第41話 顔には顔で

 SPの一人が、言われた通りに、権三が身を隠しているトイレに発煙筒を投げ入れた。


「うおっ!息ができない……」


 煙で呼吸ができなくなった権三は、たちまち、トイレから転げ出て来た。


「お前か!官邸に侵入するとはとんでもないことだ!身のほど知らずなやつめ!」


 土壇田は、権三の顔をひたと見つめると、はげしい剣幕で啖呵を切った。


「おまけに、SP諸君!官邸に侵入者を許すなんてことは、これは君らの不手際として大変なことになるぞ!」


 総理の脅しめいた演技だが、真に受けたSPたちは、そろって、いっせいに青ざめた。


 だが、土壇田は、がらりと一転、やわらかい口調になって言い添えた。


「まあ、かわいそうだから、そうならないように俺から警視総監に言っておくから心配するな。だから、くれぐれも、このことは内密にするんだぞ!いいな!」


「わ、わかりました……」


 SPのチーフは胸をなでおろしながら返事をした。


 権三のバカげた野望は、たった一日で崩れ去り、悔しさに歯を噛み鳴らしながら、なす術もなく、パトカーに乗せられ連行された。


 こうして総理大臣に成り済まそうとした、全体未聞の狂気じみた計画は、俊介たちの活躍によって幕を閉じたのだった。


 翌朝、署では、鼻田を中心に、捜査会議を開いていた。


「権三の失敗や鳩飼の逮捕のことだけど、鼻の利く冠太たちに嗅ぎつけられるのは、おそらく、時間の問題よ。こうした時間にも、一刻も早く、あいつらを追い詰めないと、たちまち、逃げられてしまうわ!合院の情報では、八草之宮ホテルに冠太たちの研究室が隠されているはずよ!すぐにでも踏み込みましょう!」


 都真子は、何度も逃げられた、抜き差しならない過去を、苦々しく思い出していた。


「今は二人が逃げないようにホテルを見張らせているが……」


 鼻田は、手綱を緩めることなく、隙のない体制をとっていることを示した。


「都真子の言う通りだ!今が、二人を捕まえるための、またとないチャンスだ。二人をアメリカで取り逃がし、こうして日本まで追いかけて来たにもかかわらず、ここで無駄骨に終わらせるわけにいかないよ!」


 帰国する日程が、じりじりと迫りつつある特殊捜査官のトムテリカンも、遮二無二、即刻の突入作戦の実施を急かした。


 俊介は、中身のからっぽな、さしずめ、力ずくだけの作戦では、二人を捕まえることはできないと危惧していた。


「冠太が、いや、正確には四倉だが、やつが刑務所を脱走したときと同じように、スズメバチが刑務官を襲ったような異常な騒ぎとなる可能性がありますね。それゆえ、宿泊客がいる中で突入すれば、巻き添えを食らって被害者が出ますから、突入は宿泊客を非難させてからでないとできません」


 鼻田も、脱走の件では、こっぴどく煮え湯を飲まされたことが、つくづく、思い出された。


「警官は、スズメバチにやられないように防護服を着用して突入だな。他にも四倉が奇怪な能力で意表をつくことは十分あり得るぞ。くれぐれも、そうした状況下で、客の命を守るのは至難のわざだな」


 俊介は、もっぱら、客の安全を頭に浮かべ、一か八かの策を提案した。


「おそらく、ホテルから、わざと二人に逃げてもらってから、人気のないところで捕まえる方が、のっけから客を巻き込まなくていいですね」


「そりゃそうだわ。とは言っても、本当に、逃げられてしまったら終わりよ!」


 都真子は、せっかく追い詰めて、目と鼻の先にいる二人に、まんまと逃げられて、捕まえることが台無しになることを恐れた。


「当然のことながら、逃がさないようにするためにこうしましょう。とっぱじめに、鳩飼が持っていた装置を使って、我々の中の誰かが総理の顔に変身して、何食わぬ顔でホテルに行くんです」


