1 青年は語る

 偉大なる我が母国、セント=エルド大王国。


 広大な土地と長い歴史、世界でも最先端を行く進んだ技術を誇るこの国は、基本的によその国との交流を好まず、自国こそが世界の中心であるという思想を持っている。外交態度が尊大な代わり、他国への侵略も起こさないので、小競り合いや内乱以外ではわりと平和ないい国だと思う。


 そうは言っても、いつ何時、諸外国との関係が悪化して攻め込まれないとも限らない。それに日常でも、犯罪者を捕まえたり、災害に遭った地域の救助に行ったりする、腕っ節の強い者たちが必要だ。


 それが俺のような騎士の役目。そして騎士の中でも最高位で、入団試験の勝ち抜き戦で優勝した者のみが配属されるのが、国王陛下直属の王都第一騎士団……通称、紅騎士団である。


 国王付きの仕事で、しかも戦線となりうる国境から遥かに遠い王都の騎士団なんて、ただの名誉職じゃないか。美しい騎士服とマントを身につけた彼らをやっかんで、そう謗る輩もいるが、ところがどっこい、実際そうならどれほど良かったか。


「そこ! ぼんやりしてんじゃねえ、死ぬぞ!」


 鋭い声にはっとして、間一髪、飛んできた矢を避けた。その後も次々と矢が連射されてくるので、剣を振って払いのける。が、そろそろ腕が限界だ。地面に伏せて休もうとしたら、また副団長の怒号が飛ぶ。


「おいコラ、なにをしてんだ! 矢を払え! 叩き返せ! 背後の女王陛下の人形が見えないか!」


 そんな無茶苦茶な。俺は泣きたかったが、ここで立ち上がらなければ、後で死ぬより怖い目に遭わされる。入団一週間で骨の髄まで叩き込まれたのは、上官の指示への絶対服従と、それに逆らった時にマチルダ副団長が見せる地獄の恐ろしさだ。


「今日のところはここまで! お前ら、新人としてはマシな方だがな、この程度じゃまだまだ使い物にならんぜ。さ、夕飯を食べて、明日の訓練に備えとけ」

「はあい……」


 力なく返事をして、俺たち新人組は訓練に使った矢を拾い集めて片付け、とぼとぼと宿舎に向かう。俺は、同じ騎士学校出身のパトリックに声をかけた。


「マチルダ副団長って、俺たち新人に厳しすぎないか?」

「そうかな? 騎士学校を卒業しただけの、実践経験もないヒヨッコどもには、まあ妥当な扱いじゃない」

「へえ。そういうお前はヒヨッコのつもりなの?」

「もちろん……」


 さらさらと流れるプラチナブロンドの髪をかきあげて、パトリックは鼻で笑った。


「そんな訳がないだろう! ボクはちょっと剣術をかじっただけで学校を卒業してくる、大量生産型の騎士は大嫌いなんだ。我がアーバスノット家のように、国境に面した領地で専門教育を受けた生え抜きの騎士こそ、紅騎士団にふさわしい。そういう意味では、他の有象無象どもとボクを同等にみなしているという点で、マチルダ・スティアート副団長に不満はあるね」

「さすがだなーお前は」


 騎士学校時代とまるで変わらない。そもそも俺たちのように、領主をしているような名家から騎士になる奴なんて、第二子か第三子の跡継ぎでもない余り者だ。

 俺も、騎士学校に入れられた時点で、自分はお払い箱なのだということに気が付いた。そのためパトリックのように、騎士であることに自信たっぷりなんていうのは、むしろ珍しい。紅騎士団だけは、その名高さから、別格の扱いを受けてはいるけれど。


「でも、キミのような内陸の小さな家の出身者が、ぐだぐだ文句を言うものじゃないよ。故郷の領地はのどかなものだろう? ねえ、羊飼いのオリバー・グレイくん」

「はいはい」


 こいつにとっては俺も「有象無象」なんだろうな。そう思うと若干憂鬱な気持ちになるが、現在は顔見知りがコイツしかいないため、気付けば自然とつるんでいる。


 王宮の外れにある宿舎へ帰ってきた時、建物の裏からスコーン、スコーンと小気味良い音が響いた。

 パトリックが眉をひそめる。


「まぁたやってるんだね、木こり娘」


 宿舎に入って、廊下の窓から裏庭の風景が見える。訓練用の小さな森が広がっている隅の方で、少女の騎士が薪割りをしている。


 ルイーゼ・スミス。俺の同期の一人。今年の紅騎士団の新人たちの中でも、とびきり異色な人物だ。


 まず、彼女は騎士学校を出ていない。指揮官役や有名騎士団の席は騎士学校出の連中に占められるこの騎士社会で、独学で武術を学んだ者が出世ルートに乗る方法は、弱小騎士団から成り上がるか、完全実力主義である紅騎士団に入るかの二択だ。

