「ゼロの偽証」 制空権

 警報音、血色のランプが照らす薄暗い通路、床に煌めく真鍮色の空薬莢。

 それを踏み潰すように、兵士たちは進む。


————ヘキサゴンタワー襲撃事件収束から九十五分経過。


 一階上に向かう為に使える階段は一つしかない。楕円形の中央にあるエレベータホールの壁を挟んだ反対側、つまりイポスのいる場所から最も移動に時間がかかる場所にある。

 中央から翼状に伸びた二つの通路を二手に分かれた保安部隊の訓練された隊員たちが進んでいく。秩序の象徴たる紺を基調とした制服に、バイザーヘルメットを身に纏った隊員たちは、隊列を崩さずに侵入者を挟撃せんと息巻いている。

 ロックダウンによりエレベーターは停止、さまざまな部屋へと繋がる複数の扉は、その全てが封鎖されており、完全に袋の鼠だ。逃げ場はない。

「止まれ」

 エレベータホール、そこに繋がる通路は二つ。その両方から対テロ特別保安部隊の面々が押し寄せる。

 彼らは、そこに侵入者の姿を捉えるはずだった。

「……異常なし」

 しかし、そこに人影はなかった。あるのは、同胞たちの死体とガラスの破片だけだ。

 十四人の英雄たちの間に、緊張と困惑の色が漂い始めた。

「HQ、侵入者確認できません。次の判断を」

『確認できない……? ロックダウン警報が誤って作動したとは考えにくい。もっとしっかり探せ』

「……了解」

 舌打ち交じりに保安部隊の男が返した。

 無線を通じて指示が聞こえていた他の保安部隊の隊員たちが、周りを捜索し始める。

 ロックダウン中はほぼ全ての扉が強制施錠され、解錠するにはロックダウンが解除されるか物理鍵の解錠と事後処理班の生体認証を同時に行うしかない。

 ロックダウンは解除されておらず、また物理鍵は保安局ビルの地下三階にある事後処理班本部で厳重に保管されている。

 つまり、部屋の中に入ることはほぼ不可能だ。

「無理を悟って飛び降りたとか……?」

 割れた窓付近に立っていた隊員がボソリと呟いた。

 だが、吹き込んでくる風は強く、まともに他の音が聴こえないほどに風切り音と警報音がうるさい。彼の呟きを聴くものはいなかった。

 恐る恐る、確認のために隊員は落ちないようにしゃがんで窓から身を乗り出す。

 地上までの距離はおよそ一二〇メートル。肉眼ではとてもじゃないが地上の詳細は見えない。

 それを悟ったのか、首を引っ込めようとしたその時。

 風に混ざって微かな駆動音が上方から聴こえた。


────銃声。

 上を向いた隊員の頭の前半分が消し飛ぶ。

 それまでそこにあった目に映ったのは、駆動音の正体であるドローンとその底部についた取手を左手で掴んで浮かんでいたイポスだった。

 空のショットシェルが地上へと落ちていく。

 銃声を抑制する手段は無かったため、このままではイポスはただの的だ。

「ちょっと上げてくれ」

『了解』

 高度がほんの少し上がる。目の前には、三十一階のフロアと外を隔てるガラスがある。

 ショットガンを片手で構えて引き金を引く。

 喧しい銃声とほぼ同時にガラスが砕け散り、三十一階への道が開ける。

「ジョン、近づいてくれ」

『了解。合図するまで手を離すなよ』

 ゆっくりと、風に煽られながらドローンはビルの中へ入る。

 一歩遅れて、保安部隊のライフルから放たれた銃声と銃弾が空へと飛んでいく。

『もう大丈夫だ。まったく、無茶しやがる』

 左手を放して、着地する。時間にすればほんの数十秒程度ではあったが、手を放すまいと意識していたせいか、何倍にも時間が引き延ばされていたかのような感覚だった。

 正面から戦っても絶対に勝てない相手、ならば正面から戦わなければいい。

