

「お、おう? この鯉の置物じゃないなら、まさかこっちか? 古ぼけた懐中時計」


 骨董屋で品物を見ていたことも忘れてもの思いにふけり、急に叫んだ私に、店主のおじさんが気圧されながらチェーンのついた時計を差し出した。


「しかしお嬢さん、今じゃ太陽光で動く時計の方が普及してるし、便利だよ。この懐中時計は妙でさ、仕組み上は星明かりで動くはずなんだが、うんともすんとも言わないし、なんだか歯車とネジの形が変テコでね。壊しちゃまずいから、下手にいじれなくて、手入れもしてないんだが、記念に買っていくってんなら安くするぜ。どうだい?」


 話の流れで、なんとなく私はその時計を手に取ってみた。正直、村では時間なんてそんなに気にすることがないから、時計は必要ないんだけど……。くすんだ銀のチェーンに、銀の蓋。ぱかっと開けると、黄ばんだ文字盤の上で時計の針は止まっていた。うーん、いくら安くても、いらないものはいらない。そう言っておじさんに返そうとして、ふと開いた蓋の内側を覗いた。

 銀の蓋に映り込む、緑色の目と、あの時よりは野暮ったさも薄れて、短髪っぽく見せる耳隠しの髪型をした自分。

 「あの時」と同じ……。


「……せっかくだから、いただきます」

「お、まいどありー」


 代金を払い、懐中時計を手にした時に、遠く王宮の方から「おいコラーッ!」という怒鳴り声が響いた。それから逃げるように、黒髪の麗人が空へ飛び出していく。


「クラリス様ってば、また何かの公務をすっぽかしたんじゃない?」

「まあ、あの方は椅子に座って飾り物になっているより、ああして自由にしてくださった方が俺たちも嬉しいだろ」


 街の人たちが見上げる先には、空へ小さくなっていく後ろ姿があった。

 私も一緒にそれを見上げながら、こうして時々姿が見られれば、それだけでいいなと思った。




 平和な日々。平穏な毎日。

 私とは関係のない世界のことは、遠くから覗かせてもらえれば、それでいい。

 きっとクラリス様が次の国王になるだろう。ほとんどの国民は、そう考えていたと思う。そしたら、この国の未来も安泰だった。私も自分の村で、慎ましい木こりとして生涯を終えるはずだった。

 あの日まではそう信じていた。




 第一王女クラリス・フォン・エルドが、国家反逆罪で処刑された日までは。

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