[6]

〈半年前〉

 ビショップはコンテナハウスに戻った。汚れた下着をクッションの代わりにして、ベニヤ合板で出来たデッキチェアに腰を下ろした。ボトルに口をつけてウィスキーを飲む。標的の《軍師》をどのように仕留めようかと考えようとするが、開いた脳の抽斗から次々と想念が吹き出してくる。あの記者のせいだ。

 レイラ・ヤコヴレフ。ぼくが初めて出会った狙撃手。ぼくの命を救った恩人。

 レイラは当時、敵味方から《黒豹》と恐れられた狙撃手だった。帝国軍が《黒豹》を仕留めるために凄腕の狙撃手である《銀狼》を送り込んできたぐらいである。だが、《黒豹》の観測手スポッターだったぼくが眼にしていたレイラは繊細すぎるように思えた。

 レイラはライフルとともに生きていた。常に肌身離さず、寝る時も床やベッドに横にならなかった。部屋の壁際に寄りかかり、ライフルを抱いて眠っていた。当然、毎日の手入れを欠かしたことは無かった。

 レイラのボルトアクション式ライフルは数代前の連邦軍制式銃だった。だが、実際は帝国本星の首都近くの軍需工場で、皇帝に献上されるために試作製造されたものだという。銃器メーカーのオーナーは帝国出身の技術者であり、帝国軍で不採用になった新型狙撃銃の製造データを抱えて連邦に亡命してきたのだった。

 金属部分に渦巻き模様の装飾がついている。帝国の支配階級に君臨する貴族が狩猟用の銃として使用していた一品なのだという。光学標準器を使用していた。精度の悪いレンズで倍率も3・5倍しかなかった。何もかもアナログだった。

 今から思い返せば、レイラは目立つ存在だった。前線に立つ凄腕の狙撃手が女性兵士というのも、男女比率がちょうど半々ぐらいの連邦軍では珍しく、周囲の興趣をそそる存在だったと言える。そのことを自覚していたらしく、レイラは徹底して自身の女性的なところを隠して過ごしていた。同僚や上官たちと男口調で話した。それでも体格の小ささや物珍しさから男性兵にちょっかいを出されることはあった。それも持ち前の負けん気や敏捷さで跳ね返した。

 ある時、レイラが酒に酔った大柄の男性兵から絡まれて体よくあしらったところ、拳銃を突きつけられた。ぼくがハラハラして見ていると、銃を握っていた男の手にレイラは飛びかかった。狙いは拳銃だ。男はレイラの腕を交わす。レイラは相手の軍服を掴み、股間に膝蹴りを喰らわせようとする。男は腰をひねって攻撃をやり過ごしたが、レイラの手刀が手首に打ち込まれる。拳銃が宙を舞って地面に落ちる。勝負は決まった。

 ビショップは先日、少年兵時代の上官に会う機会があった。連邦軍総司令部のビルで背後から「《黒豹》の腰巾着か」と声をかけられた。首都星のパブに2人で入る。話題はビショップが出会う以前のレイラになった。その時、上官が口にした言葉が印象的だった。

「あのアマ、敵を撃ったら泣いたなんて話を聞いたなあ」

 上官は洋酒が入って口がよく回るようだった。

「おれに言わせりゃあ、そんなの偽善だ」

 上官はビショップにニヤリと笑ってみせる。薄明かりの店内でも顔に刻まれた戦傷が酒焼けで赤く染まっていることが分かる。

「入隊したばっかりの頃だ。あの女は夜な夜な兵舎を抜け出してたんだ。お前、あの女が何やってたと思う?」

 ビショップは相手の言葉を待った。

「勝手に前線まで行って帝国軍の雑魚を撃ち殺してたんだ。嬉々としてな」

 刹那、ビショップは上官を拳で殴り飛ばしていた。パブで取っ組み合いを繰り広げた2人は警察に捕まり、狭い留置所に押し込まれて一晩頭を冷やすことになった。

 今夜は古い記憶が入れ替わり立ち替わり脳裏に蘇ってくる。

 空が明るくなり始める頃、ようやくうとうとしかけたビショップはデ・ゼーヴに揺り起こされた。

 翌朝、ビショップは桜の枝に登っているネイサンの姿を見た。鋸を片手に2メートルぐらいの高さに登ったところで、ネイサンは新芽で草色に染まった枝の連なりの間に頭を突っ込んでいた。それからしばらく経った後、コンテナハウスの屋根の上でゆさゆさと枝の揺れる音がした。まもなくガタガタと数本の枝が屋根に落ちて来た。

 その直後、「ああ」か「おお」という短い叫び声が聞こえる。それから物音が途絶えた。ビショップが外に飛び出す。ブロック塀の向こうで呻き声が聞こえた。ビショップは塀の向こうを覗いてみる。木から落ちたらしいネイサンが草の中で尻をさすっていた。

 結局、兵舎の屋根に登って切られた枝を引きずり下ろし、ゴミに出せるように括って片付けたのはビショップとデ・ゼーヴだった。ネイサンは「取材があるので」と言って、足を引きずりながら町に出て行った。

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