 一対多の戦闘の基本は奇襲、無理矢理に一対一の戦局を作り出してそれを維持することだ。

 イポスがやっているのはスポーツでも決闘でもなく、仕事なのだから。

『死ぬんじゃないぞ』

「もちろんだ」

 二発分のショットシェルを掴んでマガジンチューブへ滑り込ませる。

 サーバールームは何処だろうか、周りを見渡してもドアの中央辺りにあるプレートには階数と部屋ごとの通し番号しか書かれていない。

「骨が折れるな」

ショットガンをしっかりと握り直してから、右手首のスマートウォッチを見る。

「敵の数は?」

『今のところ十一名、増えるかもしれないから気をつけろ』

 スマートウォッチ上のミニマップに敵予測位置が赤い靄で示される。

 まずは地の利を得たことを最大限活用して減らせるだけ敵を減らすべきと考え、階段の方へ急ぎ足で向かう。

「上の階へ行ったぞ!」

 階段に近寄れば下の階からの怒号が響いて聞こえる。ポーチから一つ手榴弾を取り出し、ピンを抜いて下層へと投げ込む。

「グレネード!」

 誰かが叫ぶと同時にすさまじい爆発音が響き渡る。階段を急ぎ足で降り、踊り場でショットガンを構える。射線に入った生き残りの保安部隊員の頭を打ち抜く。

 肩を強く叩かれるような反動を抑え込みながら次の獲物を探す。

 そこで気づいた、死体が五つしかなかったことに。足音が聞こえたのは上層階からだった。

 踊り場から階段を三段ほど下り、射線が通らないよう身を隠す。ほぼ同時にアサルトライフルの銃声が鳴り響いた。手摺子がかなり高めの壁で良かった。

 恐らく、上に逃げた時点で奇襲の為に先回りしていたのだろう。さすがに強い。

 銃声に交じってこちらに向かってくる足音も聞こえる。ショットガンを構えなおし、近づいてきた保安部隊員の露出した足を撃ち抜く。

 悶えて倒れた部隊員を膝で抑え込み、続いて来ている二人の敵を捉える。まずは向かって左側にいるショットガンを持った部隊員の胸部を撃ち抜いて大きな風穴を開け、次いで右側のサブマシンガンを携えた部隊員の頭を吹き飛ばす。

 倒れた隊員たちは気にせず上層階の階段を狙って二発ほど発砲。身体を再び隠し、ショットガンの銃床で起き上がり始めていた膝の下の部隊員の頭を思い切り殴る。

 衝撃がヘルメット越しに伝わり、そのまま床とも衝突する。左手でマテバを抜き、ヘルメットとベストの間を撃ち抜いて銃殺する。

 階段の壁をえぐるようにもう一度、上層階の部隊員たちが乱射し始める。マテバと左手だけを壁から露出させ応戦。弾切れになったと同時に踊り場を飛び出す。

 身を乗り出して再び発砲しようとしていた部隊員に向けショットガンを発砲。空のショットシェルが階段を落ちる。スラグ弾は左肩をえぐり、ライフルの射線は明後日の方を向く。

 隙を逃さず階段の段を飛ばして駆け上がり、ヘルメットに銃床を叩きつけて間髪入れずに胸を蹴り上げる。

 隠れていたもう一人が飛び出してきた。弾切れのショットガンを鉄パイプよろしく扱ってライフルの射線を避け、そのまま力ずくで押し飛ばして距離をとる。

 階段と逆方向に押し飛ばされた部隊員へ近づく。勢いを殺しきれなかった部隊員はそのまま壁へ衝突してようやく止まった。ライフルを向けようとするが既にイポスは至近距離まで近づいていた。

 イポスはライフルの射線を向かって左側へショットガンで払い除けることで逸らし、そのまま部隊員の右腕ごとショットガンで部隊員を押さえつける。

 イポスは懐に隠していたナイフを取り出し、部隊員の首筋目掛けて突くが彼の左手に阻まれてしまう。一瞬の攻防を繰り広げた後、ナイフを引いて腹部に二回突き刺し、抜かずにそのまま部隊員が左腿に携えている自動拳銃をホルスターから取り出して階段前で倒れている部隊員の頭部へ二度発砲。

