第12話

「……わかった。お母さんの意思を尊重する」 

「ごめんね」


 母は申し訳無さそうに言う。

 私は頭を抱え、床をトントンと足踏みする。

 苛立ちが募り、おかしな思考に囚われる、

 どうして、私はお母さんじゃないんだろう。

 今の生きてる私がお母さんだったら、お父さんをきっと助けることが……。

 ああ、ダメだ。思考が現実逃避してる。

 もしもなんて考えちゃいけない。

 いや、待てよ。私がお母さんだったら……?

 瞬間、頭の中にあるひらめきがよぎる。

 そうか。その手があった。

 私が文字通りお母さんになれば、いいんだよ。

 希望が見えてきた。

 私はすぐさま、その考えを実行しようと、母に協力をたのむ、


「……というわけなんだけど、お願いできる?」 

「えっと、本当にそれをやるわけ?」


 呆気に取られる母、どう反応したらいいか分からない様子だ。


「いかれた考えだけど、理にかなってるし、効果があると思うんだ」

「まぁ……そうだね。私としても、成功すれば願ったり叶ったりだし。でもうーん、朝凪はいいの? 恥ずかしくなったりとかは……」

「……全然。むしろ嬉しいよ」


 母が顔色を覗き込むと、私はゆっくりと口元をつりあげる。

 彼女はじっと黙って、それを見つめると、やがて、肩をすくめて、微笑む。


「うんわかった。そういうことなら、やろうか。親子二人の共同作業」

「よし。じゃあ、私が目線で合図したら、作戦スタートね」


 私と母は、今から、父の暗闇の心に光を照らしに行く。

 母と一緒に、何かをするのは実に六年ぶりだ。

 だからか、不思議と胸が高鳴る。


「お父さん……」


 真剣な声色で名前を呼ぶと、彼が顔をあげる。表情にはまだ重々しい険しさが残っている。


「今から私、お母さんになりきるから、本人だと思って接して見て……」

「い、いきなり、何を言い出すんだ?」


 父から目をそらさずに言うと、彼は眉をひそめ、うろたえる。


「お母さんに対して後ろめたい気持ちがあるなら、お母さんを喜ばせようよ。天国にいるお母さんはお父さんと話したいはず。だから、代わりに私が話すんだ。お母さんのことをよく知ってる私が彼女の言葉を想像して話すんだ」


 言葉に熱を込める。

 実際には天国ではなく、この世に幽霊としてとどまっているが、それ以外は私の本心だ。


「……俺が楽になるために、母を利用するのか」


 父は渋い顔つきになる。


「そんな難しく考えないでよ」

「だけど……」

「お願い、私も母を喜ばせたいんだ。親孝行したいんだ。」


 手を合わせ、切実な目で訴えかける。

 私のためでもあると、強く言えば、断りにくいだろう。

 案の定、父は弱ったようにたじろぐと、やがて、観念したように、


「……分かったよ。やろう」


 と、答えてくれた。

 よしっ、許可が出た。

 さぁここからが本番だ.


「じゃあ、さっそく始めるよ」

「おう……」


 行くよ、お母さん。

 右隣にいる母に目線で合図を送る。

 母はこくりと頷くと、ふーっと深呼吸をする。

 それから、静かに微笑んで、口を開いた。


「……こんばんわ、海。」


 私も静かに微笑んで、こんばんわ父と、言った。


「……夜鈴?」


 父は驚いた様子で、私を夜鈴と呼ぶ。

 私も幽霊の母と再開した時、まったく同じ反応をしていた。

 どうやら、企みは成功したようだ。心の中でガッツポーズを取る。


「……うん、そうだよ。六年ぶりだね」


 母が感慨深そうに言う。

 姿が見えない相手に、大好きな人に、自分の言葉を届けることができる。その喜びは言葉で言い表せるものではないだろう。

 合わせ鏡のように、先程の母の行動を、私も繰り返す。

 言葉に含まれた感情の熱を、身体や表情の動きを正確に捉えて再現していく。

 母のまとう空気を自分のものにする。

 他の人なら、無理だった。自分の母親だから、演じることができた。彼女のことを深く知り、愛し、漫画に描いた私だから演じることができた。

 実際、父は錯覚している。私を母だと錯覚している。

 彼はじろじろと、私の顔を見て、ますます驚きを強くする。

 母の存在をを感じ取ってることが、手にとるように分かる。

 やがて、その表情がゆっくりと形を変えていく。

 目頭を熱くし、肩を震わせると、弱々しい顔で、涙を流していく。

 

