第30話
観覧車から降りた俺たちは、観覧車に乗る前に取った写真を購入した。
「こういうの、憧れだったんだ。付き合い始めた記念だね」
汐見は写真を胸の前で抱くと、微笑んだ。
「なんだか不思議な感じだな。汐見とこうして恋人同士になったのって」
「えへへ、恋人同士、なんだよね」
もじもじと汐見が俯きながら照れている。可愛い。
「帰ろうか」
「うん」
俺は手を差し出す。汐見が俺の手を取る。指を絡めた恋人繋ぎだ。
遊園地の電飾が俺たちを祝福してくれているかのように見えた。世界の全てが俺たちを祝福してくれているような、そんな心持ちになる。
これは相当うかれているな。
遊園地を出て、電車に乗り込む。電車に乗っている間、お互いに無言で手の感触を楽しんでいた。
「家まで送っていくよ」
「いいよ、別に……あ、そうか。私たちもう恋人同士なんだ」
汐見はそう呟くと、上目遣いで俺を見る。
「お願いしてもいいかな」
「任せろ」
結局、俺たちは電車から降りても手を繋いだままだった。今は少しでも触れ合っていたい。そんな欲求が心の底から湧いてくる。
夜道を、汐見の手を引いて歩く。夜の静寂が、二人だけの時間を作り出す。
「藤本くんと帰るのは2度目だね」
「相合傘の日以来だな」
「でも、こうして手を繋いで一緒に帰るのは初めてだ」
汐見は満天の星空を見上げて微笑んだ。
帰り道はあっさりと着いてしまった。もっと汐見との時間を過ごしたい。そう思うが、これ以上は自制しないと。
汐見を家の前まで送り届けた俺はようやく汐見の手を開放する。
「送ってくれてありがとう」
「こちらこそ。今日は楽しかった」
胸の前で小さく手を振る汐見に、俺も手を振り返す。
「そうだ。ちょっと屈んで」
汐見は何かを思い出したかのように俺に近づくと、耳を差し出すように言う。
「こうか」
「うん……これから、よろしくね」
汐見が耳元で囁く。ぞわぞわとした感覚が体中を奔り、甘い痺れをもたらす。
「それじゃあね、バイバイ」
そのまま汐見は家の中に飛び込んでしまった。
まったく可愛い生き物め。俺は汐見の吐息が掛かった耳を撫でながら、赤面する。
家に帰った俺は、機嫌よく玄関のドアを開ける。
「ただいま」
「おかえりなさい。遅かったわね」
「ちょっとな」
「はいはい、汐見さんとのデートでしょ。隠さなくてもわかってるわよ」
氷岬は投げやりにそう言うと、「お風呂、沸いてるわよ」と告げた。
このやり取りが本当に夫婦みたいだと思って何日が経っただろう。だが、今日の俺はそんな氷岬の攻勢にも怯まない。なぜなら俺に彼女ができたからだ。
彼女のことだけを考えていればいいのだ。そこで悩む必要はない。
俺は風呂場に直行し、湯船に飛び込んだ。風呂の湯が幸せに思えてくる。不思議だ。彼女ができるだけで、この世の全てが幸福に思えてくるのだから。
風呂から上がった俺を氷岬は夕飯の用意をして待っていた。
「ずいぶんと、ご機嫌なのね。なにかいいことあった」
「わかるか?」
「わかるわよ。お風呂で鼻歌なんて歌っていたらいつもと違うことぐらいわかるわ」
ばっちり聞かれていたようだ。俺は少し恥ずかしくなるも、汐見と両想いになれたという事実に勝るものはなかった。
「ごほん。氷岬には話しておこうと思う」
「何かしら」
「汐見と付き合うことになった」
その報告をする俺の顔はきっとにやけていただろう。
「そう」
「反応薄いな」
「何? 焼きもちでも妬いてほしかったの」
あれだけ俺に言い寄ってきていたのだ。いくら氷岬が俺のことを本気で好きなわけじゃなくても、ちょっとぐらいは期待しなかったといえば嘘になる。
「というわけで、俺はお前と結婚は無理だ。諦めるんだな」
先日1度振っているとはいえ、ここははっきりさせておかなければならない。ただでさえ、俺と氷岬は同居しているのだ。汐見が不安に思う。
「私も言わなかったかしら。私が勝手に拓海くんを愛するの。汐見さんと恋愛するなり好きにすればいい。でももし別れたら」
