第17話 奇妙なる脱獄

「心配するな!根拠となるデータは渡してある。検察が、上手く説明できるかどうかにかかってる」


 俊介は、決然とした調子で都真子にことばを返した。


 双葉は、プロジェクターとスクリーンを用意させると、説明を始めた。


「まず、被告人が映る、この映像をよく見ていただきたい。この映像は、被告人の顔を拡大したものなので、実際の映像はこうなります!」


 次の映像へと進むと、そこには、被告人の上半身と、そのバックには愛宕台団地とその上方に星の輝く夏の夜空が映っていた。


「さらにもう一枚見ていただきたい!これは、先週、撮影した同じ位置からの映像です。そして、次に行きますよ!次は、二つの映像を比較しやすいように並べたものです」


 スクリーンには、二枚の映像が並んだ。


「見ておわかりのように、夜空の星座の位置が違っております。天文学研究所に調べてもらったところ、被告人が映った映像の星座は、事件の時期と一致しております。さらに、よく見ますと、被告人が映る映像には団地の上部に何も見えませんが、先週の映像にはが薄明かりが見えます。これは、団地内のクリーニング店の灯かりです。クリーニング店はお客の少ない木曜日が定休日ですから、事件があった当日は木曜日で定休日ですから、灯かりがついていないのです。つまり、被告人が映ったこの映像はしっかり犯行当日を証明しているのです」


 団田は、難癖のつけようがなかった。


 双葉は、有無も言わさぬ口調で畳みかけるように言った。


「いずれの国であっても、悪いものは悪いと言い切れることが、最初の一歩であり最後の一歩です。つまり、この善悪の判断基準こそが、犯罪者と最も深く関係している張本人で、犯罪の毒ってものなのです。悪いと思っていたが、やってしまったというのは、意識の奥深いところでは、本当は悪いと思っていないだろうと判断されます。なぜなら、本当に悪いと思っていたら、絶対やらないからです。だから悪を判断する基準は、心の持ちようより犯した行為となります。被告人が被害者に人体に有害な物質をスプレーとして吹きかけたことは、どんな事情があろうと、罪として消えないのです。ここで、もう一つ、被告人が現場にいたことを証明したいと思います。お入りください!」


 すると、ばつの悪そうな顔をした母親に付き添われて、のこのこ現れたのは、四倉が虐待から救った、幼児だった。


 四倉も、ぎくりとして、幼児に視線が釘づけになった。


 双葉は、すかさず幼児に尋ねた。


「あのおじさんを知ってる?」


「うん……病院に連れてってくれた……」


「裁判長!これで被告人が現場にいたことは間違いありませんね!証人能力に年齢制限はないはずです。五歳の幼児といえども、この児はちゃんと被告人のしたことを覚えています」


 団田は手痛いしっぺ返しをくらった思いだ。


 双葉はうやうやしい口調で話を続けた。


「被告人には、もう一つ、疑うべき罪がある。それは、被害者たちの顔に細工をしたことである。例え、数時間であっても、顔に何らかの物質、いや薬剤を塗り、一時的に加工したのです」


 双葉は、自らが優勢な状況を感じつつ、モニターに注目させた。


 そこには、人間の顔の映像がずらりと並び、中には奇怪な顔もある。


「これは、明らかな傷害罪となる行為です。被告人は、現実の世界を仮想世界と勘違いして、被害者の顔を作り替えようとしたことは、自覚できてはいないかもしれません。だから被告人が起こした犯罪を止めるには、一日も早く仮想化した世界に気づかせないといけないのです。そして同じ仮想世界を持つ人間が感電したように同じ犯罪を繰り返し起こすことを考えると現代は新犯罪時代と言っていいかもしれません」


 団田は、やっと反論すべき点を見出し、口から泡を飛ばした。


「顔を作り替えて生きるなどは、これこそ、まさに仮想的な話であり、あたかも本当の話のように語り、検事ともあろう方が、語られれば、聴衆は、疑いなく信じてしまいます。いったい、被告人が実行したという証拠が、どこにあるのでしょうか?罪を罪としてちゃんと成立させないから、無実の罪に泣く人が出るのです。正しい世の中に戻さないと駄目なんです」


 双葉は、正直なところ、明確な証拠がないまま喋っていることに、煮え切らなさを感じていた。


「はっきりとした証拠が得られず、加害者を泣き寝入りさせてはなりません。理由は不明でも、実際に被害を受けた人間を救うことが大切です。この件で、被害者が置き去りにされてしまったことは間違いありません。立証は不可能ですが、事実はあります。この事実を持ってして罪とは何か考え、被害者の心に損害を与えたことが罪として真実を話すことを期待します」


 団田は、がらりと一変、劣勢から優勢に出るチャンスを得たと、せせら笑った。


「被告人が、証拠もないのに、あたかも、犯罪行為を為したかのような言い方をして償いの心を求めるということは被告自身の内面から、本当の償いの気持ちを産み出す行為ではありません。被告人に無いものを無理やりに着させて心の重荷を増やすことです。被告人に濡れ衣を着せるような真似は止めていただきたい」