 起き上がり始めていた部隊員は着弾の衝撃で再び臥せってしまう。

 壁に押さえつけられたままの部隊員は必死に抵抗の意思を見せるが、暴れれば暴れるほど刺さったままのナイフが蠢き、苦痛の叫びをあげる。イポスは彼のヘルメットを掬い上げるように自動拳銃の先端を入れ発砲。声は聞こえなくなった。

 ナイフを抜き取り、階段の方へ戻るイポスはもう一度、今度は足を狙って臥せっている部隊員を撃つ。狙い通り左のふくらはぎ辺りに着弾し、彼は悲鳴を上げた。

「畜生! クソ野郎が!」

「英雄さまよ。どうして道を違えてしまったんだろうな」

 そう呟いてからヘルメットを外して頭を撃ち抜いた。

 何人殺しただろうか。マテバに徹甲弾を四発だけ込めながらそんなことを考える。シリンダーを閉じて階段を上り始めた。

「ジョン、他に敵は……」

 踊り場まで残り二段。その瞬間、僅かに布がすれる音が、金属同士が奏でる金切り声が鼓膜を震わす。

 身構えはしたが、銃を構える暇はなかった。

 ショットガンを構えた十一人目の部隊員が目の前に立ち塞がった。

 顔を腕で守るように覆う。直後、凄まじい衝撃が腕を襲う。かろうじて左側へ衝撃をいなして感覚の無くなった左手で手摺を掴んだ。

 ジャコン、というフォアグリップを後退させて排莢する音が響いた。次が来る。

 反撃、間に合わない。もう一度、腕で顔だけは守る。

 荒々しい銃声が響いた。いなしきれない衝撃はそのままイポスを吹き飛ばした。平坦な地面なら脚を後退させれば踏み止まれたかもしれないが、ここは階段だ。踏み外したイポスはそのまま階段を最下段まで転げ落ちた。


 ポンプアクション式ショットガンの排莢をする。ショットシェルが床を転がった。階下に倒れた侵入者を睨む。仲間の死体の近くに倒れた彼の顔立ちから見るに、相当若い。

「こんな若造にしてやられたのか……」

 胸ポケットから防弾のカバーを纏ったモバイル端末を取り出し、幾度か画面を操作し鎮圧成功の旨を仲間と司令部に連絡する。

 階段をゆっくりと、警戒しながら降りる。侵入者の男は血を流して倒れているので恐らく死んでいるとは思うが、一気に十七人を鏖殺した男だ、警戒心は晴れない。

 距離は詰まっていく。ピクリとも動く気配はないが、それでも銃口の先には彼がいる。あと一歩近づけば、これで侵入者の死亡を確認できる。その一歩を踏み出した瞬間、彼が動いた。

 鬼気迫った顔で向けられた妙な形のリボルバーの銃口に、視線が吸い込まれる。反撃の意思が消える。このまま死ぬのか。


 銃声、マテバが火を噴いた。ヘルメットを食い破り、部隊員の頭は吹き飛ぶ。

「痛ってえ……」

 階段を転げ落ちる時に色々なところをぶつけたので立ち上がる気力がなくなってしまった。

『イポス、無事?』

 レラジェの声だった。

「階段を転げ落ちるのが無事だと言えるなら」

『大丈夫そうね』

 気の抜けそうな会話をしながら立ち、辺りを見回す。

「ジョン、状況は?」

『増援が来るぞ』

ショットガンを横に倒し、腰にぶら下げた専用のケースからショットシェルをまとめて四つ掴み、ショットガンの底部に空いたローディングゲートへ二発ずつシェルを滑り込ませる。それを二回繰り返す。

