第18話 詐欺師の国、日本

 俊介はTS1を使って、刑務所からの四倉の足取りを追ってみると、どうやら脱獄を知っていた共犯者がいるのだ。


 四倉が、刑務所の表門にある大きなケヤキにTS1を当てると、ちょうど車が迎えに来ていて、四倉が車に乗り込む姿が映った。


 どういうわけか、車はただちに出発することなく、しばらく停車していると、やがて、車からは刑務官の格好をした四倉とは顔の違う男が降りて来て、何食わぬ顔で刑務所に戻って行く姿が見える。


 都真子は、悔しそうな口調で言い放った。


「四倉は、車の中で例の機器を使って顔を変えて、刑務官に成り済ましたのよ!けろりと騙されたわ!」


 映像をのぞき込むように見ていた係長の鼻田も、苦々しい顔になって、怒りが口からほとばしった。


「ちくしょう!この刑務官はどうなった?どっちみち、顔を変えたって、もつのは五時間くらいだろう?」


「何しろ、警察車両や救急車、おまけに野次馬も駆け付けて、混乱したので、どさくさに紛れて逃げたに違いありません!このあとの映像を、丹念に探してみます!」


 俊介は、防犯カメラの映像や、刑務所の内外の樹木から取り出したTS1の映像から、刑務官に変装した四倉を捜索したが、とうとう発見することはできなかった。


 こうして四倉明は、すっかり行方をくらましたが、実のところ、この脱獄と並行して、何より悪賢く、いたって厄介な事件が進行しており、やがて、四倉が、ふいに姿を現すことになるとは、誰も想像することはできなかっただろう。


 話はさかのぼるが、四倉が仕舞の罪をひっかぶって、少年院で哀れな毎日を過ごしていた時期、たまたま、六門桐生と水戸康二という男と、同部屋で過ごした。


 人間誰しも、人と人との間には、言葉を超えた相性というものがあるのだろうか、三人は妙に気が合って、刑務官の目を盗んでは、禁止されている私語を交わしたり、三人のうち、一人がいじめられそうになると、残りの二人が助け船を出したりして、特別な交わりを結んだのだった。


 そんな三人が、出所して自由な身になると、四倉は、権三との約束通り、害虫駆除を専門とする会社に入社して、ただちにアメリカに渡ったが、行き先の決まらぬ水戸は、気が滅入る実家には戻らず、いっとき、桐生の家に厄介になっていた。


 そんな折り、水戸は、不動産会社を経営する桐生の父親、六門宣夫から、まったく予期せぬ頼み事をされた。


「康二!おれの知り合いに可哀相な年寄りがいるんだが、その息子の代役をやってくれないか?ちょっとした人助けなんだよ」


「いいですよ!叔父さんには、こうして世話になってるし」


 暇を持てあましていた水戸は、さりげなく、二つ返事で引き受けた。


 代役の話というのは、六門宣夫の友人の的当(まとあて)夏次という男が、父親の経営するホテルの社長の座を、ひょっこり譲り受けたところから始まった。


 もともと法律事務所に勤めていた夏次は、社長になると、表向きは真面目にホテル経営に励んでいるように見せながら、魔がさしたのか、ホテルの金を使って、妻には内緒で慣れない事業に手を出して、多額の借金を作ってしまっていたのである。


 ねちっこい借金の取り立てに、困り果てた夏次は、ひと思いに借金を返せるような上手い方法はないものかと、ほかでもない六門宣夫に相談したのだ。


 すると、宣夫は、ちょうど、どうしたものかと考えていたことがあると、夏次に打ち明けた。


「お前のホテルに、ふらりと顔を出す、身寄りのない老婦人を知っているか?けっこうな土地持ちで、以前、持ってるアパートの件で、俺の事務所に来た時に、自分が死んだ後の始末をどうしたらよいかと、ちらと相談されたんだよ。話を聞いてみると、婦人には息子が一人いたが、かれこれ、十年以上も音信不通になっているらしいんだ。ところが先週、その婦人がぽっくり、心不全で亡くなってさ、親戚も遠方だったから、俺が葬儀の段取りをしてやったのさ。どうだい、誰か息子の成り済ましを立てて、土地から家からみんな処分して山分けしないか?お前は、法律に詳しいからな」


