第16話 裁判の行方

 たまたま、同じ部屋になった四倉と仕舞は、お互いの顔をひたと見つめると、ひょっとすると、日本語の通じる相手かもしれないと、四倉から先に、ざっと自己紹介を始めた。


「俺は仕舞冠太というんだ。よろしく!日本人が来るなんて思ってもみなかったよ」


 仕舞は、ふいに自分の名前を言われて、度肝を抜かれた。


「仕舞?それじゃ、もしかして、仕権権三って知ってるか?」


「えっ、あんたこそ、何で……仕舞権三を知ってるんだ?」


 本物の仕舞冠太は、即刻、ピンと来て、目の前の男に、四倉明じゃないかと尋ねると、四倉も図星といった顔をしたので、おそるおそる、権三は自分の父親であることを明かした。


「まさか!あんたが、仕舞冠太なの?こんなところで会うとはおどろきだ!」


 二人は、お互いの事情を、根掘り葉掘り聞いたり、吐露し合ったりすると、ようやく合点がいき、すっかり打ち解けて、ざっくばらんな話ができる関係になった。


 そればかりか、仕舞は、おまけに、自分の秘密めいた研究についてまくし立てると、ついでに四倉も、昆虫を操る能力を獲得した話を自慢げに打ち明けたから、二人とも、目を輝かせて意気投合し、出所の機会を、首を長くして待ち望むようになったのだ。


「俺たちが組めば、一旗揚げられそうだぞ!作戦名は、昆虫アタックだ!」


 数か月ののち、二人は相次いで出所すると、微小なカメラとマイクを手に入れて蛾に取り付けて飛ばし、四倉の能力で方向を操ってマフィアの麻薬や武器の密輸現場に潜入させ、大胆にも金をゆすったのである。


「しつこく追跡したら情報をばらす!」


 二人が、そう前置きした作戦はこうだ。


 まず、仕舞が発明した顔を変える試薬で、現地の人間に顔を変え、コインロッカーに置かせた現金を受け出すが、次は、だしぬけに、公衆トイレに入って、試薬で別の人間に顔を変え、別のバッグに現金を入れ替えて、何食わぬ顔でトイレから現れるという作戦である。


 顔が変わっているから、マフィアの連中にはさっぱり気づかれずに、成功したのだった。


 有頂天になった二人は、成り行きまかせに、同じ手を繰り返して金を手に入れたが、業を煮やしたマフィアが黙って引き下がるわけはなく、三回目の計画の折には、金を手にするやいなや、危うく撃ち殺されそうになるという一幕もあった。


 今になって考えても、危機一髪の状況で、あわてて四倉がスズメ蜂の大群を呼び寄せなかったら、間違いなく、命はなかったであろう。


 おじけづいた二人は、このままアメリカにいたのでは、さぞかし厄介なことになると考え、命からがら、サンフランシスコを脱出して日本に帰国し、土地勘のある横州市を目指して、こっそり舞い戻ったというわけだ。


 安心した二人は、日本で一泡吹かせてやろうと、昆虫アタックと仕舞による顔粘土計画の実験を始めた矢先、思いもよらない俊介のTS1の発明によって、わけもわからず、四倉がしょっぴかれることになったのであった。


 四倉の刑事裁判は、市民も注目する中で始まった。


 身長のある検事の双葉充が、論告求刑を行った。


「被告人、仕舞冠太は、自分の生い立ちにひどく問題があって、多くのものを失ったと錯覚していました。高校生に起こしたスプレー事件も、そうしたマイナスを埋め合わせようとしたのです。その事件後、被告人は少年院に入所し、一旦、更生しました。ところが、最近になって、マイナスはまだ、解消されていないと勘違いした被告人は、実は、失ってはいないものまで取り戻そうとして、スプレー事件を起こし、刑事を拘束して命を脅かし、市民生活に恐怖を与えました。よって、懲役十年を求刑します!」


 小柄で顔の丸い弁護士の団田直也が、弁論に受けて立った。


「プラスが足し算なら、マイナスは引き算であります。一般的に、足し算は良くて、引き算は良くないというイメージを持つのが人間です。マイナスは、今、有るものから何かを減らし、失わせることですから、人は良くない事象として嫌います。しかし、水から酸素を奪えば、つまりマイナスをすれば、水素が発生し、人間から水分を奪えば、ミイラとなって数千年は存在し続けます。マイナスという方法でも何かが作られるのです。被告人は、昔から蓄積した心の重荷を取り去ろうとしてマイナスを求めることでよい方向に進めようとして失敗しただけなのです」