 マガジンチューブが満杯になったところでボルトを引き、初弾を装填してからもう一発分シェルをゲートへ入れた。

「人数と場所は?」

『七人、一階上にいる。サーバールームへ向かう階段はほぼ真反対な以上、恐らく交戦は避けられない』

「だろうな」

 イポスは階段を駆け上がり、三十二階へと辿り着いた。

「ジョン、残弾数を考えるとこれ以上の保安部隊との戦闘は厳しいぞ」

『何人までなら大丈夫なんだ?』

「多く見積もって十五人。なんとか戦力を分散させられないか?」

 近くの柱に身を隠したイポスがショットガンのグリップをしっかりと握る。

『私がやる』

 応えたのはレラジェだった。

『下で騒ぎを起こすだけだから大して分散はされないでしょうけど、少なくとも混乱はさせられる』

 頼もしい言葉だ。心の底からそんなことを思いながら、目を閉じて周囲の音を探る。

 足音、バラバラに入り混じっていて何人のものかは分からないが、ともかく距離はそれほど遠くない。

「レラジェ。警備が恐らく二名、自動拳銃を携えてあなたを止めに来ます」

『そう、なんてことないわね。怖いのは外から来る敵ね』

 イポスは口の端を吊り上げて言った。

「入り口の回転ドアは電動です」

『……ふふ、楽な仕事ね』

 レラジェの静かな笑いが鼓膜を刺激する。

 そこではっとした。足音が一つ近づいている。

「下は任せます、レラジェ」

『お安い御用よ』

 柱を飛び出したイポスはショットガンを構えた。


 車の外へ滑り出る。冬が近づいている、風は冷ややかにレラジェの身体を撫でた。冷たい風は一抹の不安を彼女にもたらす。レラジェの頭をもたげるのはかつての相棒たちだ。

「私は、何のために闘っているのかしらね」

 誰も聞かない独り言を漏らす。慣れた手つきでジャケットに隠れたホルスターから愛銃のクリーガーを抜き、弾倉を抜いて銃弾が込められているか確認する。次いで、スライドを引いて薬室に九ミリ弾が入っていることを確認する。初弾を常に込めた状態にするのは彼女の癖だ。

 弾倉を戻してセーフティを下ろす。

「ジョン?」

『どうした、レラジェ』

「いつもの頼み事よ。もし私が……」

『みなまで言わなくても分かっている』

 ジョンのため息が聞こえる。

『レラジェ、君はもう少し自信を持て。死を憂う気持ちこそが死神を寄せ付けるものだ』

「……彼らも、そう思っていたでしょうね」

 ジョンの言葉が詰まった。

「下で騒ぎを起こすだけ、死体の処理はジョンがやっておいて」

 レラジェが回転ドアを潜った。

 すぐに、異物の混入を知らせるブザーが鳴り響く。

「こちらは保安局第一本部の建造物です。許可のない立ち入りはご遠慮ください」

 回転ドアを潜り終えたレラジェの目の前に、屈強な大男が二人立ち塞がった。

「許可証はお持ちですか?」

「今から貰うわよ」

 距離、四メートル。火蓋は切られた。僅かに銃を抜くのが早い左の男、銃口がレラジェを睨む。

 発砲の直前に首を傾けたレラジェ、銃弾は虚しく空を切っていく。

 スライドが後退する。次弾を装填した頃にはもう、レラジェは目前に迫っている。浮き上がったレラジェの両足が、男の胸を捉える。

 隣にいたもう一人の男の狙いはレラジェの胸にあっていた。だが、射線上の味方がその指を躊躇わせる。

 足を伸ばして男を蹴り飛ばしたレラジェは滑らかに着地、ここぞとばかりに様子を伺っていたもう一方の男の銃を着地の勢いを殺さずに回転蹴りで落とす。

「痛っつ……!」

 想定外の痛みに戸惑った彼の視界に、レラジェが映り込んだ。左肩を使って押し飛ばすレラジェの重心はすぐさま彼女の後方に引き戻され、突進の威力はほぼそのまま転倒していく男に吸収される。

 振り返ったレラジェの前には、蹴り飛ばされた男が起き上がりかけた体勢で拳銃を構えている。素早く身を翻して射線上から消えるレラジェ、銃声が鳴り響く頃には彼女の右手は銃を握った男の腕が収まっている。

 レラジェが右手を強引に引く。重心のブレた男はレラジェに為されるがままになるまいとして引き金を握った。だが、彼女の身体は男の間合いにすっぽりと収まっており、尚且つ銃を持つ右手は彼女に主導権を握られている。銃弾は彼女に掠ることすらなく宙を踊る外なかった。