 前者も後者も一般庶民には厳しい道だが、そこを押して、わざわざ田舎から王都まで出てくる精神力。すでにこの時点でただ者じゃない。


 次に、権能を持っていないこと。これもまた大きなハンディだ。まれに普通の村人の家から権能持ちが現れ、奇跡だ英雄だと応援を受けながら王都へ上ってくることはあるが、彼女はそのパターンにも当てはまらない。

 しかし実力はあるようで、勝ち抜き戦では怪力で知られる、うしかい座の権能持ちを斧で打ちのめしているのを見た。


 そう、最大の特徴にして問題……彼女の武器が斧であることについては、内外から批判が巻き起こった。名家出身の騎士なんて見栄っ張りが多い訳で、木こりなどという卑しい仕事の道具を使われるのが許せないのだ。

 さすがに紅騎士団レベルの実力者たちになると見栄など気にしないのだが、今度は「まともな戦力になるのか」というシビアな疑いの目が向けられている。


 前途多難としか言いようがないこの現状を、どこまで把握しているのか。ルイーゼ・スミスは、毎日の訓練が終わると、いつも加えて木こりの仕事も行っている。そんな体力どこから出てくるのだろう。


「あんなことして、騎士としてどれほど恥さらしか、誰も教えてあげないのかな……。ここはひとつ、ボクが言ってあげよう!」

「待て待て待て、放っておけ」


 入団早々に面倒ごとを起こされてはたまらない。俺が必死で止めると、パトリックはちょっと不満げにしたが、裏庭から視線を外して「さ、夕食に行こう」とすたすた歩いて行った。俺はほっと息をついた。


 ……パトリックも、あれだけ自信満々でいられる程度には、実力があるんだよな……。騎士学校の成績もいつもトップだった。


 俺はまた、気付かれないようにそっとルイーゼのことを観察してみる。短髪ふうに編み込んだ小麦色の髪に、澄んだ翡翠の目。小柄な体格と、都会に擦れていない純朴で可愛らしい顔つきは、森のリスとかうさぎを思い出させる。いわゆる小動物タイプだ。

 騎士団にはどう考えても不釣り合いな彼女が、本当にどうしてここにいるのか気になる……いや、俺が彼女の存在を意識せざるを得ない理由は、そんなちゃちな好奇心からではない。


 おそらく、俺が今年の新人の中でも最弱だからだ。


 騎士学校の成績はまずまずだったが、トップクラスとは言えない。言い訳になるかもしれないが、その原因には、俺がろくな権能を持っていないことが大きいと思う。


 やぎ座の守護を受けている俺はしかし、赤子の俺を鑑定した占星術師が言うには「ちょっと絶望的なくらい」占星術の素質がないらしかった。

 つまりは、権能を持たなかったのだ。俺はいろんな努力をしてみて、なんとか権能を発揮させようとしたが、無理だった。成績優秀として、地方の学校から王都の騎士学校へ進んだ俺は、強い権能使いどもの集団であっという間に埋もれた。どんなに頑張っても駄目だった。


 入団試験の時には、もう出世なんて完璧に諦めて、どこかの穏やかな土地で、多少はみんなの役に立ちながら余生を過ごせたらいいと思っていた。半ば悟りの境地だったと言っていい。


 それがどうしたことだろう、勝ち抜き戦の初回とその次は、怠け学生だった弱い相手にぶつかった。三回戦は、巨大な剣で戦うおうし座の権能持ちで強かったが、試合の途中で急な腹痛に襲われ棄権。武術の名家出身者を相手にした四回戦では、今度こそ駄目だと思ったのに、なんと道すがら落ちてきた花瓶に頭を直撃させたとかで試合は中止。

 五回戦で当たった、王都剣術大会で優勝したという奴には、ボコボコにされて負けた。これでやっとおしまいだと、悔しいというよりホッとした気持ちで帰った次の日、その相手が筆記試験の方で不正をしていたことが発覚し、繰り上げ合格と紅騎士団入りが決定したのだった。


 正直笑う。泣き笑いだ。


 そんな俺は、どう考えても同期の中では最弱だ。権能を使えないという点で、ルイーゼは仲間かと思ったのに、それは大きな誤算だった。鍛え抜かれた権能持ちどもに勝てる村人なんか異常だ。まるきり俺とは違う。