 結局のところ、顔の加工については、確固たる証拠がないことで、団田に押し切られて、ひねりつぶされてしまった。


 最後に、被告人の最終陳述の時間が取られ、四倉は恩着せがましいような調子で話を結んだ。


「私がもし、罪を犯したならば、刑罰を我慢することが償いと考えています。刑務所とは罪を償うための場所ですが、収容されている大勢の受刑者が全員改心し二度と同じ過ちを犯すまいと固く心に誓うのでしょうか?罪の意識を自覚して被害者たちへ償いの心を示しているかわかりませんが、私は、被害者の立場に立って、被害を受けた方からは信じられず無意味なことだと思われても償う気持ちをもって刑務所に入ります。しかし、私は、無罪を主張します。あまりにあいまいな証拠ばかりで罪を作り上げないでください。私の言いたいことはそれだけです」


 裁判は結審し、判決は二十日後になって、結局のところ、懲役五年の実刑判決が下った。 


 スプレーを噴射した行為は、被害者が重い後遺症を患ったり、殺意を感じたりしたことによって、まぎれもなく重罪と判断されたからだ。


 四倉は、判決にとやかく言うこともなく、仕舞冠太として、まんじりともせず刑務所に入った。


 まさしく、少年院、アメリカの刑務所、あげくの果てに日本の刑務所と、自らが犯した罪を反省し、自責の念を感得する場所への入所は、よもや三度目である。


 基本的に、規則に沿って、厳しいルールが山ほどある点は、どこの施設も同じであり、刑務所生活の厳しさに慣れるまでは、ほとほと、うんざりしたが、とうに少年院で学んだ処世観があった。


「地獄だろうと、しばらくいれば適応するのが人間だ!」


 四倉は、人間と言わず、あらゆる生物、もしくは生命というものが持っている、環境への適応能力の高さを知らず知らずに身につけていたのである。


「今は冬だから、春になるまで虫はいないな」


 おまけに、昆虫たちと交流する能力は、むしろいっそう磨きがかかっていたから、冬でも活動するカメムシやフユシャク、サシガメなど小型の昆虫を暖かな場所に呼び集めては遊ばせていた。


 折もおり、アシナガバチをありありと見たのは、作業所だった。


《冬でも屋内には、わが友がいるじゃないか!》


 四倉は、むしょうに気になって、刑務所内にある図書室から、昆虫図鑑を借りて来て読んでみると、冬でもスズメバチやアシナガバチの女王蜂だけは、巣の中や屋根裏、床下で生き延びて冬眠していることを知った。


《スズメバチを呼び出してみるか》


 その日は、小雪が舞う、肌寒い一日であったが、四倉が念じると、どこからともなく、スズメバチの女王蜂が、ちゃんと現れたのである。


《痛い目に合わせてやりたいヤツがいるんだ!》


 四倉は、作業が遅いとか、早く食べろとか、わがもの顔で怒鳴ってばかりいる刑務官のボスがいたので、囚人にとって楽しみの一つである食事を不味くする最大の邪魔者としてターゲットに選んだ。


 四倉は、作業の時に、スズメバチの女王蜂を呼び寄せ、肩に乗せたまま、食堂まで連れて行くと、相変わらずボスが、わめき散らしている。


《うるさく騒いでいるあの男の唇を刺してくれ!》


 女王蜂は、四倉の肩から、ボスの唇目がけて、まっしぐらに飛んで行くと、やにわに分厚い唇に鋭い針を刺した。


「ギャッ!」


 ボスの怒鳴り声は、金切り声に変わった。


「痛っ!スズメバチだ!」


 話によると、ハチは針を刺した後は死ぬとよく言われるが、それはミツバチに限ったことであり、スズメバチの針は、出し入れができる針のため、何度でも刺すことができ、死ぬと言うことはないのだ。


 四倉は、女王蜂に、ただちに帰還を命じた。


「大丈夫ですか!」


 もう一人の刑務官が駆けよったが、囚人たちは、何事もなかったように黙々と食事を続けている。


 ボスは痛みをこらえながら、きいきい声をあげた。


「お前ら!何を黙ってメシ食ってるんだ!とぼけやがって!」


《いい気味だ!》


 囚人たちは心の中で嘲笑った。


 四倉は、ボスの惨めな姿を見ながら思った。


《懲りなかったら、またやってやるからな!》


 ボスの唇はみるみる腫れ、顔面まで激痛が広がると、とうとう意識を失って倒れてしまった。


「おい!大変だ!担架を持って来い!」


 刑務官たちは、あわてふためいてボスを医務室に運び出した。


 その後、何日たっても、ボスの姿は見かけなくなり、噂では、かなりのアナフィラキシーを起こして仕事には復帰できず、早期に退職したらしいとのことだった。


《こうなると、いつまでもこんな場所には居るべきではないな。冬の虫たちを使って脱獄を早めよう!》


 と言うのも、四倉は、こっそり面会に訪れた仕舞と相談して、春になって虫が増えたら、虫を使って脱獄する計画を立てていたからだ。


《いちばん頼りになるのは、何といってもスズメバチだ!》


 四倉は、時間をかけて、刑務所内の屋根裏に、数多くのスズメバチの女王蜂を呼び集めた。


 脱獄決行の日、四倉は、目に入る刑務官を、見境なしにスズメバチに襲わせ、悠々と脱獄したのだった。


 四倉の脱獄事件は大々的に報道された。


 俊介たちは、スズメバチを使った、実に奇怪な脱獄の知らせを耳にしておどろいたが、とは言うものの、マスコミには刑務官たちに怪我を追わせて脱獄したと発表するしか術はない。


 四倉の行方は、すっかり闇の中に消えてしまったのだった。

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