 彼は存分に振り回された上で手を離され、遠心力ですっ飛んでいく。対するレラジェの注意は再びもう一方の男へと向く。

 立ち上がった男の胸ぐらと頸のあたりを掴んだレラジェの足がまた地面を離れる。重力に惹かれるがままに倒れるレラジェと男、空中でその上下関係は逆転して、彼は床に叩き落とされる。

 男をクッションよろしく跳ね起きたレラジェの右手がジャケットの中へと伸びる。背中を丸めながらクリーガーを取り出し、振り回されたせいで焦点の定まらない目で立ち上がった男を狙う。

 銃声、銃弾はどうせ防弾ベストに阻まれるだろう。続けざまに八度発砲、男が立ち上がる気力を無くしたところで振り返る。

 背後には立ち上がって果敢にもレラジェを拘束しようとする男の姿がある。あと一歩で掴めるほどの距離、クリーガーの吐いた銃弾は左脇腹あたりに命中する。

 怯んだ左腕をレラジェが掴んで男のスーツに銃を密着させる。胸部に二発打ち込み、後ずさる男の肩にもう一発、銃弾が命中する。そのまま手を離すと脱力した男の身体は倒れていく。

 振り向いたその先には、凄まじい気力だ、拳銃を未だにしっかりと握った男が立ち上がろうとしている。

 引き金を引く。男の持つ拳銃のスライドへ命中した。

 次弾は撃てなかった、弾切れを知らせるようにクリーガーのスライドが完全に後退して戻らなくなる。

 拳銃がそこにあった右手を押さえながら、男が突撃してくる。

 レラジェはクリーガーのマガジンキャッチを押し込んで、素早く手首を前方へ振る。支えのなくなった空のマガジンが向かってくる男の方へと飛んでいき、一瞬視界を塞ぐ。

 突進の勢いが緩んだ。レラジェはその隙を見逃さない、男の左手を空いている左手で掴んで捻りあげる。

 背後の気配を、レラジェが見逃すはずはなかった。

 素早く右足を宙へと投げ出し、落ちた自身の拳銃を拾おうとしていたもう一方の男の足をひっかける。あまりに唐突なブレーキに男は止まりきれず空中を舞う。

 どしゃ、という音を聞く間にレラジェは空のクリーガーのグリップで、掴んでいる男の顔を殴りつける。怯んだところでダメ押しに両肩を叩いて押し飛ばす。

 躓いた男を見やる。その両の手に収まっているのは必死の思いで拾い上げた拳銃だ。怯えたように震えた目、それに呼応するかのように僅かに振れる指。レラジェは足を引いて、身体を傾ける。

 銃声、弾丸はレラジェを掠ることなくどこかへと飛び去ってしまう。

 身体を戻す勢いで右手のクリーガーを投げつける。男はそれを避け、その隙にレラジェは男へと突き進む。

 残りの距離は一歩半もないだろう、一気に詰めて二度目の発砲より前に男の右手を掴んだ。そのまま捻って左手で銃のスライドを握る。さらに左手を捻って拳銃を持ち上げると、生々しい破砕音が響く。

 拳銃をするりと男の砕けた指から抜き、右手で握り直す。間髪あけずに腹に二発撃った後、下顎にピタリと銃口をつけて引き金を引く。

 血飛沫が頭頂部から吹き出す。

 全身が脱力して頽れる男はさておき、持っている銃は振り向きざまに全力投球。すでに真後ろにいた残りのもう一人めがけて飛んだそれは、凄まじい速さで駆け抜けていく。

「私の転職先は女子野球ね」

 ほんの少し避けるのが遅れていれば顔面直撃コースだったろう、男は体制を立て直す。その右手に鈍く輝くのはナイフだ。

 いつの間にそこにいたのだろうか、男の右腕をがっしりと掴んだレラジェが視界を埋める。強引に振るったナイフが、レラジェの手捌きでその切先を自分の方へと向けている。

 たったの一押しでそのナイフは男の脇腹へと刺さる。

 声にならない叫びに耳すら傾けず、レラジェの右の拳は宙を駆け男の右手を殴る。当然の如く、男の右手にナイフは握られていたのだからそれはさらに深く刺さる。

 痛みのためか、ナイフを持った男の手が緩む。その僅かな隙間を、柄に沿って滑るようにレラジェの右手が入り込む。レラジェの左手が男を押し飛ばし、反対に右手は引かれる。鮮血を纏った切先が光を反射し、はたりと緋色の雫が床へ落ちた。

