4・準備

 2人は高尾駅近くの大型ホームセンターに車を停め、開店を待った。

 平日早朝の地上駐車場は、まだ空いていた。車を停めた位置から、ガラス越しに店内の一部が見える。

 駐車場の大半は屋上にあるが、車の進入口は1カ所で出入りは確認できる構造だった。堤は確実に追ってきているだろうが、姿を隠して接近することは難しい。

 柚が言った。

「でも、どうしてやることなすこと、先回りされちゃうんだろう……?」

 梨沙子の答えにはかすかな不安がにじんでいる。

「教祖はもちろん、時生の能力も全部は分からない。本当は心が読めたり、正確な予知能力があるのに、切り札に隠しているのかも……」

「あ! 車に盗聴器とかは⁉」

 梨沙子はとっくにその可能性を考えていたようだ。

「あっても、あたしたちに見つけられる? 相手は荒事の専門家だし、こっちはただの小娘。隠されてたら、探す方法だって分からない」

「でも……」

「実はユズが気を失っていたときに、調べてみたんだけど……見つけられなかった。そもそもどれがホントの車の部品だか知らないんだから、見分けるなんてムリ……」

「だったら、これまでの会話も筒抜け?」

「だからあたしは、全部聞かれてるつもりで話してた」

「この先の計画もバレてるの⁉」

「かもね」

「そんな……」

「そうじゃなくても堤がべったり張り付いてきてる。どっちみち逃げられない」

「それはそうだけど……」

「それでもまだ、襲ったりしてこない。だったら、このままナントカ湖まで引きずり出してやりましょう。どうせ超能力者と戦うんだから、盗聴されてようが大して変わらないと覚悟してる」

 柚も妙に納得したようだった。

「分かってたことだけど、簡単にはいかないね……」

「最悪の相手だね……」

 柚が試すように言った。

「それでも逆らう?」

 悟り切ったような言葉を口にした梨沙子だが、表情は晴れない。まだ迷いが吹っ切れてはいないようだ。

 それでも、軽く肩をすくめる。

「いまさら止められないでしょう?」

 梨沙子の顔の腫れは目立たなくなってきたが、まだアザのような変色が消えていない。当然、今も痛みを堪えているはずだ。

 柚はあえて笑顔を返した。

「でも、まだわたしたちは殺せない。リサの体は傷つけられないし、わたしから協力者を聞き出さないとデータが流出するかもしれないし」

「データのことは、もう知られてるかもしれない……。もしも予知されてたら――」

 柚は強い口調で梨沙子の言葉をさえぎった。

「だとしたら、こんな無駄な時間はかけない。怖いけど、協力者の口を封じて回収しちゃえばいい。わたしだって、とっくに処分されてる。リサだって、力づくで引き戻されているはずよ?」

「だね……」

 梨沙子は明らかに、自分が柚を襲ったことを気に病んでいる。

 頭では責任はないと理解していても、気持ちは簡単に変えられない。忘れようとすればするほど、自分を責めてしまう。

 快活なはずの性格が、まるで数時間前の柚のように沈んでいた。

 逆に柚は、あえて明るく振る舞おうと自分を奮い立たせていた。今こそ、梨沙子を支える時だ。

 自分を偽る演技なら、身に馴染んでいる。

「だから、今が反撃のチャンス」

 柚の口調の軽さに、梨沙子が驚く。

「平気なの⁉」

「平気じゃないけど……でも、もう後には引けない。わたしはどうなってもいいけど、命の危険があると知った上で手助けしてくれる人たちは守らないと……」両手で自分の頬を叩いて喝を入れる。「怖がってないで、全力を出す!」

 梨沙子もわずかに元気を取り戻す。

「その人たちって、教団のこと知ってるの?」

 柚は軽く首を横に振る。

「それはリサにも教えられない。あ、誤解しないでね。リサを信用してないわけじゃない。でも、どんな能力を使われるか分からないんだから。リサ自身が気づかないうちに聞き出す方法だって持ってるかもしれない」

