第8話 実演考証 下

2時間後、私は同じ櫓に戻っていた。


 一度犯した失態からの自責が心に残っていたが、それを上塗りできる自信がある。

 手にしているライフルが先程とは違のだ。このライフルは、ブルズアイ狙撃技能研究所カスタムモデル。


 中世の騎士が騎士であるために、剣と馬が必要だったように、私がスナイパーであるには、そのライフルが必須であり

 むしろそのライフルを持たない私は、スナイパーでもクルガンでもない、ただの物騒な一般人だと自負している。


「位置についた」


 構えたのは、レミントンM70狙撃銃。

 先程、使ったM700の一つ前の世代の古い銃だったが、“狙撃手のための狙撃銃”と称された名銃であり、特にこのライフルは、アメリカ狙撃銃の黄金時代と呼ばれた1930年代頃に製作された。最高品質の傑作。

 ことさら、その銃のロッドナンバーは99799。これは私の生年月日と一致していて、より強い愛着と信頼を寄せるだけの絆があった。


 ボディの材質は、木材。木は劣化しやすく、湿度や温度で精度に悪影響を及ぼし、さらに加工コストが高く、銃火器の業界では主流から外れつつある素材だ。

 だが、職人が厳選し、加工した木製ボディ、ストックの精度は狙撃を完璧に仕上げる能力を持つ、適切に整備されればその能力は色褪せない。


 古いライフルのジレンマである部品の劣化も、クルガンが信頼するガンスミスである社長が全て解決している。


「やっぱ。この銃は馴染むよ」


 馴染むとは、握りやすいや構えやすいというレベルではなく、体の一部を取り戻した感覚だった。


「そりゃ、私が心血を注いだ銃だ。そいつで当たらなければ、あんたの腕が悪い」


「この銃に限っては、反論できないね」


 ライフルのボルトを捻り、弾丸を装填した。


 その弾丸も社長が自作した.300口径の高精度マグナム弾であり、弾頭や真鍮製の薬莢は市販品を調整したに過ぎないはずだが、赤銀の弾頭と黄金色の薬莢には魔性じみた妖艶さが滲みでる。


 銃を構える。


 意識せずともとれる構えは、滑らかかつ堅牢に、私の末端神経の一本までもがM70狙撃銃が完璧な仕事をこなすための完璧なアシストをするだけ。

 スコープ越しの世界に入り、必要な微調整を実行。

 300弾の弾道特性は、私と物理現象のあいだで以心伝心レベルで把握している。調整に淀みも迷いもない。


「修正完了」


 スイス時計のように精密に指がトリガーに掛ける。


 トリガーの引き代も私の為に軽くしてある。

 感覚的には指をトリガーに触れさせるだけで、撃つことができるのだ。

 トリガーにかける力が小さいほど銃身が受けるブレも少ない。その代わりとして暴発の可能性は跳ね上がる完全な私向け仕様。


 トリガーに指が当てると、撃鉄が撃針を叩いた。

 この撃針も改造済み。工場製のスチール製撃針を交換し、より軽量なチタン製に変えた事でより早く火薬を爆発させる事が出来る。

 その効果として、撃つと決めた瞬間と弾丸が発射させるまでのラグは極限まで短縮されていた。


 爆発した火薬は、1300mに弾丸を到達させる為に完璧な配分で、均等に爆燃し、弾頭に余剰なエネルギーを与えない。

 薬莢と弾頭の圧着も均一であり、爆発エネルギーは薬莢内から弾頭へとムラなく伝わった。


 ——弾丸が放たれる。


 銃口からスフレに似た炎が吹き上がり、爆轟がライフルを介して、狙撃台の単管パイプを共振させる。


 その一方で、遥か彼方の稜線では、悪趣味なスプラッター映画のように黒緑の球体が弾け飛び、果肉を赤い粒子として大気に撒き散らした。


「命中!」


 ノイズに混じる社長の歓声。私と社長では感覚にズレがあるのだろう。この程度の事は驚くに値しない。社長の腕はこの銃はそれだけの性能に仕上げているのだから。 


「ふぅ…………。撃つ前から分かってた。久しぶりに完全な集中力が宿ってた」


 緊張が解れる脱力に快感が走る。この一瞬はスナイパーの職業病だ。


「見事な一撃だ。ゾーンってヤツだね」


「教官は“禅”と呼んでいたよ。それも教官の先輩からの受け売りらしいけどね」


「仏教の言葉だね。精神と肉体が極限状態で研ぎ澄まされる集中力の事だ」


 はるかにこうし思わず感情を口走っていた。


「そんな分かりやすいものじゃない。

 変な話、撃つ前から当たるのが分かってた。今起きた現象は……全部自然現象の一部のようなものだったんだ」


 我ながらこのライフルに熱狂している事を自覚すると急に恥ずかしく思えて、舌先を奥歯で噛む。


「貴重な意見をありがとう。でも、大事なのは、シカゴかボストンで行われる狙撃は、起こるべくして起こる可能性があると証明された事だ」


 高まる感情を抑え、寡黙なスナイパーを演じる必要がある。


「…………まぁ、クルガンが暗殺を企てていた場合と付け加えるべきかな?」


「………いや。私は何も特別な事をしてない。私が出来たのだから誰でも同じ事が出来る」


「そう報告しておくよ」


 感情が平坦に戻ると入れ替わるように兵士として授けられた義務感が芽生える。これも厄介な職業病だ。


「報告だけじゃ足りないかも……私も現場に行くべきだと思う」


 我ながら馬鹿な提案だ。私は自分以外に銃を持っている人間に出会った時、理性が焼き切れるかもしれない人間なのに………。


「ダメだよ、クルガン。私が寂しくなっちゃうから」


 その返答には言葉に詰まる。時間が止まったように返答し難いジョーク。

 社長は私を責めるでも、諭すこともせずに引き止めている。社長がどう言葉を厳選した、考えるだけ野暮だろう。

 社長は空気を変えようとさらに無線に声を飛ばす。


「君ほどの腕はなくても正義のスナイパーは、FBIやボストン、シカゴ市警にもたくさんいる。

 時計が陣取る位置は絞れているんだ。警備の連中は、カウンタースナイプが充分に出来るよ」


「…………」


「降りておいで。私たちはハリウッドのスターたちみたいに“結果”をニュースで見ようじゃないか」

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