[5]

〈半年前〉

「中尉、ひとつ思い出しました」ネイサンが言った。「この間、部隊の誰かが貴官を『サイモン』と呼んでいるのを聞いたんですが、本名は何と言いますか?」

「本名は発音できないのです。この肌の色でお判りでしょう」

 ビショップは青みがかった肌に薄い色素の頭髪をした異系種である。連邦では大多数がネイサンやデ・ゼーヴのような白系種だが、版図の拡大に伴い、異系種も連邦の一構成員とみなした。異系種が独自に持っていた言語体系や文化もそのまま残された。だが、問題が全くないわけではない。ビショップの本名は連邦の公用語で正確に発音できないため、入隊する際に連邦の人名風に改名させられた。

「では、改名されたんですね?その名前は?」

「ビショップですが」

「ビショップ・・・すると、サイモン・ビショップですか・・・」

 ネイサンはブロック塀から首を突き出す。見開いた夜の眼をビショップに向けた。

「中尉、ディオリサに知り合いはお持ちですか」

「いえ」

「そうですか・・・まあ聞いて下さい」

 3年前。アウグストの誕生月の初め、ネイサンはアルゴス星系第2惑星スタヴポリに置かれた支局で勤務していた。当時、ネイサンが暮らしていたのは首都から北に100キロほど離れた小村だったが、用事がある時は首都に出かけた。ある日、ネイサンに連邦の首都星にある通信社の本社から来年の辞令が出された。

「新たな赴任先を指定されたのです。それがサリュート星系の第8惑星でした」

「クルプキですね」

「ご存じなのですか?」

「ぼくの故郷です」

 ネイサンはひとつ頷いて話を続けた。首都で懇意にしていた編集長に挨拶した時、ネイサンは支局の前で人とぶつかって持っていた本や地図を落とした。本や地図は支局の図書室から借りたクルプキに関する資料だった。青い表紙に《CLUPKI》と書かれていた分厚い図鑑を拾ってくれたのは女性だった。女性が尋ねる。

『クルプキに行くのですか?』

「そうです」

 女性が何か言いたげに口をぽかんと開けた。

「私は彼女を居酒屋バルに連れてきました。道端でぶつかった非礼を詫びるつもりで。バルと言っても、昼は喫茶をやってる店です。彼女はアイスティー。私はビール。外のテーブルに2人で座って、少し世間話を。彼女は言葉少なげでしたが、十何年も前にクルプキで帝国軍に戦ったことを話しました」

「どういう女性でしたか?」

「そうですね・・・」

 ネイサンはブロック塀越しにビショップを見つめた。

「背格好は小さかったです。まあ、女性ですから。年齢はあまり自信ありませんが、40代の半ばでしょう。肌の色や顔貌は現地の人間ではなかった。あの星も異系種が多いですから。私と同じ白系種でした。出身は分かりません。髪は鳶色で短かった。瞳は緑。身なりは貧しかった」

「他には?」

「銃を肩にかけてました。ライフルの類です。バルにいる時も、肌身離さないのです。金属の持ち手に美しい模様が入ってました」

「エミル・レオンM19/30。帝国本星の首都近くの軍需工場で製造された一品です」

「中尉、あなたはその女性をご存じなのですね」

 ネイサンは独りで軽く頷いた。

「どういう事情か知りませんが、女性は私に『暇があったら、クルプキでこの子に会ってほしい』と言いました。『名前はたしか、サイモン・ビショップ』それから地図に公用語で貴官の名前と何か要件を書きました。筆圧が強くて紙が破れそうでした。きっと大切な名前だったのでしょう」

「ぼくに会ってどうしようと・・・」

「私はその地図を帰り道で浮浪児に盗まれてしまったのです。それで、姓名とクルプキという星の名前しか覚えていなかったんですが・・・」

 ビショップは言葉が無かった。

「中尉、またお話しましょう。出発まで、まだ時間はありますので」

 ネイサンは再び傘を差して歩き出した。ビショップは無意識に声を出していた。

「その女性は・・・レイラ・ヤコヴレフという者です」

 ネイサンは振り返った。ひとつ頭を振って頷いた後、ブロック塀を離れてどこかに去って行った。

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