第38話 動けないすきに

 自分の名前が何度も、何度も呼ばれていた。遠くで聞こえているようなそれは、だんだんと近くに聞こえてくる。

 返事をしたいけど返事ができない。答えたいけど答えられない。あと少し、あと少しで起きれそうなのに。薄い膜のようなものに覆われているようで、自分がまだまどろみから飛び出せない。


「ミュー! ミュー、起きろよ、起きろって!」


「あなたが力加減を誤ったんじゃないですか。タナトスの覚醒を阻止するためとはいえ、ミューへのダメージが大きかったんです」


 セラとベリーの声がする。二人は相変わらず言い争っているようだ。


「でもよ、あぁしなきゃ、ミューが正気を失ってただろ! 無理しやがって、あんな凶悪なモン取り込んじまったら、自分が暴走しちまうっつーの、全く」


「けれどそうしなければ。ただタナトスを葬っただけでは、またアレは召喚でよみがえってしまう可能性があった。ミューはそれを考えた上で自らの中に取り込んだんです。無茶をしますね、本当に」


 二人の言葉には自分のやった行いに呆れながらも労ってくれているような含みを感じた。全く、本当に……そう言いながらもよくやったな、でも無理して、という色々な感情が混じっているようだ。


 横たわって力の入らない自分の身体。二人の声は聞こえるのに答えることができない。意識がまだ身体の奥底で眠っている。

 けれどセラの手が自分の額を優しくなでてくれていた。


「ミュー、君は私達と共に生きるべき存在です。あなたを待っている人もいるんです。だから早く起きなさい」


 セラの優しい言葉に、嬉しくて心が震える。最初は冷たくて怖いなと思っていたセラだけど今は全然怖くない。セラはとてもあったかい存在だ。


「うっわぁ、お前からそんな言葉が出るなんて思わなかった。超サブイボが立っちまった」


 セラの言葉をからかうベリーは優しくなでるセラとは反対に、ちょっと力を入れてミューの頭をくしゃくしゃとかき回した。


「ミュー、ほら起きろよ。お前がいないとオレ、また一人ぼっちになっちまうじゃねぇか。そしたら今度こそ、あんなくだらない人間の世界なんて破壊しちまうからな」


 とんでもない言葉に心臓がドキリとする。なんてことを言うんだ、そんなこと本当に考えているのか。

 一瞬不安に駆られたが、ベリーはそう言った後、ハハッと笑っていた。


「冗談、冗談。そんなことオレがするわけないだろー。だってオレ、人間が好きなんだ。悪いヤツもいるけど大勢はイイヤツばかりさ。それに何よりオレはお前が大好きだ。お前のこと、オレ一生守ってやる、だから起きろ」


 そんな発言に、今度は別の意味で緊張が走った。ベリーに好きだって言われちゃった。それはとても嬉しいと思う。

 僕だってベリーのことが好きだ。

 同じようにセラのことも好きだ。

 けれどこんなことを言ったら八方美人だって言われかねない。


 それにしても、こうやって意識はあるのに、どうして身体が動いてくれないかな。何をやったら目覚めることができるかな。力を入れたり深呼吸をしてみたり、色々やってみたが。なかなか身体は動いてくれない。


 そうこうしているうちに「やれやれ」とため息をついたベリーが「なぁ、セラ」と、もう一人のパートナーの名を珍しく呼んだ。


「お前もさ、こいつのこと好きなんだろう」


 ベリーの問いに、セラは「もちろんです」と迷いなく答えた。聞いている方が恥ずかしくなってしまう。


「多分こいつ、オレのこともお前のことも同じぐらいに想ってくれている。だからオレはこいつの考えを尊重してやるつもりだ」


「それは私も同じ考えですね。あなたと同じ考えは気に入らないですが、ミューの考えは私も受け入れますよ」


 非常に珍しく二人の意見が合っていた。よかった、仲直りしたみたい……ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。

 次の瞬間には、また二人はとんでもない会話になっていた。


「ところでよー、ここだったら別にこいつに何しようとバレないよな? ここは人間の世界じゃねぇから未成年とか学生とかそういうの関係ねぇだろ」


 何を言ってるの? ミューは心の中で突っ込む。何か良くないことが起きるような気がして自分の心臓が速く動き始めた。


「全くあなたは……寝ている人の寝込みを襲うというのですか、なんて無粋な」


 セラが否定する。その否定に「だよね」と心の中で、セラに同意したのだが……。


「けれど、まぁ……確かにここは人間の世界とは違います。人間のルールはここでは通用しませんね」


 えぇぇぇ、あっさりそこは意見を変えるの!

 ミューの声は内心で上ずった。

 セラやめてよー、と彼のことを呼んでみたが、その言葉はもちろん聞こえていない。ヤバい、そろそろ起きたい。この事態を止めてくれる人がいなくなってしまった。本当に起きないと。


 セラの指がふわっと優しく頬をなで、そして唇をなでててきた。身体を動かすことはできなくても感覚はある、ゾクッとする。


「……けれど最初にミューとつながるのは私にしたいんですが。それはもちろん、あなたも納得がいかないでしょうね?」


「あぁ? 当たり前だろ。ミューと最初につながるのはオレ。だってオレの方がお前より好感度上だろ、絶対。なんだったらお前と戦って決めてもいいぞ」


 ドキドキする言い争いが繰り広げられる。ちょっと待て、本当に。このままでは自分の身体が危ういことになってしまうぞ。


「しかし戦いなんて、やはり気品がありません。もっと優雅に決めることはできないですかね……例えばどっちがミューを快楽的に満足させられるか、とか」


 なっ⁉ なんてこった、えっ、それって優雅なの?

 身体は動いていないが頭を抱えたい感じだ。セラ、そういう恥ずかしいことを真顔で言わないでほしい。

 そんな言葉を聞いたベリーが「相変わらず変態だな」と含み笑いをした。


「お前ってクールぶってても、そんな変態なことばっか言えたり考えてるわけだな。でも悪かねぇかな……それならミューが選ぶってことだもんな。じゃあ、やってみるか」


「そうですね」


 セラもベリーもなんでこんな時だけ意見が合うんだ。まったくこの二人は本当にもうっ。


 ミューは自分の身体に動けと念じた。このままでは別の意味で本当に二人に喰われてしまうのだ、自分はまだそこまで心の準備はできていない。まだダメだ、ダメなんだ。


 ミューは渾身の力を込めた――起きろ、と。今度はベリーとセラの行動を止めるんだっ!


 その時、閉じていた自分の目が開き、開けた視界に捉えたのは二人が自分を真上から見下ろしている光景だった。

 真っ先に出た言葉は――。


「ダ、ダメ!」


 二人の好意は嬉しいが、行動を阻止する言葉だった。

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