俺は生唾を呑む。
「その時は覚悟してね」
氷岬は心底どうでもいいというような表情をしていた。俺が汐見と付き合おうと関係ないのだ。こいつにとっては。俺は家主として敬われているだけ。こいつは怖いのだ。ここを追い出されるのが。だからインスタントに夫婦という肩書にこだわる。
「私と結婚さえしてくれれば汐見さんとの恋愛は許すのに」
「そんな非常識な真似ができるか。ちゃんと俺は選んだ。これでいいんだ」
「選んだって迷ったってことかしら。だとしたら嬉しいわね」
「…………」
口が滑った。氷岬に付け入る隙を与えてしまった。
「まあ、その話は終わり。食べましょう。せっかくの夕飯が冷めてしまうわ」
氷岬の合図で、俺は話を打ち切る。汐見と付き合うことになって俺は本当に舞い上がっている。だからこそ引っかかる。あの観覧車の中で、どうして氷岬の顔が浮かんだのか。
答えはわかっている。俺は氷岬のことも気になっている。汐見に対するものと近しい感情を抱いている。それは間違いない。
だが、今後はその想いを断ち切らなければならない。俺が汐見の彼氏だからだ。俺は汐見のことだけ考える。
そう決意を新たにし、俺はハンバーグにかぶりつく。
夕飯を終えた俺は自室に戻ると、スマホを確認する。メッセージが一件入っていた。
『電話してもいいかな?』
汐見からのメッセージだった。俺はすぐに『いいよ』とレスし、電話が掛かってくるのを待つ。間を置かずして、汐見からの着信。俺はすぐに応答する。
「もしもし、汐見か」
「もしもし、藤本くん。ふふ、電話の前で待っててくれたんだ」
「え?」
「掛けたらすぐに出たから」
ちょっと恥ずかしい。
「汐見からの電話だと思ったら嬉しくて」
「もう。恥ずかしいなあ」
電話の向こうで汐見が赤面するのが想像できる。
「それより、疲れてないか」
「今日1日歩き回ったからね。明日筋肉痛になるかも。でも、楽しかったから全部ちゃらかな」
「絶叫系を回る汐見の顔、本当に生き生きしてたもんなあ」
「藤本くんはみるみる顔が死んでいったのがおもしろかったよ」
他愛のない会話。そんな時間がたまらなく幸せだ。
「それより汐見。俺、お前に謝らなきゃならないことがある」
「何? 他に好きな子でもできた」
心臓を掴まれたような感覚に陥る。冗談だろうが笑えない。俺は苦笑しながら言う。
「そんなわけないだろ。俺が謝りたいのは氷岬のことだ」
「あー、うん。それはわかってるよ。私もわかってて告白した、から」
告白したと口に出すのは恥ずかしかったのだろうか。言葉尻がすぼんでいった。
「俺は氷岬と同居してる。これは多分、氷岬が自分で家を借りれるようになるまで続くと思う。それまでは面倒を見るつもりだ」
「うん。そうしてあげて。私も、友達を追い出すなんて真似したくないから」
「そのことで汐見に嫌な思いをさせるかもしれない。不安な気持ちにさせるかもしれない。でも、俺は汐見一筋だから」
「うん、信じてるよ。いくら一緒に住んでるからって、一緒に寝るのとかはダメだからね。今度は許さないよ」
「わかってる。俺も寝る時は部屋の鍵をかぐようにする」
汐見には俺の行動で信じてもらうしかない。
俺は汐見を大事にすると決めたのだ。
「はい、真面目な話は終わり。楽しい話しよ」
「ああ」
それから、俺たちは他愛のない話を楽しんだ。何を話すかじゃない。一緒の時間を共有することが尊いのだ。
気付けば、部屋の時計は深夜の1時を回っていた。
「さすがにお喋りしすぎたね」
「汐見と話してると楽しくて時間が経つのがあっという間だったよ。でも学校があるからな。そろそろ寝ないと」
「うん、おやすみ藤本くん。また学校でね」
そう言って汐見と恋人になっての初めての電話が切れる。こうしてひとつひとつ思い出を作っていくんだな。俺は感慨深い気持ちになりながらベッドに潜り込んだ。
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