第2話 沖田塾の終わり。

新規入塾生からの断りの電話がまた入った。

これでは藤尾と高柳を入れた意味がない。

まだ3人で必死になっていた方が良かった。


一度、職員室で藤尾と高柳の愚痴のようなものを耳にした。福利厚生面に不満があるようで高柳は「俺達大卒なのに、そこそこ良い大学を出たのに」と言って居た。


ならばその自分に見合った所に行けば良い。

段々と憎々しく思っていくが私にはどうする事も出来なかった。



そこからは櫛の歯が欠けたように生徒達が辞めていった。

塾長は1人でも生徒が居てくれるなら沖田塾を続けると言い、奥さんは見切りをつけて欲しい。損切りをすべきだと言って居た。


そして奥さんは塾に来なくなり生活を支えるためにパートに出た。



これ以上悪い事は起きないだろうというところまで沖田塾は落ちた。

給与の支払いが数日だが滞るようになると高柳は「これって会社理由になりますよね?辞めます」と言って早々と辞めた。


皮肉な話だがこれで沖田塾の経営は少しだけマシになる。

だがそれでも経営難は続く。

遂に塾長は私財にまで手を出して私達の給与を出し始めて、奥さんが久しぶりに乗り込んできて判明した。


私は高柳のついでに藤尾にも辞めてほしかったが藤尾から辞めるとは言わなかった。



私は経営のために沖田塾を去る事も、給与の減額も構わないと申し出たが塾長は「天宮さんが沖田塾を見限って辞めたいのならいいですが、違うのなら居てください。給与の減抱くもしません」とキッパリと言った。


この時の塾長は白髪混じりでこんなに老け込んでいただろうかと気付き、見て居られなかった。




そして最悪の最悪は起きた。


藤尾が小学生に手を出してしまった。

自習室で女児と2人きりだったときに秘密の勉強を教えてあげると言って性的虐待を行った。


それは一度二度で済まずに三度続き、女児が親に話した事で発覚した。


藤尾は手慣れたものですぐに弁護士を用意して狭い街で噂になると大変だから示談にしましょうと被害者の親に持ちかけた。


「勿論、法廷で争うと仰られればお受け致しますが、そうなるとお嬢様の調書が必要になり、何回も何回も代わる代わる様々な大人達に藤尾先生と何があったかを聞かれる事になります。そして公になればこの街でのお嬢様の立場は悪くなってしまいます」


この言葉で女児一家は結構な金額を得て無かった事にした。


ここでわかったが、藤尾の家は資産家で、沖田塾の給与は安くても問題がなく、幼い女児を愛でられる環境に感謝をして居た程だった。


藤尾は沖田塾を解雇になり、相場一割増と言われた迷惑料を弁護士が置いていったが何もかもがダメになって居た。


女児に性的暴行をした私塾。

そのレッテルを張られた今、誰も沖田塾に子供を通わせようなんて思わなくなって居て、藤尾が居なくなったからチャラになんかならない。


藤尾は藤尾からすれば痛くもない額のお金で刑罰から逃れ、街を捨てていくらでもやり直せる。

もしかしたらこれからも私塾を狙って犯罪を繰り返すかも知れなかった。



それでも沖田 優人塾長は最後までキチンと誠意と熱意のある授業を行い、その日が最後の子にはその子用のこれからの勉強法をまとめたプリントを用意して「これからも頑張ってくださいね。変な事になってしまってごめんなさい。最後までお勉強を教えられずにごめんなさい」と一人一人に声をかけて謝っていた。


横で共に頭を下げる私には「天宮さんには申し訳ない事をしてもらっているね」と言って塾長は謝ってくれる。



奥さんは塾として支払う賠償金の事もあり益々塾には近寄らなくなっていた。

私は母から早く辞めるように言われたが「沖田塾で起きた事件だけど私達は悪い事はしていない。だから最後まで勤め上げる!」と言った。


クリーニングや散髪に行けず、服はよれよれ、髪は伸びてしまって情けなく見える沖田 優人塾長は最後の生徒を送り出して夢の全てを失っていた。


奥さんは全てが終わったら精算を済ませて藤尾の残したお金で新たに夢を探そうと言ってくれているらしい。


だがそれは間違いだと思った。

今も泣きながら机と黒板を拭き上げる沖田 優人塾長の夢はこの沖田塾でこれ以外、新たな夢は考えるだけで冒涜なのではないかと思いながら一緒に黒板を拭く。



涙が止まらなかった。


私はそんなに泣く方ではない。

学校で植えた桜の苗木が台風で倒れた時、感受性の強い女子達は泣いていたが私は泣かなかった。

近隣の学校と合同の球技大会で負けた時も泣かなかった。周りは男女問わず泣いていた。


それなのに泣いていると沖田塾長は「ありがとう。優しいですね。天宮さんは優しい方です」と言って涙を流しながら「ありがとうございました。他の方には用意出来ませんでしたが天宮さんには退職金を用意しました。僅かばかりですが、これを次の仕事までの繋ぎにして天宮さんは天宮さんの夢を見つけてください」と続けた。


