第44話 (最終話)幕切れ

 俊介は、四倉の異変を聞きつけたのだ。


 胸をどきつかせながら、都真子といっしょに、騒ぎの起きている留置場に駆けつけると、すでに鼻田や副署長の那佐池も来ていた。


「四倉が大変なことになってるぞ!」 


 鼻田に言われた俊介は、檻の中をのぞき込むと、不気味にも、仰向けに倒れた四倉の顔や手などに真っ黒になるほどスズメバチがたかっている姿が見える。


「患者は、アナフィラキシーを起こして痙攣してるんですが、スズメバチがいちゃ、手が出せないんです!」


 駆けつけた救急救命士も弱り切っていた。


「どいて、どいて!遠山君、入るわよ!おりゃーっ!」


 ハチ用の白い防護服を着て、不意に現れた遠山と紫蘭は、作業用のバキュームクリーナーを手に持って、ハチのいる檻の中へ飛び込んだ。


 二人は、粉塵や砂まで吸い込む強力な吸引力のあるバキュームの柄を、ぐるぐると宙に振り回しながら、暴れるスズメバチを一匹残らず吸い込んだ。


「もういないわね!」


「はい!全匹、吸引しました!」


 遠山が、大声で返事をすると、紫蘭の目には、呼吸もまともにできずに、パンパンに顔や手を晴らし、チアノーゼを起こして、見るに忍びない姿になっている四倉が目に映った。


「早く、運び出しましょう!」


 待機していた救命士が、ようやく、檻の中に入れたので、二人も手を貸し、四倉をストレッチャーに乗せると、四倉の容態を見た救命士が険しい表情で鼻田に言明した。


「かなり、きびしい状況です!」


「こっちこそ、死なれるときびしいな!」


 それにもかかわらず、病院から四倉の死が知らされたのは、わずか五十分後のことであった。


「だめだったか!なにせ、二百匹以上のスズメバチに刺されたんだからな……」


 鼻田は、事件解明にもっとも重要な二人である、冠太と四倉を失って、がっくり肩を落とした。


 都真子も、四倉の理不尽な最期に、憤るしかなかった。


「まさか、自分を刺すために呼ぶなんて……なんてことよ!」


 若手の紫蘭や遠山も、四倉の死は落雷に打たれたような衝撃を受けていた。


 鼻田は、二人のとまどった様子を見て一席ぶった。


「今の若者は、死というものには、めったに立ち会う機会がないからな。とくに、あんな無残な死に方はショックだったんだろう。昔の方が、人の死はより身近なものだったのさ。寿命も短いし、感染症もあったからな。だから、現代の死は、ゲームの中のように、バーチャルなもの、仮想世界のものであって、仮の死だから壊れても無くなっても実感することなく永遠にあると思ってしまうんだろうな。こうやって、本物の死を見て、命の大切さを学ぶんだ」


 ついでに言っておくと、四倉は、逮捕ののち、留置場に入ると、きょとんとして宙をにらんでは、むっつりとして無言のまま過ごしていた。


 やがてふと、四倉の頭の中には、冠太と二人で起こした過去の事件や行動が支離滅裂によみがえると、それらは、浮かんでは沈み、沈んでは浮かぶといった絶え間のない動きを始め、あげくの果てには、躍り上がるような英雄的行為として光芒を放ち始めたのだ。


 それでいながら、いったい、どんな人々が喝采を送る英雄なのかは、本人にも知り得ぬことだったが、頭の中で英雄に到達したところで気分のよい回想は終わると、じきに、喜怒哀楽の波がひたひたと押し寄せ、ひっきりなしに泣いたり笑ったりし始めたのだ。


「四倉の様子が変だ!」


 まさしく四倉の精神は、完全に異常をきたしていた。


 やがて、とうとう、四倉は、自らが英雄であることを証明するために、昆虫を操る謎めいた能力を、存分に見せしめようと決心するやいなや、ほっとした安堵の念に満たされた。


 四倉は、その直後、ハチの大群に自らを襲わせたのである。


「異常な能力を持ってしまった人間の末路なのか?それとも、権三の犠牲者の一人なのか?」


 俊介は、四倉の死に、胸が痛いほどしめつけられた。


 都真子も、常軌を逸した事件を振り返って、しみじみした口調で言った。


「冠太も四倉も、権三によって作られた自分の仮の姿が、どこかおかしいなって気づいても、今回の事件のようなやり方でしか解決できなかったのよ。しかも、自分にないもの、つまり、薬物やスプレーを使って、他人の顔を奪おうとしたけど、本当は、本物の自分の顔が欲しかったのかもしれないわね」


 鼻田は、決然とした口調で、同感して言った。


「ああ、そうだな。どんな自分であっても、それを認めて自分らしく生きることが大事だな。他人のものを欲しがって、成り済まして、それを手に入れたところで、しょせん、自分のものではないのだからな」


 俊介も、ことは権三の冠太かわいさから始まった事件だが、思わぬ結末になったことに、新しい犯罪の出現を感じた。


「こうして、新しい犯罪が起きてくるのを見ると、以前、議論したように、今の犯罪と昔の犯罪と比べて考えてみた時、人間の性質は昔も今も変わっていないからと言って、犯罪の性質も変わらないだろうとは言い切れなくなったな」