 傷口を抑えるように左手を脇腹に残した男が、最後の抵抗とばかりに殴りかかってくる。振り上げられた右拳をレラジェは左手で掴み、右のナイフで二の腕あたりを切り付ける。

 順手から逆手に素早くナイフを持ち替え、さらに男の鳩尾あたりに刃を突き立てた。もはや押し飛ばす必要もなく、レラジェの握ったナイフを残して男は後退っていく。

 一瞬、止まったように見えた矢先に男は前屈みになって突進する。さすがのレラジェも避けきれず、男の伸ばした両腕がレラジェの背中へ回り込む。レラジェを掴んでもその勢いは止まらず、遂に両足が地面を離れる。後方、迫ってくるのは分厚い強化ガラス製の回転ドア。

 レラジェは冷静にナイフを男の右肩甲骨のすぐ側に突き刺す。痛みに悶える男の力が弱まり、レラジェの靴が再び大地を踏み締める。ナイフを押し込んで捻り、男をレラジェと反対方向へ押し出す。ナイフだけが取り残されてできた傷口から緋色の血液がだらりと滴る。

 レラジェは右手を振り上げた。男が反撃のために振り向いたその瞬間を見越していたかのように。重力に従って落ちていくナイフの切先を、男は見つめるしかなかった。

 力一杯振り落とされたナイフは男の左肩の頂へ刺さる。その痛みに気を取られていた男の襟首を、レラジェの左手が掴んでいた。ニタリと笑ったレラジェの身体は四分の一だけ回転する。ナイフに残っていた右手もまた引かれ、さらに深く突き刺さった。

 痛みから逃れるようにして、男はレラジェに追従する。

 半分ほど回転した男、ついにレラジェがその手を離した。遠心力で飛んでいく男はその勢いを殺しきれずに倒れていく。

 倒れた男の目に映ったのは、憎きレラジェノ憎きレラジェの顔と、迫ってくる分厚い強化ガラスの回転ドアだった。

 乾いた破砕音を最後に、男はぴくりとも動かなくなった。

「さて、と」

 止まった回転ドア、それから男の首から下が生えている。幾重かの強化ガラスの向こうで、物々しい装備を身に纏った者たちが立ち尽くしていた。

 中指の一つでも立ててやりたくなる。だが、そんな暇はないらしい。足元に転がった愛銃を拾い上げる。

「まったく、手のかかる奴ね」

 振り返る。

『武器を捨てて、投降しろ!』

 ずらりと並んだ保安部隊の連中、レラジェはため息混じりに答える。

「どうせ撃ってくるでしょうに」

 レラジェが保安部隊めがけて走り始める。


「さすがに……っ!」

 足元に転がる空薬莢を蹴飛ばす。

「多すぎる!」

 ショットガンを杖代わりに膝をついて、呼吸を整える。

 気づけば、ジャケットの下から覗くシャツはほとんどが赤黒くなっているではないか。

「……この量なら当たり前か」

 息を荒げながら辺りを見やる。転がっているのは薬莢と空のシェル、そして血だまりと大量の死体。その総数は十は超えているだろう、途中から数えるのを諦めてしまった。

「ジョン、首尾は?」

『レラジェの陽動のおかげだな、周囲に人感センサーの反応はない。彼女は平気だ、元気に戦ってる』

「わかった。サーバールームは?」

『そこから一つ上がったところだ。階段とは反対側にある』

 重い身体を持ち上げる。ショットガンに残った二発のショットシェルを込めた。疲労で鉛のように重くなった足を引きずりながら階段を上がり、上層階へ。ようやく辿り着いた三十三階を警戒しながら進む。

 金属製の扉に無機質な文字でサーバルームと書かれた部屋をついに見つける。聞き耳を立ててみれば、中から僅かに音がする。

 マテバを持ち、シリンダーを開放。銃弾を引き抜き、ポーチから徹甲弾を一発だけ取り出して込める。ノブの横、扉のロック機構があるであろう辺りに狙いをつけて引き金を引く。銃声、穴の空いた扉を見てマテバをしまってショットガンに持ち変えた。

