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 朝は肌寒かったが、日中はポカポカした陽射しに照らされていたおかげか週末の寒気もかなり緩んだ。


 亜衣と麻友の家は市街地から少し離れた坂の上の住宅街にある。


 両家が「新興住宅地ニュータウン」として売りに出されていた分譲住宅を購入したのは20年ほど前。


 まだ亜衣も麻友も生まれる前のこと。


 お互い年代も結婚の時期も引っ越してきた時期もほとんど一緒、その上一月も違わず子供を授かったのだから、家族同然の付き合いになるのは、ほとんど必然だったのかもしれない。


 引っ越し当時から、地元出身の麻友の母親が県外育ちで知り合いも地の利もない亜衣の母親に対して細々と世話を焼いたのが仲を深めたきっかけだった。


 と言っても四六時中一緒にいるわけではない。


 互いに仕事を持っていた二人は、過干渉せず、タイミングが合えば行動を共にするが、それぞれの付き合いも尊重する程よい距離感で付き合っていた。


 亜衣と麻友が生まれてからは、互いに助け合うことも増え、関係は密になっていったけれど。


 姉妹同然の親密さの娘二人に比べればまだまだドライな友人関係と言えた。


 そうは言っても、お互い大切な一人娘。


 同じ高校に通うことになり、両家とも安堵していた。


 閑静で景観もよい住宅地だが、車がなければ駅まで40分ほど歩かなければいけない。


 田舎にありがちな広い学区で、小学校も中学校も決して近いとは言えなかったが、それでも通学路には地域の目が在った。


 小学校中学校とは反対方向の市街地やそこにある駅から鉄道を使って通うことが多い高校生は帰宅時間も遅く、市街地と住宅街をつなぐ人通りの少ない道を1人で行き来しなくてはならないこともしばしばだった。


 途中に両エリアを遮るかのように鎮座する地元でも大きな稲荷神社があった。


 鎮守の森と呼ばれる神社に付随する児童公園を囲むように大きく迂回する道は、広さもあり日中は子供連れでにぎやかだが、夕暮れともなれば鬱蒼とした木々の陰になり、周囲に比べて暗い。


 一応バスも通ってはいたが、1日に4往復のみ、しかも最終便が夕方17時前後で、ほとんど役に立たない。


 それでも、市街地の高校に通う亜衣と麻友は鉄道を利用しなくてよい分、登下校に時間的余裕があった。


 帰りがもっと遅くなる時や天候が不順な時は、両家で都合をつけて送迎したが、普段は二人で徒歩で通った。


 このご時勢、年頃の少女の一人歩きにはどんな危険があるか、想像に難くない。


 二人ならば、それでも多少は安心……というの両親たちの本音だった。


 もっとも、当の二人はそんな思惑など関係なく、一緒にいたい、という素直な欲求に従って、当たり前のように同じ高校を志望し、めでたく今も一緒に通学している。


「麻友、寒くない?」


「全然。むしろ暑い。ホント、この坂、イヤになる」


 行きは下り坂だが、当然帰りは上り坂。迂回しているため、そこまで急ではないが、緩やかな坂道も20分も歩けば汗ばんでくる。


 確かに亜衣も、背負ったスクールバック代わりのリュックサックに当たる背中が熱を持って暑い。


 麻友の顔の赤みが、夕日によるものか、活動による火照りか、はたまた熱のぶり返しによるものなのか判別付きかねて、亜衣は思わずその額に掌を当てる。


「もう、大丈夫よ」


「うん、そうだね」


 汗で熱を奪われたのか、むしろひんやりとした額に安心して、亜衣は手を引っ込める。


 それから眼下を流れる川辺に目を送り。


「すごい夕焼け。明日も天気いいのかな?」


「だといいな。寒いの、ヤダよ」


 赤々と道と川面を照らす夕日を背に、二人は気を取り直して歩を進めた。


 東側に道を回り込むと、「鎮守の森」に遮られ途端に薄暗闇が覆う。


 まだ18時前なのに、そこだけ一足早く夜が訪れた錯覚に囚われる。


 亜衣は、無意識に麻友の左手を握る。


 自らの怖れのためではない。


 闇を過度に怖れる幼馴染みの少女を守ろうとする長年の習性だった。


「……麻友?」


 握った手に重みを感じて、亜衣は後ろを振り返る。


 いつもならば、こうして手を握れば、怖れながらも足を止めることはない。むしろ恐怖から逃れようと足早になるのが常だった。


 けれど、今は。


 青ざめた顔色は、薄闇による目の錯覚ではないだろう。


 振り返った亜衣の目を見ることもせず、返答もなく、固まっている。


 否。


 ガチガチと鳴らす歯と同じく、手に伝わる振動。


 全身を振るわせて、心なしか後ずさっているように感じる。


「あ……あ……」


 ほんの僅かひらいた唇から洩れる、かすれた、声。


 呻きなのか、それとも亜衣の名を口にしようとしているものなの、分からないまま。


 その固まった眼差しの先に、亜衣も目を送る。


 木々の作る薄闇と照り返す夕日の入り混じった道面。


 闇と光が混濁した情景は、けれど見慣れたもの。


 夕日が勝っている分、今日は少し赤みが強い。


 赤いガラスで透かしたような、薄闇。


 ――まるで、血の色。


 ふと、そんな思いが脳裏をぎる。


 その刹那。




 ガラス越しの血色が、透明度を失くす。




 向こうが見えない、濃厚な、赤。




 深すぎる紅に、それが真実、「血」の色なのだと知覚するより、早く。






 亜衣を目を襲ったのは、約熱のような痛み、だった。

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