「ええっ!」


「それでなくたって、総理の顔をしていれば、二人は、何らかの理由で、権三が成り済ましを失敗して、すごすごと戻ってきたと思うでしょう」


 遠山も、反論するように、もどかし気に口を挟んだ。


「でも、本物の総理が目を覚まして、施設から抜け出してきたと思うかもしれませんよ!」


「それはないよ!正気に戻ったところで、わざわざ、二人を捜して会いに来る理由は何もないじゃないか」


「そう言われば、そうですね……」


 俊介は、頭に閃いたことを、よどみなく続けた。


「して見れば、二人は、こともあろうに、権三が舞い戻って来たことを不審に思って、間違いなく、姿を見せるはずです。そうやって、おびき出しておいて、がっちり、捕まえるというのがいちばん単純な方法です」


「しかし、捕まえようとしたとたんに、ハチの攻撃があるんじゃないのか?そこへもってきて、身動きの悪い防護服を着て、すばしっこいやつらを捕まえるのは難しいぞ!」


 鼻田は、そういう際の常として、現場でもたもたすることを嫌がった。


「いや、そこでは捕まえないんです!何より肝心なのは、権三もいっしょになって、ホテルの外へ逃がすんです。それというのも、二人がホテルから出てしまえば、宿泊客が被害を受けることはなくなるってわけですから!」


 都真子は、不安そうな口振で問いただした。


「それはそうと、どこへ逃げても確実に追跡できるの?」


「ああ、そこが肝心だ!ずばり、場所を決めておいて、そこへ逃げ込んでくれれば、あとはふんづかまえるだけだ!」


「場所を決めておくって、いったい、どこにするわけ?」


「たとえば、八草沢会長の別荘なんかどうだろうか?とりわけ、知られていない場所だから、二人も、不自然に思わず、疑わないだろう。ただ、問題は、捕まえるときに、ハチや虫の攻撃をどう防ぐかだが、なおのこと、四倉が虫に命令を出せないようにすればいいんだが……」