「ほほう……できないこともないな……」


 二人は、水戸康二を息子に成り済ませて、半信半疑でやってみると、とんとん拍子に上手く運んで、おどろいたことに、数千万円近い金が手に入ったのだ。


 大金を手にして、すっかり有頂天になった二人は、成り済ましに味を占めて、夏次のホテルに作戦部屋を設けて、縁故者があまりいない行方不明者の情報を集めては丹念にリストを作ると、その不明者に成り済ます人間を捜して来ては、うまいこと当てがっていく詐欺を考案した。


 二人は、行方不明者のことを元役と呼び、成り済まし役のことを替役と名付け、さしあたって、的当が元役を探し出すと、手当たり次第に、六門が替役を送り込むというように、つぶさに役割も分担している。


 そこへもってきて、六門は、もっぱら替役を選ぶ際も、そもそも容姿が元役に似た人物であることや、替役の居住地が遠隔地で、元役の地元に知り合いがいないことなどを条件にして選んだ。


 文字どおり、送り込まれた替役は、何よりかにより、元役の財産を金に変えて的当に送ると、いつ姿を消してもよいことになっていたが、意外なことに、新しい役柄というか、新たな人生にすっかり満足して、ツキが回ってきたとして替役を辞めようとしない者も多く出たのだ。


 つまり、別の人生を生きることを選択すること、たとえ、それが偽りの人生であっても、いっこうに悪くはないと考える人間が、数多くいる世の中になっていたのである。


「この仕事は詐欺ではなく、まさしく人助けだ!」


 二人は、そう豪語し始め、この手法を繰り返しては、金を儲け、何人もの人間が替役となって、自ら望んで姿を消している。


「詐欺師の国!日本!」


 まるで、現代の日本を象徴しているかのように、詐欺事件による被害が横行している。


 詐欺師の手口は、善人の振りをしてターゲットに近づき、金を騙し取るから、詐欺師の本質はウソつきである。


『ウソつきは泥棒の始まり』という格言は、犯罪者の変容をよく言い当てているが、『ウソも方便』と言う言葉もあるように、本当のことを知ったら耐えられないことが世の中にはあるから、それもウソの始まりだ。


 罪を犯して刑務所に入っていた男が、出所後に更正を目指して生きていくために、刑務所に入っていたことを、自らの子供や一般世間に知られないように、病気で療養していたなどとウソをつくこともあるだろう。


 人間にウソはつきものなのであるが、厳密にウソを分類するならば、犯罪のウソと円滑な生活を送るためのウソとに大きく分かれ、前者は悪で、後者は善とされるが、言うなれば、この事件は、成り済まし人が、すっかり本人に入れ替わって活動し利益を手に入れるという犯罪行為に間違いない。


 こうして的当と六門が始めた成り済まし詐欺は、時がたつにつれて、あたかも、地中を流れる水脈のように、表の世界に気付かれることなく流れ、そこかしこに舞台を広げていったのである。


 そもそも、新しい事件の舞台となった横州市の北西部にある早馬町は、町の中央には清流、青石川が流れ、川の両側の平坦地には、ぎっしりと葡萄畑が広がっている、のどかな町だ。


 その町の旧家として栄えた尾空家は、もっぱら、広い敷地に古ぼけてはいるが、重々しく赤茶けた古民家風の屋敷を有していた。


 わけても、尾空家の長女として生まれ、気立てのよい子として育った実矢は、父親の久志、母親の里子、弟の瑛士、そして祖母のヨシと五人で暮らしていたが、中学生になったとたんに、父親の久志を交通事故で亡くすと、その先、実矢が高校を卒業する頃、可愛がってくれた母親が、末期ガンを患って病死した。


