第39話 狂気じみた計画

「これっぱかしのミスも、失敗も許さないぞ!」


 八草之宮ホテルでは、へまをした合院にかわって、会長の三男、門次郎が、ひょっくり、社長に復帰していたのだ。


 門次郎は、こともあろうに、総理大臣が宿泊することを告げられ、おまけに、非の打ちどころのない接待まで命じられると、雷に打たれたように引きつり、泡を食ってばたばたしていた。


「総理が泊まる貴賓室の準備だけは、俺がやる!」


 権三は、そう言って、前日から四倉と仕舞を忍び込ませ、万事ぬかりなく、総理を誘拐して、自らが成り済ますための天井裏の仕掛けの設置を急がせると、ぴしりと当日の昼には完了した。


「これで、いつ総理が来ても大丈夫だ!」


 夕方になると、予報通り雨が降り始め、演説の際は、レインコートと傘で、ずぶ濡れの雨をしのいだ土壇田総理が、ものものしい警備体制に守られて、ホテルに到着した。


「ひどい、雨だったな。ひとっ風呂浴びたいもんだな!」


「夕食会を遅らせますか?」


「そうしてくれ!夕食会もへったくれもない!体の芯まで冷えちまったな!こりゃ、かなわんよ!」


 土壇田は、温泉に浸かりたい気持ちを抑えきれず、否応なしに、夕食会は三十分ほど遅れて始まった。


 八草沢興業の会長であることから、会場に席を許された権三は、土壇田の一挙手一投足に注目すると、成り済ました際のことをあらん限りイメージして、胸算用を立てていた。


 型どおりに始まった夕食会は、おべっか使いや、抜け目のない連中に、総理が何かと吹き込まれないように、秩序立って進行して幕となったが、雨は一段とはげしさを増して、稲妻まではるか遠くで鳴っている。


「まるっきり嵐のようだな」


 土壇田は、だだっ広い貴賓室に入った。


 午前零時を過ぎたころ、足音をかき消すかのように、雨が音を立てて降り続く中、四倉と権三、そしてオリバーが相次いで、天井裏へと這い上がった。


 仕掛けたカメラで貴賓室の様子を画面でとらえると、土壇田は大臣らから、わんさと来る報告をほめたり、とっちめたりしながら処理している。


「ちくしょう!当分は床には入らんな……」


 三人は、息をひそめて、捨て鉢気味にじっと待っていると、土壇田が床に就いたのは、ゆうに午前一時を過ぎていた。


「じゃ!睡眠ガスをぶん撒くぞ!」


 通風孔からベッドの辺りを目がけてガスが噴射されると、自然の眠りと相まって、土壇田の寝息がかすかに聞こえ、やがて、いびきまでかき始めた。


「どれ!始めるか!」


 天井の一部が、左右にすっーと開くと、黒々としたガスマスクを装着した権三が、だしぬけに、縄梯子を降ろして、静かに床まで降りて行った。


 権三は、横たわっている土壇田の顔を眺めながら、ベッドシーツの四隅についたリングにロープの先のフックをかけると、天井に向かって、親指を突き立てた。


「吊り上げるぞ!」


 オリバーが、自動制御のスイッチを入れるやいなや、巻き上げ式の回転ドラムが音もなく作動し、シーツにくるまった土壇田を天井まで吊り上げ、巻き終わると、四倉がぴしゃりと天井を閉めた。


 権三は、ガスマスクをつけたまま、換気ファンを強力にして催眠ガスを排出すると、マスクをすっかりはずしてベッドに入った。


「成功したぞ!」


 オリバーと四倉は、業務用のエレベーターを使って、土壇田を地下駐車場まで降ろすと、ひょっこり現れた冠太が運転するミニバンに乗せたあと、ざあざあ降りの雨の中を、わき目もふらず、施設へと直行した。


 特養施設では、鳩飼野八重が、抜け目なく、夜勤の職員の小野に説明して裏の出入り口で待機していた。


「そろそろ車が来るよ!夜中に徘徊して、やっと見つけておとなしくさせたそうだよ。こんな時間に入所だが仕方ないね。他の入所者を驚かさないようにそっと中に入れるんだよ」


 ミニバンは、何事もなかったように、裏口につけると、眠っている男を運び出し、用意した車いすに乗せて建物内の個室に収容した。


「暴れたから、鎮静剤を打ってます!」


 四倉は、そう言って、小野に男を引き渡したが、すでに車中で、土壇田の顔に装置をかぶせ、別人の顔にすり替えていたのだ。


 翌日、総理として目を覚ました権三は、鏡の前に立って、しげしげと自分を見つめると、言葉が舌の先からこぼれた。


「こりゃ、たいしたもんだ!すっかり土壇田総理の顔だ!」


 権三は、その日、れっきとした総理大臣として、朝から一日のスケジュールをこなしていったが、誰も、権三が総理を演じていることに気づく気配はなかった。


 しいて言えば、みんながみんなというわけではないが、いつもの総理より、声が甲高いと感じる者がいたくらいだ。


 言うなれば、前代未聞の計画は成功したのだ。


「どう!総理になった気分は!」


 冠太は権三に連絡を入れてみた。


「最高だな!何しろ、大勢の人間がおれの指先一つで動くんだ!」


「時間をしっかり測ってよ。十時間になる前に、薬を注入した装置で顔を維持しないと、もとも子もないからね」


「わかってる!失敗したら、それこそ、どえらいことになるからな!そうなると、何より肝心なのは、何時間でも、びくともしない薬が必要ってことだな!」


「ああ、まさにその通り!とりあえずは、持続時間を二十四時間に延ばせそうだ!」


 首相官邸には、びっしりと記者が待っていた。


「今日は重大な発表がある。政府の機能の一部を横州市に移転するつもりだ。くれぐれも大地震に備えないとな」


 とっぴな発表は、世間をぎょっとさせたが、かねがね、首都圏に集中しすぎている機能を、まさしく大地震から守るためという大義名分は、どちらかと言えば、説得力のない理由ではなかった。


