第43話 火炎の男

「あっ!係長!何よ!頭に拳銃を突きつけられてる!」


 紫蘭は、藪から棒に、現れた二人に視線が釘付けになると、素頓狂な声を上げた。


 鼻田は、本来の顔に戻されていたが、銃を持っている男が誰なのかは、さっぱり、判らない。


 俊介たちのチームは、トムがアメリカから持ってきた写真資料から、冠太の素顔は、しっかり頭に入れていたが、男は冠太とは、似ても似つかない別人としか見えなかった。


「お前ら!もっと下がってろ!でないと、こいつの頭を吹っ飛ばすぞ!」


 男は、歯をむいて、取り巻いている俊介たちにわめいた。


「あの男は、背格好からするとおそらく仕舞冠太に違いないぞ!」


 トムは、迷いのない口調で、はっきり断言した。


 男は、鼻田の頭に銃を突きつけたまま、まるで、四倉が逃げる時間を稼ぐかのように、駐車場の方角に、ゆっくりと歩みを進めた。


「ちくしょう!人質がいたんじゃ、手も足も出ないな!」


 SATの隊員も、固まったように身動きできず、男の動きをじっと見つめるしかない。


 そんなこんなで、車の手前まで近づいた男に、世にも恐ろしいことが起きたのだ。


「うおーっ!顔が熱い……顔が焼けるーっ!ぎゃーっ!」


 男は、銃を手から落とし、両手で顔を覆うと、もんどりうって、この世のものとも思われぬ悲鳴をあげた。


 何と、信じがたいことに、冠太の顔から真っ赤な炎が噴き出したのだ。


 男の叫び声は、崖を降り下る四倉の耳にも届いた。


「冠太の声だ!何だ?何があったんだ……」


 四倉は、くるりと振り返ると、逃げるのはそっちのけで、だしぬけに、別荘へと這い上がって行った。


 冠太は、顔から火を噴いたまま、ごろごろと転げ回った。


「水をかけろ!急げ!」


 遠山は、ホースを見つけて水栓を開くと、勢いよく出た水を、冠太の顔に浴びせかけた。


 ところが、おどろいたことに、火は消えるどころではなく、ますます、大きく燃え上がって、首から上に大きく炎が上がったのだ。


「燃えているのは化学物質だ!水はダメだ!布でたたくんだ!」


 俊介は、来ていた上着を脱いで、炎に向かって、何度も叩きつけると、建物の中から、カーテンを引きちぎって持って来たトムも、冠太の燃える顔をはたいたり、覆いかぶせたりして、やっと、火が鎮まり始めた。


「なんてことだ!冠太!」


 崖から戻った四倉は、虫の息になっている冠太に駆け寄った。


「四倉明が現れたわ!」


 都真子が腕をねじ上げて手錠をかけたが、もはやすっかり、抵抗をあきらめた四倉は、黒焦げになって白い煙を上げる冠太に目を落とすと、わなわなと震えて、うわ言でも言うようにつぶやいた。


「もとはと言えば、冠太は顔面物質を使い過ぎたんだ!あいつは研究中から数えきれないほど、自らの顔を使って、がむしゃらに実験をしてたからな。挙句の果てに、とうとう、顔に蓄積した物質が限界になったんだな。そればかりか、顔面物質が酸素や水に反応するように変化するなんて、あいつだって、想像するのは無理だったろう!」


 瀕死の冠太の姿を見た四倉の心は、むしょうに、張り裂けるような苦痛を覚えた。


 なぜなら、四倉と冠太は、お互いが分身同士だったこともあって、そこに生まれた一体的な感情が、現に今でも、成長し続けていたからなのだろう。


「救急車のサイレンだ!救急車が来るぞ!」


 炎を吸い込んで、肺がすっかり焼け焦げていた冠太は、まるで石と化したようにピクリとも動かず、ついには、搬送先の病院で死亡が確認された。


 冠太の死に、こっぴどく打ちのめされた四倉は、真実をしゃべる気も失せ、うつけたように沈黙に落ちた。


 一方、不意打ちにあったように、冠太の死を知らされた権三は、半狂乱の体で心をかき乱し、嘆き悲しんだ。


 俊介は、権三に向かって決然とした口調で切り出した。


「冠太の死はあなたの責任だ!冠太に間違った愛情を注ぎこみ、更生する機会を踏みにじってしまい、その結果、冠太は、人の皮をかぶった怪物に育ってしまったんですよ。そればかりか、あなたは、怪物の言いなりになって、殺人にも手を染め、自らの人生を破滅に導いてしまったのです」


 権三は、負けた犬が遠くから吠えたてるように力なく言い返した。


「そんなことはない!あの子は誰よりも才能のある、とびきり優秀な子だ!ことごとく上手くいくはずだったんだ!おれが捕まって、へまをしたばっかりに、あの子を死なせてしまったんだ!」