「夢みたいだ……お前にまた会えるなんて……」


 震えた口元がたどたどしく動く。

 熱っぽい眼差しが私に向けられる。

 彼はすっかり、私が母になりきってるという設定を忘れてるようだ。

 私もそうだ。自分が朝凪だという認識が、薄くなっている。

 母という役になりきりすぎた。演じてるという意識がなくなっている。

 幽霊だけに、私に母の精神が憑依してる感覚に陥る。

 だからだろうか、彼女のわずかな表情の動きで、次の行動がわかってしまう。

 何を言おうとするかわかってしまう。

 私は情熱的な視線を父に送る。

 すると、同時に母も同じ視線を父に送る。

 

「「私もこうして、また話せるなんて思ってなかった」」


 完全にシンクロする。

 私は今、母と一つだった。

 大好きな母とつながっていた。

 シンクロしたことに母は一瞬、驚いた目をするが、すぐに、元の情熱的な視線に戻す。今は父との大事な時間、不審な行動を取りたくないのだろう。

 

「ずっとずっと、お前のことを求めていた」 

「「私が突然、死んで、つらかったよね」」

「ああ、すごくつらかった」

「「そっか、ごめんね」」


  母と私は父に謝る。

  誠意をこめて、謝る。

  かつて、私も同じことをされた。

  その時は深刻そうな顔をしていたが、今は真剣な顔つきだ。

  卑屈な感情はどこにもない。

  母なりに、必要なけじめとして言うべきことなのだろう。

  

「違う、謝るのは俺だ! 俺の方なんだよ。俺と一緒に漫画の仕事をしたばっかりに、お前は病院にろくに行けなかった。病気の発覚が遅れて、死んでしまった」


  しかし、父は自分を責めたてる。

  さっきしたことと同じことを繰り返す。


「お前はもっと長生きできたかもしれないのに、その未来を俺は……」

「ねぇ怒るよ、海?」


  私と母は、静かに威圧感のある声を出す。

  今にも胸ぐらをつかまんばかりの勢いで。


「えっ……」


 父は驚いた顔をする。


「私と過ごしてきた日々を否定しないでよ! 私はあなたに会えて幸せだったよ!」


 張り裂けそうな声で叫ぶ。胸のうちに秘めた思いを訴える。


「あなたと一緒にお話する時間が好きだった。あなたの笑った顔が好きだった。私の笑った顔をきれいだと言ってくれるあなたが好きだった。私の料理を美味しそうに食べてくれるあなたが好きだった。あなたが描く漫画の話が好きだった。私の絵を素敵だと言ってくれるあなたが好きだった」


 そして、感情が極限まで、高ぶる。


「あなたと過ごす時間、その何もかもが好きだった。満ち足りてた」


 私と母の頬に涙があふれてくる。


「……」


 強い思いの熱、それを目の当たりにした父は、感情を大きく揺さぶられ、すっかりしんみりとした様子で、私を見つめている。


「私の人生は二十九年で終わってしまった。長いとは確かに言えないよ。でも、その二十九年間は確かに充実してた。本当だよ? 心の底から、後悔してない。だから……海も後悔しないで、私の事で暗い気持ちにならないで。私と出会えて、一緒に過ごして、すっごく幸せだったって、思ってて……」


 真剣に、そして、優しく諭すようにそう言うと、父は、

 

「……分かった。もう後悔しない、自分を責めない」


 と、確かな声で言った。

 表情からは、仄暗い感情は読み取れない。

 大丈夫。彼の心をもう縛り付けるものはない。

 私と母は安心したように表情を緩ませた。

 父を助けるのに、母の存在が必要。でも母の存在を父に明かせない。そのことで悩んだ私は、自分自身が母になる、という手段を取った。

 認識されなくても母が父に話しける。

 その言葉や動きを見ながら、私がそっくりそのまま、真似をする。その結果、父に母本人だと錯覚してもらう。

 そうすることで、私を通して、母と父を擬似的に会話させる。

 母の思いを届けさせ、父の罪悪感を消滅させる。

 その狙いは成功して、無事、家族の心に平穏を取り戻すことができた。

 良かったね、母と、私は心の中でささやいた。

 それから、母は父とたくさん話をした。

 六年間の空白を埋めるように話をした。

 それは愛おしく、幸せに満ちた夫婦の時間だった。

 母も遅くなり、病院の就寝時間になると、名残惜しそうに母と父は「さよなら」と別れを言い合った。


「本当に夜鈴が帰ってきたみたいだった」


 私が母の演技を止めると、父がそう言った。

 その横顔は夢見心地で、幸せそうだった。

 母もまた、私に言った。


「あなたのおかげで、海と通じ合うことができた。ありがとう」


 彼女もやはり幸せそうだった。

 そして、家族みんなが幸せで、私も幸せだった。

 こんなに幸せでいいのかと思うくらい、満たされていた。

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漫画家の娘として生まれてきた私が、親と一緒に漫画を作る話 田中京 @kirokei

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