「こいつは面白いぞ!政治と言うのは、あっちを立てれば、こっちが立たずってやつだがな……さて、次は何をやらかしてやるかな!」


 だが、権三たちの魂胆も、とうてい、そう長くは続かなかったのである。


「おどろくことに、患者の意識が回復しました!」


 意識を無くしていた合院が、ぱちぱちと目を開けたのである。


《ここはどこだ?病院か、うう……身体中がムチでたたかれたように痛い。いったい、俺は何をされたんだ?》


「おい!意識がもどったようだな!合院!」


 鼻田係長と俊介、都真子がベッドの脇に立っていた。


「横州署の鼻田だ!気分はどうだ!」


「おれはいったいどうなったんです?」


「お前は、仕舞冠太の身代わりに、八草ホテルの屋上から、自分で飛び降りたんだよ」


 鼻田は、しみじみとした口調で言った。


「ああ、思い出した。そう言ってたな……だが、よく俺は助かったな……」


 俊介も、現場の状況を目に浮かべながら話しかけた。


「お前は、ことのほか、悪運の強い人間だよ。たまたま、下に車が止まっていてくれたおかげで、後部ガラスを突き破って落ちたんだよ。座席がクッション替わりになったんだ」


「悪運か?そんなものが残っていたんだな」


「ところで、今あんたが思い出した、そう言ってたという人物は誰なの?」


 都真子は、合院のつぶやきを聞き逃さず、ふいに聞き返した。


「それじゃ、こんなことをしていていいんですかい?」


 合院は、傷だらけの顔面に不敵な笑いを浮かべた。


「そりゃ、どういう意味だ?」


 鼻田はけげんな顔をして問い返した。


「それじゃ、大事なことを喋るから罪を軽くしてくださいよ。その約束をもらえないと喋る気になれないな。おれにしてみりゃ、どっちでもいいことなんでね」


「わかった!いくらでも軽くしてやる!まあ、どうせこの場で決められることじゃないがな!大事なことってのは何だ?」


 合院は、ひたと鼻田を見つめ、鋭い目つきで言った。


「俺を殺そうとしたのは仕舞権三だ!」


「何を言ってるんだ!権三はもう死んだ人間じゃないか?」


「ハハハッ、痛てて!」


「ばかやろう!笑う奴がいるか!傷口が開くぞ!」


「権三は死んじゃいねえんだよ!死んだのは八草沢会長だ!権三は会長に成り済ましてんだよ!」


 俊介は、冠太が事件に使った薬物を頭に浮かべて言った。


「それじゃ、まさか、吊り橋で死んだのは、権三に顔を変えられていた会長だってことだな!」


「その通りだ。お前さん、頭がいいね」


「何を呑気なことを言ってやがる!お前だって、冠太に顔を変えられて殺されるところだったんぞ!」


 鼻田は、呆れたように荒げた剣幕で言った。


「こっからが大事なところだ。今頃、権三はどうしてると思う?」


「そりゃ、八草沢会長のふりをして息巻いてるんだろう」


「そんなんじゃねえよ。今ごろは総理をやってるぜ」


「何を言ってるんだ!お前は!」


 鼻田を始めとして、一同が耳を疑った。


「総理が横州市に来ただろう。そのときを狙って成り済ましたのよ」


「バカな!よりによって、総理大臣に成り済ますなんて、選ぶ相手にもほどがある!」

 

「じゃ、確かめてみるんだな。おれが言ってることがウソかどうかな」


「確かめてみるったってな!総理大臣を相手に、あんたは偽物ですかって聞けるわけがないだろう!」


 鼻田が興奮して口走ると、俊介が合院に聞き返した。


「じゃ、本物の総理はどこにいるんだ!まさか、殺したのか?」


「ああ、福祉施設とか言ってな。野八重のババアが理事だとよ」


「鳩飼野八重ね!赤屋敷のボスだわ!その施設に総理を入れたのね」


「そうだ。ずっと死ぬまで眠らせておくって言ってやがったよ。まあ、もう死んでるかもな」


 俊介は目を光らせて言った。


「総理を先に発見すれば、権三の成り済ましを暴くことができますね。それからもう一つ、仕舞冠太はどこにいるんだ?」


「八草之宮ホテルだよ。あそこに研究室を移すっていってたな。そこには、四倉って相棒や、アメリカシープアイのオリバーってやつもいるぜ。どうだい、これだけ、いい話をしたから、無罪でどうだ!」


「調子に乗るな!」


「まさか!総理大臣が成り済まされるなんて!」


 俊介たちは、狂気じみた話に鳥肌が立つような恐怖を感じたのだった。


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