その7 行動開始 前編

 目を皿のように・・・・いや、そうではない。血走らせて、ディスプレイに映し出される文字を俺は追っていた。

 

 事務所に戻ってから、もう既に2時間が経過している。

 とっておきのコーヒーをもう十杯。

 とっておきのシナモンスティックをもう二袋。

 それだけを消費しても、まだ把握出来ていない。


 今時のパソコンだの、インターネットだのに慣れた人間なら、こんなもの屁でもないんだろうが、残念ながら、俺は典型的なアナログ人間だ。

 いい加減、眼が血走ってくるのが自分でも分かる。

 

 俺はデスクの端っこに乗っている古めかしい置時計を眺めた。

 長針と短針が、あと数秒で二度目の出逢いをしようとしている。

 

 即ち、午前零時という訳だ。

 俺は今日十一杯目のコーヒーをカップに注ぎ、二袋目のシナモンスティックを空にし、三袋目の封を切り、もう数えるのも嫌になるくらいのため息をつき、バックライトに白く浮かび上がる文字を目で追い、マウスを動かす。


 夜が明けた。

 デスクの上は、電源を切ったパソコン。

 シナモンスティックの空袋。

 底に僅かに残ったコーヒーカップ。

 俺は大きく伸びをし、ソケットからUSBを引き抜いて、ポケットにしまう。

 さて、やっと終わった。

 一晩かかって苦手な作業を終え、椅子から立ち上がり、洋服掛けからコートを取った。

 これからが探偵としての本領発揮、という奴だ。


そこは、日比谷にある、なんてことのない、ごく普通のマンションだった。

さほど高級とも思えないが、さりとて安物というのでもない。

エントランスで名前の書かれた呼び鈴を押すと、向こうから応答があった。

エレベーターで上がって来てくれ、部屋は10階だ。

その言葉を聞き、俺はスイッチを押す。

待つこともなく、箱が下りてきた。

開いたドアの中に入ると、俺が操作パネルのスイッチを押すまでもなく、自動でドアがしまり、自動で『10』という文字が点滅する。


”ごく普通のマンションでも、機械仕掛けという訳だ。”俺は頭の中で苦虫を噛み潰す。

 ドアが開くと、一階と同じようなエントランスがあり、壁に案内板が出ていた。

 廊下まで自動だったら、いい加減うんざりするところだが、流石さすがにそこまではオートメーションには頼っていないようだ。

 矢印に沿って歩いて行き、

1016とだけ表示の出たドアの前で立ち止まり、ドアベルを押す。


 待つ程もなく、ドアが開いた。

 中から出て来たのは、中背の、細い黒縁眼鏡をかけ、赤いタートルネックのセーターにジーンズ。肩まで伸ばした髪を首の後ろで束ねた、化粧っ気のない20代後半か、30代初めと言った女性だった。

『こちら、RYOU先生の仕事場ですね。私は私立探偵の乾というものです。』

 俺はそう言い、いつも通り認可証ライセンスとバッジを留めたホルダーを彼女に見せた。

『編集部の方からお話しは聞いていると思いますが、RYOU先生にお話しがうかがいたくて・・・・おられますか?』


 俺の言葉に、彼女は不思議そうな顔をして、それから悪戯っぽく笑い。

『ええ、おりますわ。私です』

『え?』

 今度は俺が聞き返す番だった。

『私がその”RYOU”なんです』

 俺はきっかり5秒、口を開けてその場に立ち尽くした。




 

 

 

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