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 閑静、と言えば聞こえがいい、「うらぶれた」は多少言い過ぎかもしれないが怖いほど人の気配のない夜の駅舎のロータリー、タクシーのハンドルにもたれかかり、男は客待ちをしていた。




 一応は有人駅、だが山奥のローカル路線、1日の乗降が100人をようやく超える程度の小さな駅。


 駅員は昼間しかおらず、終電間近な今の時間、待合室とホームだけが無駄に明るい。


  


 その白々した灯が、余計に物寂しい風情を強める。


 だが周囲の闇を思えば、その寒々しささえ光明だ。


 いくら寂れた町とはいえ、駅舎周辺はそこそこ発展している。


 まあ、日曜日の夜遅く、さすがに客も来ないらしく、駅前に一軒しかない小さなスナックの時代遅れな電光看板ネオンは、とっく灯を落としていた。


 まだ日付が変わるにはだいぶ間があるが、不夜城都心と違い、夜更けも早い。


 夏場はともかく、一足早い冬の気配に覆われた山間地のここでは、22時を回った今、人影はまれだ。


 平日ならば送迎のマイカーが出入りするが、今は横の道路をライトとエンジン音が時々通り過ぎるだけだ。


 おそらく、こんな日に降りてくる客はいないだろうな、すでに諦めの境地で、それでも男は終電の到着を待った。


 別に義務でもなかったが、どちらにしてもこれから自宅のあるもう少し発展したに戻らなければならない。


 どうせ同じ距離を走るのなら、少しでも利益もうけになる方がいい。


 で拾った酔客を駅から遠い自宅まで送り届けて、その足で人気ひとけのない駅前に寄ったのは、そんな思惑があったからだ。


 さらに奥まった県境からの最終便はとっくに到着していたが、客を下ろすことなく元来た路線を戻っていった。


 すでに路線バスが廃止されて久しい田舎町、狭いロータリーに他に停車している車はなく、男はいつにない心細さを覚えた。


 半ば無意識に、ラジオの音量を上げる。


 耳慣れたジャズが響き、男はついそのメロディーに没入した。


 コンコン、と窓ガラスを叩く音で我に返る。


 いつの間にか終電が到着したのかと時計を見るが、まだ幾分か早い。


 後部座席のドアを開けるか悩んでいると、催促するように再び窓ガラスを叩く音が響く。


 薄明りに照らされた人影は、まだ若い男性だった。


「今から〇〇市まで、行けますか?」


 窓の外から、少し甲高い、だが疲れたような声が響く。


 自宅のある地名を言われ、むしろ大歓迎だった。


 男は嬉々として後部座席のドアを開けると、乗り込んできた青年に声をかけた。


「〇〇市、ですか? 行けますよ。どこまで行きます?」


 中心市街地の駅名を言われ、ああなるほど、と納得する。


 きっと下りの終電に降り遅れたのだろう。


 ウィンドブレーカーにジーンズという、登山客にしては軽装だがそこまで本格的でないハイカーも多く訪れる地域ではよく見る風体だ。


 タウン仕様のあまり大きくないリュックサックからして、山をよく知らない街場のハイカーが気まぐれに日帰りハイキングにでも挑戦して、思いがけず時間を食ってしまった、というところかもしれない。


 そう考えると、若さのわりに疲労困憊な表情も口調も納得できた。


 終電の時刻を待たず、しかも理想通りの行先を告げた客に、男の愛想はいつも以上によくなる。


 人寂しさから解放された安心感もあってか、やや饒舌ぎみに男はバックミラー越しに客の青年に話しかけた。


 疲労感を見せてはいるものの、それほど迷惑そうな様子も見せず、青年は言葉少なに男に相づちを打つ。


 当たり障りない内容とはいえ、青年の言葉にこの地域よりはやや北寄りの訛りを感じた。


 訛りといっても、県庁のある県北はこの辺りから見たらかなり都市部だ。


 同じ県内とはいえ、近場で見る同年代の青年よりも洗練されて見えるのは、まあ気のせいかもしれないが。


 そういえば、と男は上京して2年目になる自分の息子の顔を思い浮かべた。


 後部座席の青年と、そう年の変わらない一人息子。


 片親なのを気遣ってなのか、早く自立しよういう思いが強く、職業科のある高校に進み、取れる資格をどんどん取って、大卒でも就職が難しいと言われる大手の建築会社に就職した。


 入社してすぐ配置されたのが本社のある都心だったので、上京して一人暮らしさせることになってしまったが。


 社員寮とはいえ、実は繊細なところもある愛息子を送り出すのは心配だったが、この夏の帰省時には仲の良い友人もできたと話していた。


 次の帰省は年末になるだろう。


 20歳を迎え、会社の付き合いで少しは酒もたしなむようになったと話していた。


 少しは良い日本酒でも買っておこうか、それとも今時の若者は洋酒の方がいいのか、などつらつらと考えながら、つい客の青年にも好きな酒の銘柄など訊いてしまった。


「いえ、飲めないことはないですが、普段はあまり」


「そうなんですか。いや、息子が正月に帰ってくるんで、ちょっといいやつを、って思いましてね。どんなのが今時の人は好きなのかなって」


「息子さん?」


「ええ。今年二十歳はたちになったんですがね。親の口から言うのもなんですが、これが孝行息子でして。高校で建築なんちゃらって難しい資格まで取って、卒業して大きな会社に就職してね。今はもっと上の資格も取るって張り切ってるようですよ」


「……そう、なんですか」


「ちょっと臆病なところがあって心配だったんですけどね。小さい頃は、夜でもないのに、いきなり『怖い怖い』って泣き出したり。死んだ女房は『自分も見える性質たちだったから、遺伝したのかも』なんて私を脅かしていましたがね。まあ、中学入るころには、そんなこと言わなくなったんで……いや、冗談ですよ、本気にしないでください」




 青年の表情が疲労感とは違う色でわずかに曇ったのを見て取り、男は慌てて言葉をにごす。


「あ、いえ、大丈夫です」


「すみませんね。夜中にこんな話、しちゃって。……あ、そろそろ着きますよ。駅の表口でいいですか?」


「はい」


 客待ちしていた山奥の駅と違って、こちらはまだずいぶん明るく、少ないとはいえ人も出歩いている大きな駅前のロータリーに、男はタクシーを滑り込ませる。


 きらびやかな賑わいの余韻にふらついた足元でそぞろ歩く人影に気を取られた男は、だから見ることはなかった。




 青ざめた悲痛な青年の顔を、その絶望の眼差しを。


 

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