DEAD END 非愛

「……これで良いか」


 俺以外に誰もいない部屋の中には俺の声が響く。目の前の机の上には一冊のノートと筆記用具が転がっており、部屋にはゴミが詰まったゴミ袋やいま流行りのアイドルなどの写真集が散乱し、机や床、俺の手足やその写真集に白濁した体液がベットリとつく中、俺は何も着ていない肌もボロボロで腹も無駄に大きくなった醜い姿で小さく息をつく。


「……こんなの遺したって意味ないのにな。今となってはこうして引きこもって自分で欲求を満たすくらいしかやる事もないし、一緒に満たせるような相手だってもういないのに……」


 哀しさを感じながら呟いた後、俺はノートに書き記したあの8月について想起した。何もなかったと思い込ませたあの8月31日の後、何も変化しないと思っていた俺の予想に反して、人生は大きく変わった。

まずオオバさんだが、夏休みが終わって数日後にあの廃墟に行ってみると、そこにはオオバさんの姿も気配もなく、それから数回行ってもいつもいなかったため、犯罪者として逮捕されるのを遂に恐れたかと思っていた。けれど、その数ヶ月後に家に届いた手紙によって俺はオオバさんの正体について知る事となった。

なんとオオバさんは行方不明になっていたはずの夏子叔母さんであり、知らなかったとはいえ血の繋がりのある叔母と爛れた関係になっていた事に妙な興奮を感じながら俺は手紙を読み進めた。

夏子叔母さんは昔から父さんの事が好きだったそうだが、父さんが姉である母さんを選んだ事で失恋した。ただその後、そんな夏子叔母さんの気持ちを知らずに母さんはデートしてきた事を自慢したり両親は母さんのように早く良い相手を見つけてこいとせっついてきたらしく、次第に夏子叔母さんは自分を選んでくれなかった父さんにすら憎しみを抱き始めて、全員に復讐をしてやろうと考えるようになった。

それで、その復讐に利用されたのが当時の俺なんだが、夏子叔母さんが俺を利用しようと考えたのかと言えば、二人の子供である俺を自分の虜にしてすっかり夏子叔母さん以外の相手に欲情出来なくさせれば自分がいなくなった後も俺は誰かとの間に子供を作ろうとせず、夏野家の血の一つが途絶えると考えたから、そして当時から父さんは夏子叔母さんにも少し色目を使っていた事からその血を引く俺なら夏子叔母さんが少し体を許せば簡単に魅了されると考えたからみたいだった。

実際に俺はその企み通りに夏子叔母さんのあの魅惑的な肉体に溺れ、それを味わう事を邪魔してきた若宮さんのまだ幼さのある肉体を好き勝手に貪った挙げ句、酷い言葉で拒絶していた。それくらい当時の俺は夏子叔母さんの虜になっていたのだ。

しかし、俺が8月31日に姿を見せなかった上に若宮さんの事についても何もしなかった事から、夏子叔母さんは俺が自分達の事について考える事を止めたのだと察し、俺をこれ以上利用しても仕方ないと考えてあの廃墟から去り、実家へと戻ったようだった。

当然、両親には怒られたらしく、もう二度と勝手な真似は出来ないようにと携帯も財布も取り上げられたようだが、夏子叔母さんは最後の抵抗としてある物をそれぞれ別の知り合いがいる新聞社と出版社に送っていた。

それは俺との情事の様子を詳細に記したノートと隠して撮っていた映像と録音だった。送られた側も最初は何事かと思ったようだが、夏子叔母さんに連絡が取れない事からこれは非常事態だと考えてお互いに連絡を取り合って相談した上でそれぞれの形で記事にした。

その結果、この件は大きなニュースとなり、夏子叔母さんのところだけじゃなく、家にまで取材の申し込みが殺到し、それを聞いた周囲の人間達から避けられるようになり、夏子叔母さんは最後に謝罪の言葉を書いたその手紙を送ってきた日の内に首を吊って自殺し、両親も周囲からの冷たい目や無遠慮に訪ねてくる人々によって心を病み、今では揃って精神病院にいるのだという。

次に若宮さんだが、単刀直入に言えば彼女はもうこの世にいない。俺が結果として殺してしまったようなものだが、彼女が死んだのは俺が殺したからではなく、堕胎がきっかけだった。

彼女の肉体を貪った時、俺は一切避妊をしていなかったが、その妊娠していた子供は俺の子供ではなく、俺の父さんの子供だった。

どうやら父さんの不倫相手が若宮さんだったらしく、生理が来てまだ数年程度の若宮さんの体に父さんは媚薬や排卵誘発剤を投与して行為に及んでいた事で若宮さんは父さんの子供を妊娠してしまった。

その事も大きなニュースとなり、父さんは当然逮捕されて会社もクビになった上に母さんとも離婚し、その子供の責任を取るつもりもなかった事から出所と同時に失踪し、全く行方がわからなくなっている。