 都真子はまた俊介の犯罪論が始まったと受けて立った。


「そりゃそうよ。今は犯罪でも昔は犯罪にはならないこともあったでしょう。例えば一歳にも満たない赤子を、飢饉の時は、間引きといって殺したわけだけど、皆が飢え死にすることに直面したから仕方がなくやったことでどの家もやっているから殺人罪にはならないわね。教育論の中にだって、子供は裸足で生活することが善であると推奨しても、痛みを伴う砂利道さえも裸足で通行することを、容赦なく強要したならば虐待として犯罪になるわけだからね」


「善悪の価値観って何だろうな。その時代その社会にそった善悪の基準は必ずあるわけだから、何が本当の善で何が本当の悪か、時代を超えて確立される日がやって来た時に、本当の意味での犯罪者が登場するんだろうな」


 俊介は、珍しく、話を短くまとめた。


「また、そろいもそろって、わけわかんないことを言ってるな、この二人は……」


 鼻田は横で聞いて呆れて苦笑いをした。


「何人、犠牲者を出せば気が済むんですか!」


 俊介は権三をひたと見つめ、四倉明の死を伝えると、権三は、目をまるくして、胸をナイフでぐさりと刺された思いがした。


「ああ、何てかわいそうなことをしちまったんだ。後にも先にも、明は俺の息子のようなもんだったよ。よりによって、二つ返事で冠太の身代わりを引き受けてくれたんだよ。とうてい、そんな人間はいるはずはないのにな。俺のせいで死んだようなもんだ……」


「ならば、冠太のためにも、四倉のためにも、なんのかんの言わずに、罪を認めるべきですよ!」


「わかったよ!こうなったら、包み隠しなく、洗いざらい話すしかなさそうだな」


 権三は、眉をくもらし、絞りだすような声で、ぼそぼそと話し始めた。


 さしあたっては、八草沢会長への成り済ましと殺害、土壇田総理の誘拐と成り済まし、未遂に終わった合院の殺害などを、ことごとく、冠太や四倉といっしょに仕組んだことを切り出した。


 そこへもってきて、おどろくことに、もはやすっかり忘れられた羽交辰夫の父親、羽交志馬次の自殺の件が、殺人であることもほのめかした。


 これらの供述から、そもそも、羽交辰夫の自首は妹の寿和子をかばって行われたことが判明し、ただちに辰夫は釈放されることになった。


 ついでながら、妹の寿和子は、吊り橋では会長の身体には一切触れておらず、会長は冠太の薬で意識が混濁していた結果、誤って自ら落ちたことが判明したが、思いがけず、寿和子は羊会のメンバーであることが露見し、即刻、成り済まし詐欺の容疑で逮捕されてしまった。


 さらに、捜査が佳境に入ると、成り済ましグループの羊会、赤屋敷、拝見寄クラブはすっかり解体されて、送り込まれた成り済まし人はぞくぞくと逮捕されるに至り、重罪を犯しながらも、重要な情報をもたらした合院や飯成については、司法取引の手続きが始められた。 


「シープアイのオリバーは、ひょっくり、アメリカで捕まったよ!」


 権三の一味と見なされたオリバーは、こっそり日本を逃げ出し、アメリカの空港でのうのうとしていたところを逮捕され、中南米での成り済まし詐欺容疑で、とっとと裁かれることになったのだ。


「結局のところ、冠太と四倉をアメリカの法廷に引き出すことできなかったよ!」


 帰国の期限がやってきたトムは、その点は、ことさら、無念さが口からもれたが、日本での事件がきれいさっぱり解決したことは、ずばり来た甲斐があったと大見得を切った。


「間違いなく、トムが来たから解決できたんですよ!」


 見送りのために、わざわざ、空港に来ていた鼻田は、拝まんばかりに感謝した。


「いやもう、一種特別のすごい事件だったよ!成り済まし詐欺という現代らしい事件と、狂気の沙汰である顔面物質を作った冠太や人間を超えた能力をもった四倉に対して、ある意味、一歩も引かず戦い切ったことは僕にとってもいい経験でしたよ。いずれ、あべこべに、アメリカの事件にも協力しに来てくださいね!」


 トムは、誠実で考え深げな後ろ姿を残して、いそいそとアメリカに帰って行った。


「危うく死ぬところだったよ!よくやってくれた!それにしても、おかげで、だれ彼かまわず、にせ者じゃないかって、疑いの目で見るクセがついちまったよ!反省しなきゃならんな!わはははっ!」


 刃条署長を始め、鼻田のグループは、土壇田総理の命を救ったということで、内密に官邸に呼ばれると、総理から感謝の言葉を送られた。


 都真子は、豪快に振る舞う総理の横顔を、しげしげと見ながら、ぬけぬけと、不安をほのめかした。


「この総理は、成り済まし人の可能性はないのかしら……」


「おいおい、ここまで来て、そんなことを言うかな!」


 俊介は、事件の幕切れを確信しながら、官邸を後にした。


「TS1は本当にお手柄ね!何度もやつらを追い詰めたわ!まさか五感のない大木が、犯罪の実行を隅から隅まで見ているなんて、誰も想像もしないわね!」


 ジャングルハウスにもどると、都真子はTS1を褒めた。


「ああ、この事件の解決は、まぎれもなくこいつのおかげだ!そもそも、捜査の進まなかったこの事件が、TS1を使ったことで、すっかり解決に向かって進んだんだからな!」


 俊介にとっては、TS1の精度をさらに向上させることしか頭になかった。


「もっと研究して、葉っぱ一枚からだって事件を暴くさ!」

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ネンリンデカII顔粘土男と虫男 東 風天 あずまふーてん @tachan65

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