その13 墓場での対決 前編

 雑司ヶ谷にあるその墓地は、妙に広かった。

 都内にもこんな場所があったのかと思うほど、鬱蒼うっそうとした樹々が太陽の光を遮っているだけじゃない。

 時々吹いてくる風さえもブロックしていた。

 さらにその日は曇っており、とうに梅雨があけているというのに、やけに蒸し暑かった。


 時刻は午後三時、時計の文字盤の上に汗が滴り落ちる。

 俺はもう40分も前から、ある有名な作家(名前は忘れた)の墓石に覆いかぶさるように根を生やしている樫の大木に身体を寄せて、向かい側にある、何の変哲もない黒光りする墓石を見つめていた。


 墓石の表面には、

”馬淵家代々の墓”と、刻まれている。

 こんな時間帯だというのに、他には人影がまったく見えない。

 俺はあと一本で齧り尽くすというのに、シナモンスティックを咥え、端を噛み砕いた。


 するとそこに風が吹く。

 ほんの少しだが、汗が引っ込む。

 同時に、石畳を踏む音が聞こえ、人影がまっすぐこちらに向かって歩いてくる

 気配がした。


 俺は齧りかけをシガレットケースに戻し、足音のした方に意識を集中する。

 黒い礼服に黒のネクタイをした、痩せた男がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


 年齢としは60半ばといったところだろう。

 黒縁の眼鏡をかけた、穏やかそうな男・・・・いや、紳士と言った方が良いかもしれない、そんな男だ。

 片手に手桶を下げ、片手には花束と、そして線香を持っているのが見えた。


 男は俺が見張っているのにも気づかず”馬淵家代々の墓”の前で立ち止まると、手桶と一緒に持っていた竹箒で墓の周りを丁寧に掃き清め、手桶の水を墓石に掛けると、雑巾を使って墓石の表面を拭き、花を活け、線香を燈し、墓石に正対すると、中腰にしゃがんで厳かに頭を垂れて手を合わせた。

 

 凡そ三分程そうしていたろうか。

 俺はその間黙って待っていた。

 幾ら自分が無神論者だからって、祈りを捧げている人間を妨げるほど無粋ではない。


 男はやがて祈りを終えて立ち上がると、周囲を片付け、またもとの通りに帰ろうとした。

『ちょっと、お待ちください』

 俺が声を掛けると、男はゆっくりとこちらに頭を向けた。


 墓石の陰から俺は石畳の上に歩を進め、ゆっくりとジャケットの内ポケットからバッジと認可証ライセンスのホルダーを取り出して彼に示した。

馬淵睦夫まぶち・むつおさんですね。私は私立探偵の乾宗十郎いぬい・そうじゅうろうというものです』

 五十嵐氏は、俺の顔と認可証の写真を見比べ、ゆっくりと頷き、手桶と竹箒を石畳の上に置き、

『そうですが・・・・一体何の御用です?』と言った。


『貴方が今日こちらにお見えになることは分かっていましてね。先ほどからおまちしていたんですよ。』

 俺の言葉に、彼はゆっくりと頷き、

 『その通りです。しかしそれが一体‥‥』

『貴方は元警視庁の薬物捜査課の切れ者刑事・・・・今日は貴方の奥さんである美紗子さんの命日でしたな』

 

 

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