第15話 サンフランシスコの二人

「少年院には、こっそり、お前とすり替えて、別の人間を入れるからな。お前は、知らんふりをして海外に留学するんだ」


 権三が、何食わぬ顔で、とっぴな提案を口にすると、冠太はとたんに仰天して、ぽかんと口を開けた。


「ええっ!まさか!そんなことができるの?」


「ああ、大丈夫だ!代わりの男も、ちゃんと用意した。指紋や顔写真の偽造も万事ぬかりなく進めている。何しろ、どうにもこうにも、お前がこんなことになったのは、俺の責任だからな。要するに、ほとぼりが冷めるまで、別人としてアメリカにいて、日本に戻ってきたら、文字どおり、仕舞冠太にもどればいいんだ」


「それじゃ、俺は、何てやつになればいいんだ……」


「名前は四倉明だ。くわしいことは、お前の少年院送致が決まったら話す」


 それというのも、権三は、会社のパート従業員で、妻が心臓病で、高額な手術代を必要としていた四倉源治という男を見つけ出していた。


 源治の息子の明は、いくぶん、変わり者だが、親思いの男だったから、母親が元気になるならと、権三が手術代を払う代わりに、冠太の身代わりとして少年院に入ることを承諾した。


 権三は喜んで、明の出所後の面倒を見ることも約束し、本物の仕舞冠太を、こうしてアメリカに隠すことに成功したのだ。


 日本からの留学生、四倉明としてサンフランシスコの全寮制のシニアハイスクールに入った冠太は、実力主義の風土に置かれたことも手伝って、雷に打たれたように正気づいて、がらりと性格が一変した。


《日本じゃ、愚にもつかぬことを繰り返していたが、おれの実力は、あんなもんじゃないぞ!》


 一旦、火がつくと、深くのめり込む本性が、恐ろしいほど顔を出し、たちまち、優秀な学生の仲間入りを果たすと、権三がしきりに帰国をうながしても、日本に戻ることなどさっぱり忘れて、がむしゃらに勉学に励み、あれよあれよという間に、大学の医学部に進んで、神経学を研究して博士号を取るまでになっていった。


 ほかならぬ、中等少年院に入った四倉明は、後悔の日々を過ごしていた。


《こんなこと、引き受けるんじゃなかった!》


 少年院は、言うなれば、矯正教育と言って、犯した罪の償いより、自らの欠点の改善を求め、未成年者の健全な育成を図る場所である。


 とは言うものの、いくら刑務所よりマシだと言っても、軍隊並みのきびしい毎日の生活に、バカなことを引き受けたと、つくづく悔やんでいた。


 それでも、そうこうするうちに、辛さのピークを通り過ぎると、少年院の生活の中にも、きらりと光る楽しみを見つけ出した。


 楽しみと言うのは、少年院のいたるところに、のこのこ現れる、様々な昆虫たちとのかけがえのない一時だった。


 四倉という男は、幼いころから、ムカデや毛虫、エビやザリガニなのど甲殻類が好きで、皆から気味悪がられる少年だったから、母親の時子も、息子の風変わりな性質が心配の種だったようだ。


 ある時も、弟の大切にしていた金魚の水槽にザリガニを入れ、どちらが強いか試してみた結果、見事にザリガニが金魚を食べたから、さあ大変だ。


 怒った弟は、泣いて母親に言いつけると、途方にくれた母親から相談された父親によって、ひどく折檻されることがあったくらいである。


 だが、時を追うごとに、明の趣向はエスカレートして、やがてふいに、虫類と交信できると言い始め、仕舞として入った少年院で、とうとう、その能力を開花させることになった。


