壊れた心。

さんまぐ

第1話 沖田塾に勤める天宮 美空。

「君はダリアのような笑顔ですね」

その人はそう言って秋空の下、コンビニから出てきた私に微笑んでくれた。


花に疎い私はダリアと言われてもよくわからない。

職場に戻るとその人は「わからなそうな顔をしていました。これがダリアです」と言ってパソコンの画面に中心は黄色くて中心から外側に向けて濃い紫から薄い紫に変わっていく花を見せてくれた。


「はあ、これが私」

「はい。さっきはとても綺麗な笑顔でしたよ。何か良い事でもあったのでしょうか?」


そう聞いてきたのは小さな私塾のオーナーで塾長を名乗る沖田 優人さん。御年42歳になる。

脱サラで私塾を開き、熱心さと地域密着型の勉強法がウケてこの歳で3名の従業員まで持てる程に塾を大きくした。


私塾を舐めてかかっていたわけではないが、早番遅番がある仕事だった。


昼から入って小テストや勉強用のプリントの用意と成績評価をして自習室で自習しにくる子に勉強を教える早番と午後2時から来て3時から授業を受け持つ遅番がある。


今日は早番で昼を買ってから行こうとしたらコンビニを出たところで塾長と鉢合わせた。

別に塾長が苦手とかではないがまさか見られているとは思わなかった。


「いい事と言うか…」

照れながら話す私は「お店から出たときの外の風と空の高さが気持ちよくて…」と言うと塾長は「わかります!天宮さんは素敵な感性をお持ちですね。今日も頑張ってください!」と言って教室の備品チェックに行ってしまった。


職員室として用意された部屋はプリント類さえ汚さなければ飲食自由で、それは塾長の優しさから来ている。

優しい人、優人という名前はこの人の為にあるものだと思ってしまう。



沖田塾は毎月15日に給与を手渡される。

15日なのは塾長がやっていたバイト時代の名残で「勝手にお給料日は15日と根付いてしまっていて、すみません」と初任給の日に照れ笑いをされながら言われた。


お給料は事務と経理を担当している奥さんが家から持ってくる。

本当なら振り込みが嬉しいが小さな私塾では致し方ない。


私の給与袋に書かれた天宮 美空の名前。

この字は塾長がどんなに忙しくても毎月熱心に心を込めて書いているという。

そんな事を奥さんは呆れながら、どこか嬉しそうに話していた。


大学を卒業するにあたって就職活動をしたが就職難の時代で大手や従業員数三桁の中小企業はとんでもない倍率で数社受けて諦めた。


そして求人票すら出せなさそうな零細企業に目を向けたら沖田塾があった。

家から一駅。通勤片道35分の好立地。

給与面はあまり考えなかった。

実家暮らしで家賃食費は親が出すからその分を無視できた。


母はとにかく体裁第一主義で父はまともな人だが家では日和見主義。

母は散々自慢した大学に行った娘が新卒で仕事を見つけてくる事に意味があってプレッシャーが半端ない中の就職活動だった。


バブルの亡霊。

私は陰で母をそう呼んでいる。

母はバブル期の好景気に惜しまれながら寿退社をした。

その為に感覚がバブルで固まっていて、就職難の言葉は知っていても遠い世界のように考えているし、給与も年齢=手取り給与などと外で言ったら笑われるような事を本気で信じ込んでいる。