 実矢は、両親を亡くしたショックというより、自らの運命の仕打ちを呪って、ある日の夜に、ふいに実家から姿を消したのである。


『私は死ぬかもしれないけど、お前は生きてほしい。私の人生は寂しい人生だけど、弟がいたことは忘れないよ』


「姉ちゃん!」


 瑛士は、実矢が自分に残した、たどたどしい置き手紙を見つけると、雨の降る中、ずぶ濡れになって、駅や公園など、姉を捜し回ったが、とうとう見つけることはできなかった。


 まさしく、尾空家は、火の消えたようになると、瑛士は、絶望のあまり、心が荒れ始めて、祖母の財布からちょくちょく金を抜き取っては、遊び回るようになり、そこから瑛士の人生は狂い始める。


《俺の人生など、どうなってもいい!》


 高校までは、かろうじて卒業したものの、悪い仲間との縁は切れず、あげくの果てには、傷害事件を起こして刑務所に入るはめになった。


《俺は生きていても役に立たない人間だ……》


 奈落の底にでも落ちたような切ない気持になった瑛士は、刑務所を出たあとも、実家には帰ろうとせず、噂では、グループから追われて、近隣の県を、転々と逃げているらしいとのことだった。


 結局のところ、祖母のヨシだけが残った尾空家だったが、十五年経ったある日のこと、事件は起きた。


 行方知れずだった長女の実矢が、こともあろうに、何の前触れも無く、故郷に現れたのだ。


 何よりかにより、家を出て行った時の実矢は、たった一人だったが、その日は二人の男女を伴っていた。


 一人は、黒いスーツを着て、髪の毛を短髪にした痩せ型で背の高い男で、名前を六門桐生と言い、もう一人は、伝東哲子と言って、赤いスーツに長い髪で、実矢からは歳の離れた姉の様にも見える女だった。


 三人は、つやつや、黒光りする高級車に乗って、やにわに屋敷の前に現れた。


 車から降りた三人は、奥にそびえる切り妻屋根を見上げながら、板塀に沿ってしばらく歩くと、屋根付きの棟門の前に立った。


 隣家には、実矢の幼馴染みの川野素子という同級生がいたが、どうやら、とうの昔に、より便利な場所へと引っ越したらしいし、他にも数件ある隣家は、時がたつにつれて、空き家になったり、老人しか住んでいない家になったりして、尾空家に何が起きようが、誰が尋ねて来ようが、何のかんの言う隣人はもういない。


 そうは言っても、隣家で何かがあっても、何もおどろかない、気にもかけないというのも、それはそれで、問題ではあるが、時の流れで仕方がない話だとすれば、とどのつまり、実矢が戻ってきたところで、いったい、誰が騒ぐと言うのだろうか。


 六門は、門に入る前に、実矢の顔にあるの醜い痣の跡を、あらためて眺めると、かんでふくめるように言った。


「顔の痣のことを聞かれたら、交通事故に遭ったことにすればいい。両親は、すでに死んで祖母のヨシは認知症を患っている。親戚も数人いるが、みんな高齢になっているから、もう十五年もたっている実矢の顔は分かるまい。一人だけ気になるのが、仲子という実矢の母親の妹が、ちょくちょく顔を出すから、こいつだけは気をつけろ!」


 伝東も、高飛車な口調で言い添えた。


「この家は、中々立派な造りだわ。修理が必要だけど、ここからはあんた次第よ。この数ヶ月間、私たちは、何度も往復して、この家の情報を集めてきたから大丈夫よ。もし問題が起きたら、すぐに連絡をよこして!それでもダメならいろいろ考えずに姿を消すのよ!後始末はこっちでやるし、次の行き先も十分にあるわ」


「そうならないようにするわ……」


 実矢は、唇を噛みしめ、死人のような表情で言った。


 三人は、したたかな顔つきで門をくぐると、六門が玄関の呼び鈴を鳴らした。


 誰も出てくる気配はない。


 今度は、伝東がしびれを切らして、もう一度鳴らすと、やっと、足音が聞こえ、九十歳になる認知症の進んだヨシが顔を出した。


「どなたかな?」


「実矢よ!今帰ったわ!友達も一緒よ!」


「ああ、ご飯はできてるよ」

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