 冠太の死に気が動転した権三は、罪の意識など、ろくすっぽ感じられない言い訳を並べたので、俊介は、白黒をはっきりさせるような口調で言った。


「目を覚ましてください!そればかりか、こともあろうに、あなたは八草沢会長の命を奪った殺人犯でもあるのですよ!」


 俊介は、殺人と言う弁解の余地のない罪を挙げると、権三も敵意をあらわにしてことばを返した。


「ふん!八草沢会長を俺だと思って、吊り橋から突き落としたのは辰夫だろ!俺は殺されなかったが、殺されたのと同じじゃないか!殺人犯は辰夫の方だ!今にして思えば、あいつは、ずっと、従うふりをしながら、不満を抱いて、俺を殺す機会を狙っていたのさ」


 権三は、自らは会長の殺人にはかかわっていないとうそぶいたが、俊介は丁寧にありていを語った。


「辰夫の父親が、会社の経営に失敗して負債を増やしたことを、責め立てたために、母親を道づれに自殺したんじゃないかと、辰夫があなたをひどく恨んでいることをはっきり知っていたはずです」


「そんなことは微塵も知らないね。俺は俺で、辰夫を信頼していたからな」


「なぜなら、あなたは、冠太の勧めもあって顔面薬で会長に成り済ましたが、そのためには、仕事上の敵対者としても、生きていられたら厄介な会長を、自らの手を汚さず殺す方法を考えたんです。それは、会長を吊り橋におびき寄せ、羽交を使って橋から突き落として殺すことですね。市長の殺害は、羽交によるあなたへの個人的な怨みとしてしまう方がつじつまが合うわけですからね。実際のところ、文字どおり、辰夫が罪を被った形になったではないですか」


「まあ、よくできたシナリオだ!俺には一切、身に覚えはないな」


 権三は、あくまでも、しらを切り続けた。


「それにしても、他人に成り済ますなんてことはやっちゃいけないことですよ。むろん、現代は、にせ物がのうのうと横行している時代とはいえ、あなた方が犯した罪は、こともあろうに、品物を飛びこえて、人間のにせ物を作り出そうとしたことですよ。しょせん、にせ物の人間は、にせ物の幸福を作り、にせ者の人生を送ることとなるんです。まぎれもなく、にせ物を作ることができるのは人間だけです。それゆえ、問題となるのは、人間が作った、一見、本物らしく見えるにせ物こそが、人を苦しめ、人を不幸にし、偽りに満ちた社会を作っていくことになるんです。だとすれば、本物の人間、本物の人生とは何か?もう一度、考えてみてください。何よりも肝心な点は、本物の幸福を願い生きる人間こそが本物の人間であり、本物の生き方をする人なんです」


 俊介は、にせ物が日の目を見ることはないことを、口をすっぱくして力説したが、曇った権三の目を覚まさせることは難しかった。


「どのみち、幸せに本物も、にせ物も、ありゃしないんだよ。どんな手を使っても、勝ち残った者が幸福なんだよ。幸福なんてものは、相対的なもんでね、うまい林檎だって、食べて幸せを感じる人間もいりゃ、嫌いで無理やり食べさせられたら絶望する人間だっているんだよ。幸せなんて、みんな同じ法は無いだろうから、人それぞれで違うんだよ。かりに万人に共通する幸せなんてものがあれば、それこそが本物の幸福に違いないだろうが、そんな幸福なんてありゃしないのさ」


 俊介は、にせ物にどっぷり浸かった権三を哀れに思った。


「してみれば、そう言うあなたこそ、こうして負けたからここにいるんですよ!にせ物の生き方をすれば、最初は勝っているように見えても、ついには、化けの皮がはがされて負けるんですよ!」


 権三は、俊介を睨みつけたが、負けたことは間違いないと、口ごもってしまった。


「会長殺害を認めないことはわかりましたが、ところで、吊り橋にいた女を知っていますね!」


「ああ、知ってるよ。羽交の妹、寿和子だ。どちらかと言えば、寿和子の方が、気性が激しくて、陰では自分の親は俺に殺されたと吹聴したあげく、受け入れられないとわかると、変なグループに入って俺に復讐しようとしてるって話を聞いていたよ。だとすりゃ、辰夫が妹の寿和子をかばって自首したんじゃないのかと俺は思ってるよ」


 まさに権三の言う通り、俊介がTS1で見つけた映像からは、辰夫より、寿和子の方が会長を突き落とす側に立っていたが、本当のところ、薬で朦朧としていた八草沢が、誤って自ら足をすべらして落ちたようにも見て取れるのだ。


《何しろ、暗い中だから、お互いに相手が突き落としたものと思っているのだろう。おそらく、二人とも手を触れていないことが証明されればはっきりするのだが……》


「わかりました。寿和子さんにも事情を聴いてみます。では、土壇田総理に成り済まそうとしたことについては、認めますね。おまけに、総理の誘拐や監禁はどうですか?」


「ああ、すべて……認めるよ」


 そこへ、都真子が、青ざめた顔で、取調室に入ってきて俊介に耳打ちした。


「なに?」


 俊介の顔色が変わった。


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