 ……そう、異常だ。少しだけ、胸の奥がちりちりしたのを感じたが、すぐに振り払った。俺は凡人だ。権能持ちに勝てないのは当たり前なんだ。彼女と俺は違う。


 肩を落としていると、外からどたどたと騒がしい音が聞こえた。それとともに、空を一直線に飛んでいくきらきらした光線。


「おいコラ! 姫さん! 降りてこいや、女王陛下がお呼びだっつってんだろ!」


 マチルダ副団長が、癖のついた赤毛の髪を振り乱して、庭を走っていく。天からは、わはははという高笑いが響いている。

 クラリス様、まーたやってんのか……。


 セント=エルド大王国の王女、クラリス・フォン・エルド殿下は、紅騎士団の団長だ。

 俺たちが配属された初日に、空から現れたクラリス様は、紅騎士団の作法として次のことを教えてくれた。


 ひとつ、女王陛下を守ること。

 ふたつ、国民を守ること。

 みっつ、我が身を守ること。


「そして出来れば、法律も守ることだ!」


 そして「王宮の厨房からかっぱらってきたワインだ、祝いに飲もう!」と酒樽を掲げたクラリス様は、マチルダ副団長の右アッパーを食らっていた。

 いずれにせよ、俺や多くの新人は十八歳未満なので飲めないんですけど……。


 入団一日目にして団長が悪さをした子供のように叱られているという異様な光景に、俺たちは呆気にとられたが、一番気になったのはなぜか号泣していたルイーゼである。あまりに泣きじゃくるので、心配した先輩騎士が声をかけた。


「どうしたんだ新人、急にホームシックにでもなったか?」

「い、いえっ、クラリス様の幸せそうなご様子に思わず涙が、じゃなくて、目に砂が」

「お、おう。そんだけ泣いたら、もう砂も取れてるだろ」

「いえ! まだです! 私の周りだけ局所的に砂嵐が起きてるんです!」


 どんな異常気象でもそんなことは起きねえよ。


 とにかく、王女殿下改めクラリス団長は、底抜けに明るくて豪快なお人柄だ。空を駆ける『ペガサスの足』なんていう華やかな権能にばかり目が行きがちだが、権能を使わなくても強い。訓練で行う手合わせも、クラリス団長だけ総当たり戦だったにも関わらず、団長から一本取れたのはマチルダ副団長だけだ。

 剣術に秀でているのはもちろん、槍も弓矢も自由自在。近頃発明されたというマスケット銃も使いこなせて、この間それで仕留めたイノシシの肉を食べさせてくれた。軽く五、六匹分はあった。団長、またどっかの山へ遊びに行ってたんですか?


 部下思いでもあり、海に接する領地出身の新人がホームシックになった時は、団員総出で海へ遠征に行った。大マグロを一本釣りして、マチルダさんに捌いてくれとねだって殴られていたのを見ると、ただ単に海鮮ものが食べたかっただけではないかという疑いも生まれたけれど、たぶん部下思いな団長だ。たぶん。


 ぼんやり眺めていたら、すっかり空の彼方へクラリス団長を見逃してしまった副団長の疲れた後ろ姿を見つけて、少し同情した。

 クラリス団長とは幼馴染みで、王女と世話係として主従だというマチルダ副団長。黒縁メガネの奥の釣り上がった三白眼が恐ろしいけど、苦労している人みたいだ。


 と、マチルダ副団長が肩を落とした時に、風を切って飛んでくるものがあった。矢文だ。この矢は、占星術師によって「や座」の力を授けられた、緊急連絡に使われる伝令矢だ。マチルダ副団長はそれを片手で捕まえて、文を読んだ。ざっと読み終えると、すぐに宿舎に向かって怒鳴った。


「緊急任務! 北の山脈にて旅商人の一隊が遭難しているのが確認された! すでに団長が向かっているが、二年兵以上の者、この頃は私が新人にかかりっきりで暇だったろ! 身体ならしに行くぞ、お前ら!」

「えーっ! 今の山脈雪で寒いからヤなんですけど!」

「どうせなら救助じゃなくて戦闘がいいー!」

「そうだそうだ、アツくなりたーい!」


 空の端が赤くなり始めた夕時。これから任務とかふざけてる。当然、先輩騎士たちからはブーイングが巻き起こるのだが、なんだか文句の方向性がちょっと違う気がする。

 マチルダ副団長が「戦闘狂どもが」と舌打ちした時に、また新しい矢文が飛んできた。それを読んだ副団長は、渋い顔をしたが、笛を吹いてユニコーンを呼びながら叫んだ。


「続報! 隊商を襲う山岳強盗団も発見! 我々はただちに商人の保護と強盗団の捕縛に向かう! ついでに熊でも狩って帰るぞ。今夜は宴だ!」

「うっしゃあああ!」


 雄叫びと共に、宿舎から先輩たちが駆け出てきた。次々飛んでゆくユニコーンの群に、俺と他の新人騎士は頬を引き攣らせた。


「北の山脈って、ここから何百マイルあると思ってんだよ……」

「先輩たち、ここが王都の騎士団だってこと忘れてんのかな」


 ……俺、この集団で生き残っていけるのか?


 ユニコーン隊が去っていった庭の隅には、ルイーゼが突っ立ったまま、遠い空を見上げていた。

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