私は無性に悲しくなって涙を流し首を横に振りながら震える声で「塾長はどうするんですか?ここが塾長の夢でしたよね?」と聞く。


「そうです。沖田塾が私の夢。沢山の子供に勉強を教えてきっかけを作ってあげたかった。

皆わからない事がわからない。だからわかるように指導をしてあげると伸びるんです。伸びる土壌さえ出来れば進学塾でも独学でも伸びるんです」

そう言ってボロボロと涙を流して肩を震わせながら泣き続ける沖田塾長がこの先について話さなかった事が気になった。


私は壊れたように泣き続けながら「塾長?この先の事を話してください」と言う。


塾長は泣きながら困った顔で何度もはぐらかすがその都度「何で話してくれないんですか?話してください」と言うと諦めたように「妻に残せるものを残して私は消えようと思っています」と言った。


失踪ならまだ良い。

命を絶つのは以ての外だ。


「ダメです!生きてください!」

死ぬ前提で話す私に塾長は「もう夢は終わりました。私には何もありません。妻はまだ33歳。まだまだこれからです。私に付き合う意味はない」と言うと私にもう一度ありがとうと言って「もう帰りなさい」と送り出すように追い出した。


嫌な予感がした私は帰るフリをして沖田塾を見張ると1時間して塾長は外に出てきた。


何かを沖田塾の郵便受けに入れると家とは逆方向に歩いていく。

沖田塾長の家は沖田塾と同じ街、以前秋空を見て笑顔になってしまったコンビニの方角にあると聞いていた。


私はその時になって奥さんの携帯電話や自宅の電話番号を知らなかった事に気付き後悔をした。


慌ててメモ用紙を破くと「沖田塾長が家とは逆方向に歩いて行きました。命を落とすかも知れないので後をついていきます」と殴り書いてポストに入れて塾長の跡を追いかけた。


塾長は普段私が使っている駅とは違う駅から電車に乗った。


暫く着いていくと大きなターミナル駅に出る。

そのまま新幹線の切符売り場に入って行こうとしていた。


死を直感した。

塾長は死ぬ気なんだとわかった私は慌てて切符売り場に行って塾長を呼び止める。


「天宮さん?」

「ダメです!帰りますよ!」


駅員達が訝しんだ顔で私達を見たが関係ないとばかりに塾長の腕に抱きついて大型犬を押さえ込むように駅の外に引っ張り出した。


駅前のベンチに項垂れるように腰掛けた塾長をしつこく問いただすと死んで奥さんにお金を残そうとしていた。


「何でですか!?」

「天宮さんも言ってくれた通り、私はもう…夢も何もない。だから今まで付き合ってくれていた妻に残せるものを残して居なくなりたいんだ」


そう言った塾長の顔は疲れ果てていた。

1人にする訳にもいかず私は「わかりました。死ぬ以外で考えてください。どこか行きたい所はありませんか?」と聞く。


塾長は死以外の会話にはキチンと答えてくれる。「行きたい所ですか?」と聞き返した後で「…海ですかね」と言った。


「どこのですか?」

「どこでも構わないですよ。ただ砂浜に腰掛けて海が見たいんです」


「わかりました!明日行きましょう!」

とんでもない思い付きだったが私は一度帰りましょうと言って塾長を送り付けると大変な騒ぎになっていた。

帰りが遅い事を心配した奥さんが街中探し回って塾に戻ってきていた所に丁度会えて安心をした。


死のうとして居た塾長を殴りつけた奥さんに塾長はごめんなさいと謝ってから「明日、海まで行こうと思うんだ。天宮さんが死ぬ以外で行きたい所はないかと聞いてくれたからね」と言う。


沖田家を支えている奥さんは急にはパートを休めないと言ったが塾長は「大丈夫。天宮さんに同行をして貰います」と言い、奥さんは私に「ごめんなさい。頼めるかしら?」と言った。

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