「そうよね……」

「なんとか出し抜く方法を考えてみせる。だから好きでもないサスペンス映画ばっかり観たんだから」

 梨沙子には、その言葉が本気だとも思えない。少なくとも、今までの柚とは別人のように思える。

 無理をしていることが手に取るように分かってしまう。

「頼りにしてるけど……。どうしたら教団はあたしたちを解放してくれるんだろう……?」

「そのためのデータだったんだけど、効果が少ないどころか他人まで巻き込みそうだしね……」

「ユズにも分からない?」

「今は、ね。でも、なんとか弱点を探し出さないと。そのためには、逃げてるだけじゃ何も変わらない」

「本当に死ぬ気?」

「死ぬ気で頑張る。わたしは何度も自殺しようとした。成功しなかったけど本気だったんだから、何度も死んでるみたいなものよ」

「それとこれとは別じゃない?」

「そうかな? わたし、リサと離れてからはずっと孤独だった。孤独ってある意味、死んでるのと同じ。っていうか、自分を殺し続けてる感じ。だから、本ばかり読んで空想に逃げ込んでた。作り話の方が、わたしには現実なのかも。そっちの世界に行けるかもって思えば、死ぬのは別に怖くない」そして梨沙子を見つめる。「こんなの、リサには押し付けられない。逃げたっていいのよ。わたしは化けて出たりしないから」

「そこは一緒に来てね――って言うところじゃない?」

 柚が笑顔を返す。

「だよね。それに、今しばらくは心配ないはず。昼間だし、大勢の人がいる場所では騒ぎは起こせないだろうだから」

 それでも梨沙子は不安気に猫のリュックを抱きしめている。

 黒猫がかすかに甘えた声をもらす。

「憑依で体を操られたら何をさせられるか……」

 柚が気づく。

「2人同時に憑依できるの?」

「たぶん、それは無理」

「だったら、対処法はある。店の中で憑依してきたら、近くのものをぶっ壊してでも警察沙汰を起こす。どちらかが乗っ取られた方を傷つけて、流血事件にしたっていい」

「警察なんて、役に立つ?」

「とにかく、わたしたちが捕まれば、必ず素性を調べられる。教団から逃げてきたと訴えればいい。データのありかさえ隠し通せれば、勝機はある。教団に疑いを向けるだけで、何が起きるかわからないから」

「そんなにうまくいくのかな……」

「希望的観測、だけどね」

「そんなの、失敗するかも……」

 梨沙子は、まだショックから立ち直り切っていない。不安を抱えたままでは、無理強いは逆効果になりかねない。

「やっぱり怖いよね。だったら、わたしが1人で行く」

「1人でって……大丈夫?」

「たかが買い物、小学生だってできることよ。むしろその方が、安全かもね。それに、リサの顔がまだ腫れてる。不審に思われるよ。コロちゃんも連れて行けないしね。あなたはここで駐車場を見張ってて。堤が近づいてきたら、スマホで教えてね」

