第40話 一日天下

「一国の総理大臣が、いとも簡単に成り済まされたとあっては、我々、警察の沽券にかかわるどころでは済まんぞ!だが、この件は、とても、おおっぴらにできる内容ではない。こんな事件が公になろうものなら、大勢の首が飛ぶ上、時の政権が倒れるかもしれん!」


 警視総監の大茂野大輔は刃条署長をじきじきに呼び出して、面と向かって言った。


「総理の成り済ましの幕引きを図るには、本物の土壇田総理を捜し出して、世間に気づかれぬ内に、偽物の総理を捕縛して退かせ、本物の総理を登場させることによって、もとの状態に戻すのが最上の方法であると思います!土壇田総理の居場所はわかっていますから、必ず、成功させます!」


 刃条は大茂野にひたむきな口調で提案した。


「その通りだな。かりに犯人が、わずかな間でも、総理に成り済ましたことを口にしたら、でたらめな作り話にすぎないと、くれぐれも、固く黙り通すしかないな!何よりかにより、誰にも知られぬようにひそかに解決するんだ!」


 刃条は署に戻ると、鼻田を呼んで、大茂野との話を伝えた。


「応援はないということですね!」


「これ以上、知る人間を増やすわけにはいかんのだ!」


「わかりました!我々だけで十分です!本物の総理は、まちがいなく、鳩飼野八重が理事になっている六湖津(ろっこつ)特養老人ホームに押し込められているはずです!入所者を驚かさないように、そっと踏み込んで、総理を救出いたします!」


 鼻田は、うやうやしい口調で刃条に言明した。


「私が推測するには、総理はまだ生きています。やつらは、薬物を使って、わざとらしく時間をかけて死なせようとするに違いありません。それでも、万が一、総理の命がもう奪われているとするならば、その時はどうすればいいでしょうか?」


 刃条は最悪の場合も計算に入れて、大茂野と打ち合わせていた。


「かりに、誘拐されて殺されたと発表しても、凶悪事件がひんぱんに起きるこのご時世だから、当然のことながら、国民には理解されるだろう。だが、誘拐を許したことだけは、まさしく、警察側の不手際として指摘を受けるおそれが十分ある。それゆえ、総理の死は、あくまでも、体調不良による突然死として押し通すつもりだ!何しろ、突然死なら、誰にでもあり得ることだからな!」


 鼻田は、もどかしげに、しぶしぶ納得するしかなかった。


 刃条は、鼻田に視線を注ぐと、険しい口調で言い放った。


「それでなくたって、刻一刻と、時間が過ぎれば過ぎるほど、権三のやつめ、できもしないことを、わがもの顔で、好き勝手に言い出しかねないぞ!すぐさま、作戦開始だ!一気に決着をつけるんだ!」


 鼻田は、署長室を出るやいなや、俊介に連絡した。


「施設に踏み込んでくれ!くれぐれも、大騒ぎを起こさないようにな!」


 六湖津特別養護老人ホーム前には、俊介、都真子、紫蘭の三人が、すでに待機しており、周辺には、まさか、土壇田総理の奪還が任務だとはつゆも知らない、多くの警官が、邪魔が入らぬようにへばりついていた。


 このとき、鳩飼野八重は、ホームには不在だった。


 まさか、合院が生きていて、すべてを警察に喋ったとは、夢にも知らずにいたのだろう、総理の顔に装置を着ける時間に施設に戻るつもりで、のうのうと自宅に潜んでいた。


 俊介らは、ホームの施設長、竹中笹子に面会を求めた。


「通報があって、人を捜しているんですが、捜査に協力願います。いちばん新しい入所者は誰ですか?その方に合せてもらえますか?」


「いいですけど、そういうことは理事長に許可を取らないと……」


「大丈夫よ!鳩飼理事長には連絡済みよ!」


 都真子は、有無も言わさぬ言い方で丸顔で太った施設長をにらんだ。


「わかりました。えーと、宝物市に住所のある岩井敬之さん、六十五歳ですね。昨日の深夜に、徘徊がひどいため、緊急ということでの入所です。理事長が直接、手続きしてますね」


「その人かもしれないわ!今はどの部屋にいるの?」


 竹中は、三人を四階の個室に案内すると、中央のベッドに横たわる、土壇田とは似ても似つかぬ顔をした男を指さした。


「この人です!」


「ぐっすり、眠っているわね。捜している男かどうか、本人確認をさせてもらいます!左腕の二の腕に五センチほどの切り傷の跡、右腹部に盲腸の手術跡、背中に灸の跡が十か所ほどよ」


「その通り、全部あるぞ!この男にまちがいない!」


 俊介が、男の身体を動かし確認すると、表情がほころんだ。


《よかった!間違いなく総理だ!死んではいなかったぞ!》


「この人は、別の施設に入所していて、他人をケガさせて逃げ出した行方不明者よ!」


 都真子が緊張感のあるひびきを帯びて言い添えると、竹中施設長は胸をどきつかせて言った。


「えっ!そうだったんですか!それで警察の方がこうしてお見えになったんですね……理事長からそんな引継ぎは少しもなかったので、てっきり、徘徊を繰り返して家族が困った挙句に、あんな時間に入所してきたとばかり思ってましたわ」