そして若宮さんも学校は自主退学をして、子供も産みたくないという判断から堕ろす事にしたが、父さんとの不倫の際に投与されていた物の影響は大きく、若宮さんのまだ成長途中の体と精神は堕胎のショックなどに耐えられず、その数日後にナイフで首を掻ききって自殺したそうだ。

因みに、若宮さんの両親も若宮さんの自殺によって責任の押し付け合いを始めた結果、ウチと同じく離婚し、二人ともそれぞれの実家へと帰ったらしいと近所の人が噂をしていた。

そして母さんだが、自分の息子と妹が肉体関係にあった事と自分の夫が息子の同級生と不倫していた事がだいぶ精神を傷つけたようで、ウチに来るようになった新聞記者やテレビのリポーター、噂を聞いて暴言を吐いたりそれを書いた紙を放り投げていく世間の人々の存在によって徐々にヒステリックになっていった。

小さな物音にすら過剰に反応して金切り声を上げたり物を投げたりし、毎日青白い顔をしながらブツブツと何かを呟いては突然笑いだしたり泣き出したりするようになったため、俺が精神病院に入院させ、今では両親と一緒に病棟で騒いでいるのだという。


「……夏子叔母さんの復讐は本当に色々な人を不幸にしたよな。まあ、復讐としては成功してるけど」


 異臭のする薄暗い部屋の中で俺は呟く。本来、夏子叔母さんから見れば、ウチの両親と自分の両親にだけ復讐をする予定だったのだろうが、結果として関係のない若宮さん達も不幸にしていて、俺も友達は一人もいなくなった上にこうして一人しかいなくなった家の中で自堕落に生活をしながら買ってきた色々な女性の写真集やネットで見つけてきた性的な画像や映像で自分を慰める毎日を過ごしている。

そんな生活をしているからか中学生の頃はあった筋肉もなくなって贅肉だけが体につき、肌荒れやできもので素肌は見るも無惨な事になり、外に出る以外は服を着る必要はないと感じていつも裸で過ごし、掃除や入浴も全然しなくなったから家の中と俺は異臭を発し続けている。

母さんや祖父母の遺した少し多めの遺産でこれまで生活してきたが、働きもせずに家に引きこもっているのでそろそろそれも底をつき始めていて、これ以上生きていても仕方ないのではないかと思い始めていた。

だから、あの8月の事をこうしてノートに書き起こしていたのだ。もう世間にはあの一ヶ月の事は知れ渡っていて、既に飽きられている頃ではあるけど、それは夏子叔母さんの主観による物で、俺側から見たあの8月については誰にも話していない。

もし、それが俺の死によって明らかとなったら果たして世間はどのような反応をするか。それだけが俺の楽しみになりつつあるのだ。


「……さて、それじゃあそろそろ始めるか」


 そう言って椅子から立ち上がった後、俺は白濁とした液体を垂らしながら部屋の中を歩き回り、事前に用意していた縄とナイフを手にとって、縄の先端を首が入る程度の輪っかにしてからそれを天井から吊るした。


「……これでいいな」


 それを見ながら満足感を覚えた後、俺はその下に椅子を移動し、作った輪っかに首を通してから持っていたナイフで喉の辺りを躊躇うことなく切り裂いた。


「ぐうっ……!」


 少し切れ味の悪いナイフで切り裂かれた事で喉に強い痛みを感じ、喉から流れ出す熱い血は首を伝って素肌を赤く染めていき、椅子の上は赤と白の液体が混じりあって生臭いピンク色に染められていった。


「で……でも、こ……これで、いい、んだ……」


 喉を切り裂いたからか少し喋りづらくなっていたが、俺は自分の状態に満足しており、冷や汗を額に浮かべながら俺は椅子を蹴り飛ばした。

その瞬間、輪っかに体重がかかって縮まった事で縄が俺の首に食い込み、喉の傷にも縄が食い込んで強く圧迫してきた。


「あっ……ぐ、あぐっ……!」


 痛かった。少しささくれた縄が傷に食い込んで圧迫してきた事で体全体が針で刺されているような痛みに襲われ、更に流れ始めた血で縄は赤く染まり、体重がかかった事で縮まった輪っかは喉の骨を砕こうとするかのように強い力で絞め続け、体からは汗や血だけじゃなく、排泄物や嘔吐物まで出始めた。


「うげっ……あっ、おえっ……」


 口から出るのは掠れた嗚咽だけで、誰もいない部屋の中にはそんな汚い嗚咽とあらゆる物が落ちていく音だけが聞こえていた。

けれど、これで良いのだ。夏子叔母さんは首を吊り、若宮さんはナイフで首を掻ききって死んだ。そんな二人から目をそらして自分だけ逃げようとした俺は二人が味わった苦しみをどちらも味わって死ぬのがお似合いなんだ。


「……あの、日に……もどれ、た……ら……」


 薄れていく意識の中でそんなあり得ない言葉を口にし、目の前に俺を恨めしそうに見る二人の幻影を見て俺は涙を溢した後、失血と窒息の二つによって意識は無くなり、誰からの愛も受けられず誰も愛せない非愛の俺は一人ぼっちで命を落とした。

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