 梨沙子は不安の渦から抜け出せずにいるようだ。

「見逃さないかな……」

 柚にも、その気持ちは理解できる。

 自分が操られるという恐怖は、体験してみないと分からない。存在の根源を揺さぶられて、何も信じられなくなるのだ。

「心配しないで。出入り口はそこしかないみたいだから。それに堤以外の人間が来るとしても、教団の幹部に決まってる。それなら顔を見れば分かるでしょう?」

「比嘉の手下は来ない? 殺し屋、とか……」

 柚はあえて断言した。

「来ないよ」

「絶対?」

「まあ、今は……だけど。わたしたちの手駒を全部探り出してからじゃないと、力ずくで潰すのは不安でしょうから。万一ヤバい証拠が流出したら、藪蛇だもの」

「だったらいいんだけど……」

 柚は、梨沙子の不安を振り切るようにドアを開ける。

「そろそろ開店時間。なるべく外から気づかれないように、こっそり見張っててね」

 そして柚は大型のホームセンターへ向かった。家電も充実していると一目でわかる店構えだ。

 開店を待っていた数人の客に混じって店内に入っていく。大きなカートを押しながら、最初に携帯電話のコーナーに向かう。

 目的の機材を手に入れて手続きを終えると、カートを押して高い棚の間を巡る。あらかじめリストにしてあった品々を放り込んでいった。

 店内は各種の商品を隙間なく詰め込んだ棚に囲まれて、視界は悪い。堤が店内に入ってきたとしても、気づかれずに映像を撮るのは難しい。

 憑依はおそらく不可能だ。

 開店直後で客も多くはない。柚はさほど警戒することもなく、予定していた品を揃えた。

 レジに向かう前に、スマホを取る。

「リサ、堤の姿はない?」

 単純な確認作業だ。連絡がない以上、接近していないことは分かっている。

『見逃しはないはず。駐車場に入ってきた車もちゃんと確認してるから』

「これからレジ。すぐ済むわ」

『ここからも見えてる』

 柚はガラス越しに駐車場に目をやった。乗ってきた車が見えた。

 梨沙子がフロントから頭だけを上げて、スマホを耳に当てたまま手を振っている。

「見えてる。もう隠れてていいよ」

 そして不意に思いついたようにいくつかの商品を追加し、再びカートを押そうとする。

 と、背後に人の気配がした。振り返ると、中年の女が柚をにらみつけていた。

 だがその表情からは、感情が読み取れない。

 柚が首を傾げる。

「あの……わたし、何かご迷惑を?」

 女の目つきがはさらに鋭く変わる。

 ふくよかな外見から想像できない、男のような口調で言った。

「戦おうなどと自惚れるな。貴様らの幼稚な作戦など、お見通しだ。我々は、悪霊など信じていない。諦めてデータを返せ。さもないと、お前の協力者に害が及ぶぞ――」

 そして、手にしていた大きなマイナスドライバーを突き出すように見せつける。ドライバーには、まだ値札が付いていた。

 柚はカートを手放して、身構えた。周囲を見回す。他に人影はない。

 だが、レジに向かって走れば店員の視界に入る。そこで叫べば、襲撃は退けられる。

 奇人扱いされることは容認するしかないが――。

 それに気づいた女が、ニヤリと笑う。

「こんなこともさせられるんだぞ」

 そして女は、ドライバーの先端を自分の喉元に押し当てようとする……。

 今、この場で、赤の他人ですら自殺に追い込めるのだ――という、時生のデモンストレーションだ。

 柚が叫ぶ。

「やめて!」

 と、女の瞳に意思が蘇った。手にしていたドライバーを不思議そうに眺める。

 口調も変わる。

「え? あれ……わたし……なんでこんなものを……」そして、目の前に立ち尽くす柚を見た。「あの……何かご迷惑おかけしました? イヤだ……わたし、なんか急に気が遠くなって……」

 女は、奇怪な生き物を見るような柚の視線に息を呑む。

 と、柚はひきつった笑みを浮かべ、激しく首を横に振った。

「なんでもないですよ!」

 身を翻して窓ガラスに走り寄る。

 梨沙子は何も気づかずに周囲を見回しているようだ。

 スマホを出して、小声で言った。

「お客が憑依された!」

 車の中で梨沙子が身を乗り出すのが見えた。

『やだ! やっぱり⁉』

「気づいてたの⁉」

『もしかしたらって……でも、堤は見えないわよ!』

「ホントに⁉」

『見逃しはないはず!』

「だったらどうして⁉」

『どうしてって……どうしてだろう……? それより、何かされたの⁉』

「何も。ただ脅かされただけ。警告ね……」

『怪我はない⁉』

「お客さんに自害させようとした……」

『そんな! ユズは平気⁉』

「何もされてないって。それより、どうしてこんなことができるの……? 中継もしてないのに⁉」

『憑依に間違いない?』

「それは確実」さらに声を落とす。「こんな場所でお客さんが自殺だなんてあり得ないもの……。それに、協力者に害を及ぼすって、はっきり口にした……。実演のつもりなのよ。誰でも自殺させられるんだぞ、って……。でも、なんか急に憑依が終わって――」