 トムが、問いに答えるように言葉を返した。


「漠然とはしているが、薬で眠らせるか、殴って意識を失わせるしか方法はないな!そうだ!別荘に着いたら食事を取り、そのときに眠り薬を混ぜて眠らせるんだよ!」


 俊介は、それほど、優れた方法とは思えなかったが、他には思いつかなかった。


「どっちみち、いい手はないから、それで行きましょう!いずれにせよ、どうですか、この策は?」


 俊介が尋ねると、鼻田は、腑に落ちない点もあったが腹を決めた。


「一応は、理にかなってる!やってみるか!」


 鼻田は、すぐさま、賛成を口にしたが、一つだけ疑問が残った。


「ところで誰が権三をやるんだ?」


 誰もが、同じように想像した名前が、紫蘭の口からころがり出た。


「そりゃ、鼻田係長でしょ!いちばん、体型が似てるもん!」


 全員が鼻田をのぞき込むようにひたと見つめた。


「おいおい!おれか?」


「だって、話し方なんかもそっくりですよ!それに、人のものまねだって、得意じゃないですか?総理の真似してみてくださいよ」


 遠山が調子に乗って、鼻田をけしかけた。


「えー、やるのか?ふんふん、私が土壇田だ!」


「そっくり!そっくり!」


 紫蘭はころころと笑い転げた。


「まいったな……」


 鼻田は、犯人のふところに、直接、とび込むという危険な芸当を、今さら、部下に押しつけるわけにもいかず、崖から飛び下りる気持ちで引き受けるしかなかった。


「そうと決まったら、善は急げですよ!すぐ開始しましょう!」


 俊介は、総理の顔の情報がプログラムされた顔面装置を、鼻田の顔に、すっぽり取り付けた。


「まるで仮面をかぶった怪人のようですね。苦しくないですか?スイッチを入れますよ!」


「ああ、大丈夫だ!やってくれ!」


 俊介が、装置のスイッチをパチッと入れると、上部に取り付けてある液晶画面のデジタルタイマーが、さくさくと動き出し、終了までのカウントダウンが始まった。


 身じろぎもせず、ソファに仰向けに横たわった鼻田をじっと見つめていたが、たったの十五分間が、とてつもなく長く感じる。


「終わったぞ!」


 おそるおそる、顔面装置を取った鼻田の顔を見ると、一同、肝をつぶした。


「わーっ!総理だ!まさしく土壇田総理だ!」


「よし!こうしちゃいられないぞ!俺が、たった一人で、ホテルに行っておびき出すから、お前たちは、ハチ対策をして、全員、八草沢会長の別荘周辺で待機していろ!その方が怪しまれないだろう!」


 鼻田は、先頭を切って、車に飛び乗った。


「研究室の人を呼んでくれないか?」


 八草之宮ホテルに到着した鼻田は、冠太に気づかせるために、素顔でフロントの前に立った。


 さいわい、アルバイト職員が対応したおかげで、鼻田の顔は、総理に似た客が来たぐらいにしか判断されず、ことのほか、大騒ぎになることはなく、冠太をおびき出すことに成功した。


「どうしたんだ!おやじ!」


 冠太は、おどろいて、ロビーに現れたが、もともと、四倉の顔が冠太の顔のため、だれも仕舞冠太と気づく者はいなかった。


 一方、鼻田は、土壇田の顔をさらし過ぎると、総理だと騒ぐ者が出るかもしれないと考え、いそいそとメガネとマスクを着けた。


「装置を奪われたみたいだ!ばれる前に抜け出してきちまったよ……」


「どうして、ばれたんだろう?」


「そりゃ、つまり、野八重が捕まったんだよ!あいつがぺらぺら喋ったに違いない!おまけに、本物の土壇田も施設から見つけやがったのさ。ここもやばいぞ!すぐに逃げるんだ!八草沢会長の別荘なら安全だ!俺がカギを持ってる!」


「わかった!おやじ!それじゃ、おやじの顔を会長の顔に変えよう!」


「えっ?ああ……たしかにその方が安心だな!」


《とほほ……また、あの機械をかぶるのか……》


 鼻田は、ただちに、研究室に連れて行かれると、またもや、装置を被せられ、がらりと一変、八草沢会長の顔にとっ替えられた。


「おい!係長の車が動き出したぞ!」


 俊介たちは、とうに別荘に向かっていたが、当然のことながら、鼻田の車に取り付けたGPSで、冠太たちの動きを監視していた。


「海だ!」


 ふいに四倉が口をついた。


 青く広がる海からは、磯によせる、ざばざばした波音と、遠くの釣り船の白い豆粒のような船体が、プカプカと浮かんでいるのが見える。


「別荘はあの断崖にある!海は目と鼻の先だ!ながめはいいぞ!」


 鼻田は、訪れたこともないくせに、あてずっぽうを演じたが、急な坂道に右に左に揺すられると、わざとらしい言葉など、どこへとなく、かき消された。


 やがて、引っ込んだ崖の上に、ぽつんと建つ大屋根の別荘が現れると、やけにだだっ広い敷地の駐車スペースに、車を乗り入れた。


「腹が減ったな!遅まきながら昼飯でも食おう!」


 鼻田は、せかせかと喋りながら、途中で購入した食材に、気づかれずに眠り薬を入れる算段を始めた。


 とりもなおさず、とっくに到着して別荘裏の林に潜む俊介たちは、鼻田による四倉への対応の首尾しだいで、建物に突入するタイミングをうかがっている。


 こうして二人の逮捕まで、一分の隙もなく、あと一息というところまでさしかかったのだが……


《おや?……おやじの手の甲の傷がない……もしや?》

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