第7話

 スーパーへ買い物に行った時かな、突然、胸のあたりが圧迫されたみたいに、苦しくなったの。痛みのあまり、立っていられなかった。

 近くにいた人が、見かねて、救急車を呼ぼうとしたけど、もう手遅れだった。

 痛みがすーっとひいて、自分の意識が希薄になっていったの。

 その時、自分は今から死ぬかもしれないと思った。

 どうしてそう思ったのかと言われても、うまく説明できない。

 あの感覚は死を直前にした人間にしか分からないと思うから。

 意識が消える直前、私はまだ生きていたいと強く願った。海と朝凪、大事な家族を残して、この世を去りたくなった。

 それが生きてた頃の、最後の記憶。

 でもその記憶も、死んでしまうと、すべて忘れてしまった。

 気づくと、私は空の上から、自分の死体を見下ろしてた。

 それを見て、何も感じなかった。私は空っぽになってしまった。

 心を失い、記憶を失い、身体を失った。

 ただ、自分はこの世のものではない、幽霊なんだという漠然とした実感があった。

 私に幽霊としての姿はなかった。意識だけがあった。そんなものあるかは分からないけど、魂だけの状態になったんだと思う。

 魂だけの私は、いろんなとこをあてもなくさまよった。

 目的もなく、さまよった。長い間ずっと。

 でもある時、何かに呼ばれた気がした。

 行かなきゃと思った。心を持たないはずなのに、そう思った。

 そして、私の魂は、引き寄せられるように、ある場所へ向かった。

 その場所には、一人の女の子がいた。彼女は机の前に座っていた。

 そこで、漫画を描いていた。ふと、漫画の中に出てくる女の子に目が止まった。

 瞬間、私の中にある何かが、強く揺さぶられた気がした。

 そのキャラクターはまるで生きてるかのようだった。

 セリフはすごくいきいきとしていて、描かれた表情には命が宿っていた。

 二人分の愛情をそのキャラクターから感じた。

 ずっと見てると、私とキャラクターを隔てる境父線が曖昧になっていた。キャラクターを私自身と錯覚してしまった。

 すると、キャラクターに込められた愛情が、自然と私の方にも流れ込んできた。

 空白だった心、それが温かいぬくもりで満たされていった。

 ああ、私はすごく愛されてたんだ。夫と娘に思われてたんだ。

 そんな幸せな気持ちが溢れ出てくると、いつの間にか、私は笑っていた。

 かつて、私が十四才だった頃の姿になって、喜びをかみしめていた。

 取り戻すことができたんだ。夫と娘、二人の愛情に触れて、私は自分の心と記憶、本来の姿を蘇らせることができたんだ。

 漫画の女の子を自分自身と錯覚したのも、元々彼らの愛が、私に向けられたものだったからってそこで気づいた。

 彼らはキャラクターを通して、私を見ていた。

 キャラクターに私という存在を重ねていた。

 その証拠に、漫画の女の子は昔の私にそっくりだった。

 そっくりだから、私は生前の二十九才の姿ではなく、十四才の姿になった。

 当時の姿を、強く意識させらてしまったの。

 それができたのは彼らの愛が本物だったから。私はその愛に救われた。

 おかけで私はここにいる。肉体を失って、、幽霊になっても、大事な人とまた、巡りあうことができた。

 だから、ありがとう。海と朝凪、あなたたちが私の家族で本当に良かった。



 話を終えると、母は穏やかな笑みを私に向ける。

 私はそこで、こらえきれずに、涙を流す。

 彼女の語る言葉はとても切実で、心がこもっていた。

 だから、その不思議な体験談を、私は自然と受け入れることができた。

 本当なんだ。嘘じゃない、夢じゃない。この人は本当に、私のお母さんなんだ。

 大好きな人と再開できた。心は喜びで一杯だった。

 私と父が作ったキャラクターは、母の心に届いてたんだ。彼女を救ったんだ。

 自然と涙が溢れ出てくる。

 この前もそうだった。母のことになると、私は涙腺が弱くなる。

 母は見かねて、ベッドから立ち上がる。椅子に座る私の前で足を止めると、両手を広げて、私の頭を胸元に抱き寄せる。

 布越しに伝わる肌の匂いは、私がよく知ってるものだった。

 彼女のぬくもりに私は身を任せる。

 母は、それを嬉しそうに見つめ、私の頭をそっと優しく撫でる。

 私は、母の背中に両手を回し、身体の密着を強くする。

 かつての光景のリフレインだ。

 子供だった頃の私は、よく落ち込んだ時に、母にこうしてもらった。

 まさか高校生になって、もう一度してもらうとは思いもよらなかった。

 その上、母の今の姿は十四才の幼い少女、年下に甘えてるみたいで少し恥ずかしい。

 それでも、母から離れる気は湧かない。私の心がすっかり昔に戻ってしまったからだ。

 母にいつもべったりで、彼女から片時も離れまいとする子供の自分に……。

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