『やっぱり時生の仕業ね。たぶん、長時間は憑依できなかったんだと思う。それでも見張ってるって念押ししたかったんでしょう。抵抗を諦めてデータを返す気になるかもしれないから』

「すぐには憑依できないはずじゃないの? まだそんな力が残ってるっていうの⁉」

『今まではそうだったけど……』

「どうして急に……?」

『力を取り戻す方法を隠していたのかも……』

「ウソ……それじゃあ、状況が変わっちゃう! 計画を練り直さないと! ……でもなんで、こんな場所で乗り移れるの⁉ 映像は撮られていないのに……。しかもここ、棚だらけで見通しが悪い場所なんだよ?」

『そうよね、追手は見えないし――あ! そこって監視カメラはある⁉』

「まさか!」

 柚は天井を見上げた。カメラらしい半球の物体があちこちに取り付けられている。

『もしかした警備室から――』

 柚は全部を聞かずにスマホを切った。

 カートをその場に残したまま、レジに走る。

 まだ会計の客はいなかった。待機している従業員に尋ねる。

「警備室って、どこ⁉」

 新人研修の名札をつけた女子高生風の従業員が、驚いたように目を見開く。血相を変えた柚の姿が、質問を許さないようだった。

 ゆっくり指差す。

「あっちの壁際ですけど……」

「管理の人に聞きたいことがあるの!」

 柚はそう叫んで、身を翻して走った。

 背後にレジ係の声が上がる。

「困ります! 勝手に入らないでください!」

 柚はその声を無視した。

 トイレの横に、『stuff only』と記された表示がある。柚はドアを開いた。

「警備室はここですか⁉」

 だが、中には誰もいなかった。ためらわずに入り込む。

 壁際に、小さなモニターが並んだテーブルがあった。そこに近づく。モニターには、店内の様子が映し出されていた。

 憑依された中年女や、慌ただしく走り回る従業員も映し出されている。

 柚の奇行を、レジ係が上司に報告したようだった。

 と、テーブルの上に質素な名刺が置かれていることに気づいた。

 名前を見た瞬間、柚は息を呑んだ。

『比嘉トレーディング 外商課長 堤進次郎』

 もはや暴力組織を動かせることを隠す気もないのだ。

 背後に人の気配があった。

 振り返ると、中年の警備員が息を荒くしている。走ってきたらしい。

「お客さん! 困りますって! ここは立ち入り禁止なんです」

 柚は叱責を無視して、テーブルの名刺を指さす。

「この名刺の人に会いましたか⁉」

 警備員は苛立っている。

「なんですか、いきなり」

 咄嗟に言い訳を考える。

「知り合いなんです。このお店で待ち合わせしてたんですけど、会えなくて……」

 警備員は柚のラフな姿をジロジロ見ながら、いぶかる。当然、業務中の会社員には見えない。

「知り合いって……同僚じゃないんですか?」

「あ、会社が同じってわけじゃないんですけど……」

「だったら企業情報はお教えできないので――」

「このお店の関連の会社なんですか⁉」

「私は上司から命じられて警備システムを説明しただけです。詳しいことは本部に確認してください」

 柚が身を乗り出す。

「会ったんですね⁉」

「とっくに帰ったはずですけど。営業時間内だと業務に支障が出かねないので、開店前に来てもらいました。それでも急にねじ込まれて、迷惑したんです。急いでたみたいですから、どうせもう店にはいないと思いますよ」

「分かりました。すみませんでした!」

 柚は早々に警備室を立ち去った。

 置きっぱなしだったカートを押して、レジを済ませる。大量の荷物をカートで運んで車の後部に積み込む。

 運転席から出て手伝う梨沙子が言った。

「相談がある」

 柚が小声で答える。

「待って。堤がどこかで見張ってるかも。移動してから、車で話そう」

 荷物を乗せ終わってカートを戻し、梨沙子の運転で駐車場を出た。

 柚は振り返って背後を警戒しながら、ホームセンターで何があったかを詳細に説明した。

「堤はたぶん、裏口から入ったんだね。車は遠くに止めたんでしょう。比嘉トレーディングのツテで、警備の視察を急にねじ込んだみたい。監視カメラの回線にハッキングのデバイスを仕掛けたんだと思う」