 双葉は、失敗しただけという、人ごとのような言い方にむっとしたが冷静な面持ちで言った。


「被告人の問題点は、マイナスという引き算を自分ではなく、他人に当てはめてしまったことです。スプレーで人体被害を発生させ、他人から幸福を差し引いたのです。被害者の立場から見るならば、犯罪行為は間違いなくマイナスの価値観です。犯罪行為は相手にとって失われるものを先に考えてから行うものです。被害者の健康を奪ってしまっているじゃありませんか。被告人から見れば、マイナスを減らしたように見えますが、たとえば、殺人事件ならば相手の命はマイナスですが、それで得た金銭とか権利などはプラスです。今回の事件もそうです。被告人の心の満足というプラスを目的に行われたのです」


 傍聴者の一人がつぶやいた。


「何か、話が難しくない?関係あるの?」


「いや、最近の裁判は哲学的らしいぞ!」


 弁護士の団田は、ひるまず主張した。


「人間は、ふつう、頑張れば頑張るほど、自分の中の余った部分を削ぎ落として密度の濃い自分になって行きます。だから、マイナスの方がありがたいのです。被告人は、幼いころから、ぜいたくに育ち、欲しいものを与えられ、プラスばかりを付け加え、太っていったため、マイナスを選んだのです。ここで言うマイナスの価値観に立っていれば殺人などは起きません。なぜなら、殺人が発覚して逮捕され、自由を無くし、日常生活が奪われてしまうことが、ちゃんと自覚できるからです。すなわち、多くを失うことが理解できるからです。しかし、依然として、殺人事件が発生するのは、心の問題、心の解消がいかに物よりも大きいことを表しています。したがって、被告人の心の問題を考慮せず、故意に罪を犯したと結論づけるのは、こじつけであると考えられます」


 双葉は、この弁護人も生意気なことを言うと感心しながらも、話にギアを入れた。


「そう思ってしまうことが問題なんです。被告人は、マイナスの価値観のおかげもあって、この犯罪で十人もの被害者を出しましたが、それによって多くの無駄なものを捨てることができたと勘違いしています。実際は、それに輪をかけて、親や社会から完全に見放されたことが理解できないでしょう。今は、罪を償う気持ちを求めているかもしれないけどそれは無理なことです」


 団田は、とたんに論点を変えて、仕舞の本人確認について質問した。


「その通り、被告人の犯行ならば、被害者に苦痛を与えることが目的ではなくガスの噴射が目的であり、それによって、目的は達成されたと想像されます。ところが、被告人の犯行であると疑う大きな根拠として、犯罪現場に被告人がいたという映像ですが、被告人であるとしても、どのように撮影された映像なのか疑問が残ります。ドライブレコーダーの映像だと主張されていますが、本人かどうかの説明をお願いします」


 双葉は、警察からの証拠映像をモニターに映し、顔が酷似している点を強調した。


「顔の映像をよく見ていただきたい。これだけ、酷似している顔を違うと考える方が不自然であります。AIの分析でも本人にヒットしてますからね。犯罪は犯行の異常さや狂気さを見る限り、犯人自らが毒を喰ってその毒に当たるわけです。そのくせ、その毒は自分が製造した毒だってことに気づかない顔と言ってもよいでしょう」


 都真子は、検事の話を聞きながら思った。


「犯罪者から被害を受ける一般市民は、どういう毒なのかを記録したり、犯罪による恐怖を擬似体験したりして、犯罪に遭遇しないための深い教訓や、次の犯罪を起こさせないための抑止力にしないといけないわ」


 俊介は、都真子の言うことに同感したが、一言、付け加えた。


「犯罪に麻痺している人間は、犯罪という毒を喰うことで、これから犯そうとする犯罪行為の立派なエネルギー源にしてしまうのが問題だ。だから、犯罪の毒を喰わないように教えるためには、犯罪に常に対応している俺たちや検察、司法、そして善良な市民が必要なんだ」


 双葉は、ひたむきな口調で、かんでふくめるように話を続けた。


「なぜ、被告人は理性と感情が持ちながら、スプレー事件を実行したのか?一度、罪を犯したら、厄介者として忌み嫌われることは、昔も今も変わりません。犯罪の定義は、その時代、その国の法律が作り出すと言えます。例えば、日常生活では殺人者は犯罪者だけど、戦場では英雄であるとかの言葉があるのは有名ですね。つまり、被告人の罪は、この国の法律に触れることで罪とされるのです」

 

 団田は、モニターの顔には、あまり興味を示さなかった。


「この映像を撮影した車が止まっていたことの証明をお願いします。被告人が実際の犯人なら、被害者にとって許されない存在であることは、人間と人間の間では、道徳というルールによっても理解できます。善悪という価値観が相対的であるうちは、どちらの言い分にも正当性が認められますから、はっきり、被告人を悪と決めつけるならば、完全な根拠が必要です。ぜひ、車が止まっていたということを証明願います」


「やっぱり、この映像について質問してきたか?」


 俊介と都真子は、質問を聞いて胸をどぎつかせた。


 映像はTS1からの映像であって、証拠にならないことは十分わかっているからだ。


 早くもピンチが訪れた。

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