第2話 初仕事

 大学の近くを自転車で走りながら森を探し、神社を見つけた。

 その神社は小さな丘の上にあった。商店の並ぶ表通りから少し引っ込んだところに鳥居があり、正面の石造りの階段の上にもう一つ鳥居が見える。


 厚は下の鳥居の近くに自転車を停め、石段を登った。上の鳥居をくぐると境内けいだいは割と広く、なかなか立派な本殿と、小さな脇社わきしゃがいくつかある。その周囲には雑木林がしっかり残っており、街の喧騒けんそうから切り離された感があった。


 境内を一巡りし、ここなら良さそうだと思った厚は、作法にのっとってお参りを済ませてから、ひとのない本殿の裏手に回った。かばんを脇社の小さな鳥居のかたわらに置いて、使う道具をいくつか取り出した。


 お神酒みきいて地面を清めていると、足元から声がした。

 「何をしている?」

 声の主を見ると、小柄な黒猫だ。少なくとも見た目は完全に猫。厚が酒を撒いた地面に鼻を近づけ、匂いを嗅いでいる。


 「この場所を清めているのさ」

 「なんのために?」

 「憑神つきがみを下ろすためさ」

 後退あとずさりしながら黒猫がく。「祓うのか?」


 たぶん黒猫は、退治するのか、という意味で訊いている。

 「いや。しゅくだけだよ」

 厚がそう言うと、黒猫は安心したようにその場へ座った。厚は微笑した。



 呪という文字は、古くはにごらずにシュと読み、のろうという悪い意味だけでなく、わざわいやたたりを祓い清めることも含む、広い意味のまじないを意味する。

 呪を解くとは、だからまじないを解くという意味だが、『呪』の概念を説明するのは少し難しい。


 あまりに強い感情やこだわり、深い心の傷。そのようなものが原因となり、人はとらわれてしまうことがある。本人が望んでも断ち切れなくなってしまった、好ましくないきずな…と言えば一番近いだろうか。


 モノノケ達も、彼らなりの理由で何かに囚われてしまうことがある。理由の方は、人間の厚にはわからないことも多いが、呪を解くのは祓い屋の大切な役目だ。



 厚は荷物から小さな桐箱きりばこを取り出した。箱の中から布に包まれた香炉を取り出し、布もほどく。香炉のふたを外して中をのぞいた。

 目を凝らすと、だまの半分透き通った小人のような姿が見える。香炉の中でうずくまり、小さな小さな足首からひものようなものを引きずっている。見ていて痛々しい。


 足首の紐は『呪』が目に見える形に表れたものであり、この木霊は香炉に囚われているのだ。依頼人は、これを使うと本来の香のものではない焦げくさい匂いがすると言って、厚の祖父にこの香炉をあずけた。


 木霊に声を掛ける。

 「今からこれでその紐を切るよ」

 指でつまんで見せたのは、ばりである。木霊にとってはちょうどつるぎのような大きさだ。

 彼を見上げた木霊が、香炉の壁に寄り掛かって足を前に伸ばす。

 「少しの間じっとしててね」


 厚は清めた地面に香炉を置いた。手前にひざをつき、呼吸を整え一礼してから、

 「呪を断ち切る」

 剣に見立てた針を、香炉の開口部から中に入れ、紐を切った。道具があまりに小さいので、少しやりにくかった。


 木霊が恐る恐る香炉から顔を出した。外を見回す。

 厚も周囲の木々を見回した。

 木々の枝の上や根元に、透き通るような木霊達の姿がちらちらと見え、一部の者達は香炉に近づいて来た。この雑木林にんでいる木霊達だ。


 香炉の外へ出た木霊が彼らに迎え入れられるのを見届けて、厚は微笑んだ。木霊達の姿はあっという間に、木々の葉にまぎれて見えなくなってしまった。

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