 梨沙子がつぶやく。

「また先回りされたのね……」

「それに、無関係のお客さんにまで危害を加えた」

「他人を巻き込むことなんて平気なんだね……」

 柚は警戒を解かずに答える。

「今のところはあからさまに襲うことを避けているみたいだけど……」

「いつかは襲ってくるよね……」

「堤に近づかれたら、憑依されかねないしね。まだ乗り移る力が残ってるのかな……」

「あたしも驚いた。こんなに立て続けに憑依できるなんて……」

「無理してるのかもしれないけど、次もあると考えるしかない。一応準備はしたけど、防げる保証はないし、襲撃もどんどんエスカレートしてるし。逃げ続ければ続けるほど、圧力は増すと思う。次は脅かすだけじゃ済まないかも……。通りがかりの人まで襲わせるわけにはいかない。もう命懸けで戦うしかないみたいね……」

「やっぱりそう思う?」

「目の前であそこまでされちゃね……」

 梨沙子はしばらく考えてから言った。

「戦うなら、1つ、手段がある」

 柚が向き直る。

「なに⁉」

「使いたくない手だったんだけど……知り合いが協力してくれるかもしれない」

 柚の表情が曇る。

「他人を巻き込むの……? 危険じゃない?」

「ユズだってとっくに巻き込んでる」

「わたしは充分警戒してるし。時間をかけて居所が分からないようにしたから――」

「それでも、教団に探り出される恐れはある。どんな霊能力があるかも分からなくなった。比嘉の部下は人殺しも平気。絶対安全なんて、言い切れないでしょう?」

「それはそうだけど……」

「それにあたしたちだけじゃ、逃げるだけで精一杯。反撃なんてできない。逃げ続けてもいつかは負けちゃう。そう思わない?」

 柚も反論できない。

「でも……知り合いって、誰?」

「はぐれ者のジャーナリスト。だから、証拠をばら撒くルートをたくさん持ってる。あのデータ、もう脅迫には役立たないみたい。だったら、教団を潰すために使うしかない」

 柚がため息をもらす。

「戦うって……そういうことだものね。せめて比嘉を動けないようにしないと、危ないし……」

「他人を頼るのは不安?」

「リサが信じてる人なら、構わないけど……でも、その人を協力させるために、騙したり嘘をついたりはしないよね?」

「そんな必要はないの。危険なほどお金になる――ってうそぶくような人だから。教団の真実を知ったら、絶対喰い付いてくる。バックに政財界の権力者が繋がってるなんて知ったら、見逃すはずがない」

「信用できる人なの?」

「それはどうかな……?」

「え? お金のために裏切ったりしない?」

「きっと、したくてもできない。比嘉だって、場末のジャーナリストなんか信用しない。こんな証拠を握ってるって分かったら、口封じするしかないでしょう? 確実に刺客を送ってくる。修羅場を潜ってきた人だから、それぐらい理解してる」