 扉を蹴破る。けたたましい音と共に視界が開かれる。

 人数、二人。装備は標準的な警備員用の制服と自動拳銃。まだ、ドアは開き切っていない。ショットガンを構えた。射線上には大量の画面の前に立った一人目の男。その手はホルスターの拳銃へ伸びている。

 発砲、男の頭が吹き飛ぶ。

 ばら撒かれた血肉を横目に、開ききったドアの死角に隠れていた男の左大腿を狙って発砲。既に抜かれた自動拳銃が痛みのためかその手からこぼれ落ちる。

 こうなれば隙だらけだ。大股に距離を詰めてただの鈍器に成り下がったショットガンのストックで左頬を殴りつける。

 男が気絶したのを見てから辺りを見回し、物々しく大量のサーバーが並んだ部屋に誰もいないことを確認する。

「ジョン、サーバールーム制圧」

『よくやった。八番サーバーと十四番サーバーを手榴弾で破壊してくれ』

「コードを切断する程度で良さそうなもんだが」

『細かく説明するのが面倒なんだ』

 曰くラックを開けて適当に手榴弾を放り込むだけで熱と破片で再起不能になるだろうとのこと。言われた通りに見つけたサーバーの中へピンを抜いた手榴弾を放り込むだけであちらこちらでついていたランプが消えていく。

「終わったぞ」

 ドア近くのモニターを確認して八番と十四番のサーバーがオフラインになっていることを確認する。

『これで増援が近づける。あと五分もすれば到着するだろう、それまでにブースのオフィスに行ってくれ。そこの真上だ』

「了解」

 振り向きざまにジャケットに引っ掛けて積んであった書類を落としてしまう。何の気なしに少し覗いてみるとコンラート、コルネリウス、ダニエル、デニスなど人物名が羅列されている。どうやら保安局員の名簿らしい。

 拾うこともないかと一蹴し、そのままサーバールームを出る。既にただの金属棒となってしまったショットガンは放り、マテバをリロードしながら階段を上がる。

 警報音が止まったからか、不自然なほどに静まり返っていた。階段を登り切った時、静けさの理由が否応なしに目に飛び込んでくる。

「ジョン、死体がある」

 上層へ登ったイポスを出迎えたのは死体だ。照明すら一つもついていない。

 マテバを構え、警戒しながらイポスは死体へと近づく。

 その死体は喉元に深い傷を負っており、出血多量で死んだらしい。指先すら動きそうにない。

 三十四階を進むにつれ、死体の数は増していく。その死に方もまたバリエーションを増やしていく。銃殺のものもあれば頭蓋が完全に潰れているものもある。仲間割れ、あるいはブースたちが全て殺したのだろうか。

 そして遂に、ブースのオフィスの前へとやってきた。不思議と周りに死体はなく、無骨なデザインのドアが一つ鎮座しているだけだった。ドアにはなんの刻印もされておらず、ただの物置にすら見える。だが、ジョンの指示通りならここで合っているはずだ。

 人の気配はなし、恐る恐るドアを開く。

 もぬけの殻だ。ドアに面する壁は全面ガラス張り、ポツンとデスクが一つとオフィスチェアが一つ。床に転がっているのはコーヒーメーカーだったものと大量の書類。

「ついさっきまで、という訳ではなさそうだな」

 書類に埋もれたアナログ時計、恐らく壁に掛かっていたものだろう。カバーが割れ、辛うじて見える針を見ればほぼ一時間前を示している。

「……ジョン、誰もいないぞ」

『逃げたか、何か手掛かりはないか?』

「手掛かり、と言ってもな……」

 辺りを見回す。散らかったデスクの上に、血痕が付着した壁に、床に散乱した書類に視線が滑る。

 そのままイポスの視線は滑るはずだった。

 彼の目線はその装丁された書類で止まる。それに近づくイポスは、ただ信じ難いものを見るかのように呼吸が浅くなっていた。

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