 最初に、その能力を感じたのは、外で地獄のような整列行進をさせられていた時に、近くに舞ってきたモンシロチョウを、まんじりともせず見た時のことだ。


《まるで地獄の底を、ひらひら舞っているようだ!これ以上の自由な姿は無い!》


 明は、春から夏の終わりまで現れる、この白い天使に心を奪われ、いついかなる時でも、蝶を見つけるとこう念じた。


《自分の肩に飛んで来て止まってくれ!》


 初めは、飽き飽きする訓練から気をまぎらわせようと、何かしら、他のことに集中するためだけに、冗談か本気か分からないまま試していただけだった。


 ところが、おどろいたことに、ある日の訓練中、一匹のアゲハ蝶が飛んで来て、やにわに仕舞の肩に止まるという出来事が起きた。


《世の中には、まま、こういうことはある。これは偶然ではないぞ!蝶だって生き物だ!人間と蝶の意思疎通があってもおかしくないだろう!》


 明は、凱歌をあげんばかりに喜んで、ますますその気になると、今度は、花壇の手入れをしている時に、凶暴なスズメバチが飛んで来ることがあった。


 明は、アゲハ蝶の時と同じように、一心に念じた。


《俺の隣にいる、いつも嫌がらせをして来るいまいましい男に、たっぷり仕返しをしてくれ!》


「痛てて!蜂に刺された!」


 その男は、そうわめき散らすと、即刻、医務室に連れて行かれた後、深刻なアナフィラキシーを起こして重篤になり、露骨に生死をさまようということが起きたのだ。


 四倉は、たて続けの経験を通して、勝ち誇ったかのように、のぼせ上がった。


《こいつは偶然じゃないぞ!俺には、虫を操る能力があるんだ!》


 四倉明は、元々、非行歴のない少年だったこともあって、疑う余地もない模範生として、一年後、堂々と少年院を出所している。


 権三は、待っていたように明の出所を聞きつけると、ただちに、父親に命じて明を呼び出した。


「元気で何よりだ!ご苦労だったな!おふくろさんの手術も無事にいったそうだ。それじゃ、約束通り、就職の方は面倒見よう!害虫駆除の会社がいいんだって?何社かあるんだが、アメリカのサンフランシスコにある会社じゃだめか?」


 サンフランシスコと聞いて、とたんに明は、あっけにとられたが、若くして海外で仕事をするのもいい経験だと説得されて、結局、権三の言う通りに就職を決めた。


 権三の考えとしては、ちょうど、このタイミングで偽造パスポートを作らせ、アメリカで一気に、冠太と四倉のパスポートを取り換えて、二人を元通りにもどそうと考えたのだ。


 ところが、思いがけず、権三にも手ひどい誤算がおきた。


 ふたを開けてみたら、留学生活が気に入った冠太は、これっぱかりも、日本に戻ろうという気を起こさなかったのである。


 よりによって、冠太が、これほど学問に打ち込むとは予想していなかった権三は、まるっきり、二人の入れ替えのタイミングを逃してしまい、何年間かを棒に振ることになってしまったのである。


 とうの冠太は冠太で、クレイマン、すなわち粘土人間、粘土男という名称の、のっぴきならない怪しいサークルの老科学者に、好きこのんで傾注して、謎めいた研究に没頭するようになっていた。


 わけても、大学に進むと、人の顔を粘土細工のように自在に変えることができる物質を発見したいとか、四十あまりある顔の筋肉や表面の皮膚を自由に操る物質があるはずだとか、顔面をこねると顔の表情から始まって顔形を自由に変えることができたら、そりゃおもしろいなどと、周囲の人間からは、たわごとだと後ろ指を指されるような研究へとまっしぐらに突っ走った。


 そうこうするうちに、何やら目的となる物質を、ついに発見したと自ら身震いするほど感激し、自分の顔面で実験するまでは良かったが、ややもすると、他人の顔面で使えるかどうかの実験に及んで、とうとう暴行罪で逮捕され刑務所に入るはめになった。


 そこへもってきて、実に不思議な偶然ではあるが、アメリカで仕事をしていた四倉も、昆虫を操る能力につき動かされて、高級品の窃盗を働き、冠太より一足早く刑務所の住人となっていたのだ。


 こうして、お互いがお互いを演じていながら、一面識もない冠太と四倉が、初めて、刑務所で出会う機会が訪れたのだった。

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