だから私の給与を聞いた時に「やだ、アルバイトじゃない」と笑われた。

相場や世間を知っている父は日和見主義なので余計なことは口にしない。

確かにバブル期に働いていた父の給与は年功序列もあって私達世代からしたら天上の世界の話だった。


私は毎月給与を貰うと塾長と奥さんに頭を下げる。

奥さんは申し訳なさそうに「これだけしか渡せなくてごめんなさい」と謝ってくれる。


沖田塾は「理解を求めて後は子供達に任せます」と言うモットーで、わからない部分を徹底して何がわからないかを追求していく。

そしてわかるようになると自主的に問題を解かせる。

自主性の乏しい子はケアレスミスで失点するが、解き方はわかっているのでもう一度問題を解かせると正解したりする。


そんな塾でゴリゴリの受験対策なんかをする訳ではないので生徒数は一定以上にならない。だから給与に反映されないのも仕方がない。


このスタイルで良いじゃないかと思っていた。

もう勤めて半年、未来の事はわからないが実家暮らししていれば困る事はない。



事態というのはなかなか好転しない。

広い世の中も、狭い身の回りも。


今年も就職難は続き、テレビの向こうでは政治家達が「景気は好転しています!」と言っていたがその恩恵はまだ届かない。


その為、2名が春で退職すると申し出ていた。

まあこの2人は男で実家暮らしでも家賃食費を家に入れていれば殆ど残らない。

男として将来を考えると不安になるのもわかる。


沖田塾は良いところだ。

ささやかながら忘年会もする。

塾長、奥さん、そして3人の従業員。5人のささやかな会だが暖かで穏やかな会が催される。

忘年会の帰りに2人は忘年会の費用を給与に乗せてくれないかなとボヤいたが6000円のコースだとしたら月500円にしかならない。

それで何かが変わるのかと疑問に思った。



急遽年明けから募集を出す事になった沖田塾。

塾長は2人の別れを惜しんだが「ウチがお給料を出せないのが悪い」と諦めて頑張って右往左往していた。


辞める2人も生活があるから辞めるだけで沖田塾や塾長、生徒たちは好きなので可能な限り働いてくれた。


それでもどうしても引き継ぎと今の仕事がプラスされると帰宅は遅くなってしまう。


「家で親御さんは心配してないかな?」

「天宮さんまで辞めてしまったらウチの塾はおしまいだ」

「天宮さん。いつもありがとう」


塾長は毎晩そんな事を言ってくれる。

私は「そんな事ありませんよ」といつも返す。


母は帰宅が遅いだけで「私の勤めていた頃はもっと忙しかった。仕事とはそういうものだ」と喜ぶ。


24時間働けますか?

そんなフレーズを聞いたことがあるが今は違う。

私はそんな事も知らないバブルの亡霊を冷めた目で見た。



1月から始まった引き継ぎや人員募集はまだまだ難航していた。

運命共同体のように塾長と奥さん、私の3人でなんとか頑張った。


3月になって、辞める2人が辞める事を躊躇しだして、塾長が「ありがたいけどダメですよ。あなた達の生活を私には支えられません」と言って申し出を断っていた。

とても優しい塾長の顔を見ると身体は疲れて居たがやり切るまでは倒れられないと思っていた。


その頃には沖田塾の一員を通り越して、家族や戦友の気持ちになっていた。




3月の中旬にまだ募集はあるかと問い合わせが来た。


なんでも今年大学を卒業するらしく就職先を探して居たらしい。

それも2人だった。


これでなんとかなったと辞める2人も良かったと胸をなでおろし、何かあったらアルバイトでもなんでも言ってくれと申し出てくれた。


面接には立ち会わなかったが塾長と奥さんの話では今時の男の子で辞める2人と比べたら物足りなさや不安はあるがそれは皆でサポートして乗り切ろうと言った。



だが話にならなかった。



自覚が無い間に性善説を信じて居た私はとても驚いた。

働きたいからと来たはずの藤尾と高柳は働かなかった。教職課程は取って居たので学校にも行ったことがあると話して居たが、口ばかりで意味がない。


皆で作ってきたルールを勝手に無視をして報告欄に嘘を書いた。

おかげで「理解を求めて後は子供達に任せます」と言うモットーが裏切られる事になると熱心さが売りだった沖田塾の評判はすぐに悪くなる。

新学期に優秀な先生が辞めて代わりの先生はダメだと言われる。


家に帰ると母が「恥ずかしい」と街の評判をもとに文句を言ってきた。

そもそも給与面で乗り気ではなかったのに街の評判がよかったからと掌を返して「娘の勤め先です」と言っていたからこうなるんだと呆れ返った。

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