「怖い世界ね……」

「この際、人格には目をつぶるしかないし」

 柚は、少し考えてから言った。

「わたし……もう、どうしたらいいか分からなくなってきた。だから、リサに任せる」

「賭け、だけど……。他に反撃する方法が思い付かないから……」

 街中を抜けた場所で、梨沙子は車を停めた。

 黒猫のリードを引いて外に出た梨沙子は、草むらで猫が排泄するのを待った。

 その間に、買ったばかりのSIMに入れ替えたスマホで協力者に連絡を取る。

 10分ほどで助手席に戻った。

 柚が問う。

「話はついたの?」

「会うことが決まった」

「どこで?」

 梨沙子がためらう。

「まだ内緒。一応、盗聴器があったら困るから」

「でも、堤が……」

 梨沙子の表情が曇る。

「尾けられるでしょうね……。ホント、しつこいし、抜け目がない。さすが、比嘉の右腕よね。でも場所が分からなければ、先回りはできないかもしれないから」


       ※


 時生は教祖に起こされて応接室に入った。

 そこではすでに比嘉が待っていた。比嘉は教祖の席に座り、机に置いたラップトップの画面を見下ろしている。

 時生に言った。

「昨夜は無理をしたようだな」

 時生はソファーに座って、テーブルに用意されていたイヤホンをつけてタブレットを手に取る。

「申し訳ありません。しくじりました」

「いや、いい判断だった。締め上げる時は躊躇なく、だ。結果が不本意なら、方針を修正すればいい」

 教祖が時生の隣に座った。

 タブレットの中には、ホームセンターの駐車場に停めた軽自動車が写っている。ホームセンターの中から撮影しているようだ。

「大きな影響はない、と?」

「想定の範囲内で進んでいる。堤にも次の指示を出してあるし、準備も終えた」

 軽自動車の中には梨沙子だけが残っているようだ。

「堤はセンターの中に?」

「監視カメラのハッキングを終えた」そしてスマホを撮って命じる。「長谷川柚の画像を見せろ」

 と、タブレットの画面が分割され、片方にホームセンターの天井に設置された広角監視カメラ画像が映し出される。通路に、柚と一般客の姿が見えた。

 イヤホンにくぐもったスマホの音声が入った。音が小さく、聞き取りづらい。

『リサ、堤の姿はない?』

 柚が確認したようだ。

『見逃しはないはず。駐車場に入ってきた車もちゃんと確認してるから』

『これからレジ。すぐ済むわ』

『ここからも見えてる』

『見えてる。もう隠れてていいよ』

 通話はそれで切れたようだ。

 だがすぐに、イヤホンに梨沙子の独り言が入った。突然何かに気づいたようだった。

『いけない! お客さんが憑依されたらまずい!』

 梨沙子は、堤が柚を監視していると考えているようだった。

 時生はニヤリと笑った。

「父さん、失敗を挽回していいですか?」

「何をする?」

「客に、柚を脅させます」

「できるのか?」

「たっぷり休みましたから」

 比嘉がうなずく。

「やってみろ」

 時生がタブレットに目を近づけ、じっと見つめる。

 イヤホンに梨沙子の声が入る。

『どうしよう……警告したほうがいいのかな……』

 ためらっているようだ。柚に余計な心配をかけたくないのだろう。堤や比嘉の手下に襲われることを警戒しているのかもしれない。

 監視カメラ画像の中では、柚が客に近づいていた。他の客は見えない。

 時生は気を失った。

――数分後、教祖に支えられて意識を取り戻した時生は比嘉に尋ねた。

「梨沙子の反応はどうでしたか?」

「慌てていたな。圧力は効いている。自殺の演出はなかなか見ものだったぞ」

 教祖が時生を気遣う。

「体はどう? 異常はない?」

 時生は浅く苦しそうな息をしている。

「やっぱり、少しきつかった……」

 これほど短時間に憑依を繰り返したことは今までなかったのだ。

 比嘉がうなずく。

「だが、よくやった。今日はこれ以上無理をするな。自室で休め」

「ですが……次にどう出るか確かめないと」

「ならば、そこで横になっていろ。本当に碓氷湖まで行く気なら、手を打たなければならない。どのみち、柚の考えがはっきりするまでのことだ。今日はもう憑依は無理だろう? あとは我々のやり方で対処する」

 時生はきっぱり言った。

「必要なら、やりますよ。梨沙子は僕の嫁ですから。放っては置けない。責任は取らないとね」そして気づく。「ところで、柚の部屋からは何か手がかりが出ましたか?」

 比嘉は無表情のままだ。

「まだ調査を続けている。だが、これだけ時間をかけても見つからないなら期待はできない。小娘にしては手強い。やはり本人を追い込んでいくのが一番早くて確実だな」

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