「じゃ、理事長さんには警察から報告しますからご心配なく!いったん、病院で診察を受けさせるので、救急車を呼びますよ」


「わかりました!よろしくお願いします!ああ、おどろいて、胸がどきどきしましたわ」


 俊介は、総理の誘拐を決め手として、野八重のもとに向かった寺場と遠山に、逮捕をせっついた。


「鳩飼野八重!動くな!誘拐容疑で逮捕する!年貢の納め時だ!」


 ろくすっぽ、油断していた野八重は、寺場たちが、ふいに自宅に踏み込んできたのに、目をまるくしておどろくと、まるで狐につままれたような顔で口走った。


《何がどうなってるの?何で誘拐がばれるの?》


 俊介は、歯切れのよい口調で鼻田に連絡した。


「総理は、まぎれもなく生きています。ちょうど今、救急車がそちらに向かっています。施設の鳩飼理事長も逮捕しました!」


「よくやった!病院は用意万端だ!お前も、すぐこっちへ来い!」


 刃条も鼻田から報告を受け、とりあえず胸をなでおろした。


 病院に運ばれると、昨夜、装置で変えられてから十時間近くたつ総理の顔は、もとに戻り始めていた。


「うう……」


「総理のうめく声だ!目を覚ましそうだぞ!総理!起きてください!総理!」


 土壇田は、窓からの光に、しばし、まぶしそうに目を開けた。


「君は誰だ……どういうことなんだ……」


「横州署の署長、刃条です!気がつきましたか?」


 刃条が、詳しいいきさつを説明すると、しまいまで聞いた土壇田は、あまりの突拍子もない内容に、一国のリーダーに成り済ますなど、ことのほか、許しがたいことだといきり立った。


「もちろん、捜査は内密に進めているんだろうな?」


「はい!警視総監と相談の上、誰にも気づかれないように、元の状態に戻すつもりでいます」


「よし!わかった!スマホはあるか?大茂野と話したいんだ」


 土壇田は、常軌を逸した犯行を凄まじい剣幕で非難した。


「大茂野くんか?ひどい目にあったぞ!こんな狂気じみた猿芝居を許しちゃいかんぞ!」


「無事で何よりでした!まさに、お話の通り、総理が回復された今、決着は間近です」


「一刻も早く、そいつをふんづかまえて、元に戻してくれんか?」


「わかっております。何しろ、マスコミに嗅ぎつけられると格好の餌食となりますので、ことのほか、密かに進めております。おおっぴらに動けませんが、そこにいる刃条は優秀な男なので心配ありません。もう起き上がれますか?」


「ああ、大丈夫だ!少し頭がぼうっとするが、薬の影響だろう。この件を人に知られたら、なんと間抜けな総理だと死ぬまで言われてしまうからな」


「ご冗談を!さて計画では、やつの顔がもとに戻るのは夜の十時です。やつはそれまでに顔を変えるための装置を装着せねばなりませんから、それを阻止すれば、まさしく、化けの皮がはがれると同時に御用と言うわけです」


「そりゃ、見ものだ!どれだけ、あわてふためくか、とくと見てやろうじゃないか!それじゃ、ここを出るから、官邸で待機していてくれ」


 土壇田は、たちどころに機嫌を直すと、はじかれたように起き上がった。


「ところで、刃条くん!着替えをくれないか?」


 刃条は、土壇田が目を覚ましたあと、病院から気づかれずに抜け出すために、電力会社の社員の制服を一式、用意させていた。


「ハハハッ!これなら、わかりゃしないな!」


 土壇田は、つばの長いキャップを深くかぶり、マスクとメガネで顔を隠して、いそいそと病院を出ると、鼻田の運転する覆面パトカーで官邸に向かった。


「あと一時間だな……そろそろ装置で顔を新しくしないと、えらいことになるぞ……」


 権三は、顔を維持するために、顔に装置を装着する時間を気にしていたが、目の前にいる外国の要人たちが話を止めようとしないのだ。


 権三は、次第に、やきもきしてきて、話に集中できなくなってきた。


《おい!時間がない!早く話を終えて帰ってくれ!》


 権三は、とうとう、しびれを切らして、用をたしに行くと言って、話を中断しトイレに駆け込んだ。


《仕方がない!顔を維持する方が優先だ。おやっ!ここに置いた装置がないぞ!》


 それもそのはず、電気工事と称して、官邸にもぐりこんだ俊介と土壇田は、権三のことだ、間違いなく、自らの目と鼻の先のどこか手のとどくところに、顔面装置を置くだろうと予測し、上手いこと見つけ出して持ち去っていたのだ。


 権三は、鏡を見ると、みるみる、くずれてきた自分の顔が目に飛び込んで来て、泡を食った。


《しまった!これじゃ、人前に出れやしないぞ!》


 権三は、トイレにこもって出られなくなった。


 その隙に、電力会社の制服から、スーツに着替えた本物の土壇田総理が、何食わぬ顔で要人の前に現れ、話の続きを始めた。


 スムーズに偽物と本物の交代は成功したのだ。


 そのくせ一方で、権三の顔は、まさしく、完全に仕舞権三の顔に戻っていた。


「どなたかいますか?」


 大茂野によって、不審者が官邸にいるかもしれないと、わざとらしい情報が流されたことで、やっきになったSPは、官邸内を駆け回り、トイレ内にも甲高い声が響いた。


「万事休すだ!」


 権三は、肝を冷やして、全身から汗が噴き出た。


「俺は総理だが、腹の具合が悪くてな……悪いが、お客に帰るように言ってくれ!」


 権三は、腹痛を理由に逃げ切ろうと考えたのだ。


「何?誰だ、お前は!出て来い!」


 総理が、たった今、要人と話してる姿を見て知っているSPは、わめくように口をとがらすと、即座に、ほかのSPも招集した。


 とうの権三は、ばれているのも知らず、総理のつもりで言い返した。


「総理のことを、お前とは何だ!首を洗って待ってろ!」


「そりゃ、こっちのセリフだ!おい!発煙筒をぶち込め!」


 なにせ、ふいに本物の総理が現れたのだ。

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