そしてボクは知らない名前を口にした。@白井瑛太

 ゴールデンウィーク明けの朝。


 足取りも軽やかに登校していた。


 清々しい気持ちで朝の空気を堪能していた。どうやら今日まで雨続きだったが、空はこんなにも快晴だ。


 すると前方に沙織と夕香が居た。何やら元気が無さそうで、落ち込んでいるみたいだ。



「おはよう沙織! 夕香!」


「ッ!? お、おはよう…白井君。あ、はは…き、今日こっちだから! 夕香!」


「そーそーそーなの! じゃ、じゃあ!」



そう言って走り去っていった。



「ええ…? いったい何なんだ…?」



 ああ、そうか。


 照れたのか。


 ふっ、確かに今の俺は険のひとつもない爽やかなイケメンだ。去年とはまるで違い、焦りなどないし余裕がある。


 何故なら今の僕には藍沢望空がいる。ママがいる。ノンノママが見ている限り何でもできるし何にでもなれる。


 五月晴れの空を見上げてそう思った。





 教室に着くと周りを見渡した。項垂れている男子生徒が四人ほど。その内の一人は親友だった。


 それはそいつからの一言が始まりだった。



「瑛太…藍沢さん、柿本と付き合ったって噂だぜ…ショックだよな…」



 頭の中が真っ白になった。あんなにも愛してくれたのに。


 また男作ってどっか行くのかよ。


 しかも柿本とかありえない。



「藍沢望空は俺のママになってくれるかもしれない女の子だ」


「瑛太? おめー何言ってんだ?」


「ママ…ママ…」


「お、おい寝ぼけてんのか? お前かーちゃんいないだろ! あ、何処行くんだよ! 瑛太! 授業始まんぞ!」


「ママ…!」



 今日ノンノママは休みだった。


 柿本もだ。



「くそっ!」



 焦燥に駆られる心を落ち着かせ、震える手でノンノママに連絡を取ろうとした時、メッセと一本の動画が知らないアドレスから送られてきた。



『白井君ってこんな趣味してたのですね。散々弄んで、変態って罵ってきたのに。変態はあなたの方じゃないですか。導師のおかげで目が覚めました。さよなら』



 誰からかわからないが、おそらくあいつからだ。


 他校にいる女からだった。


 恐る恐る動画を確認しようとすると、サムネにはアイマスク姿の俺が写っていた。


 トイレに駆け込み、再生すると、息子付近から顔に向けてのアングルで、自分のその息子には、まるでお絵描きで描いたかのようなロケットみたいなカタチの半透明な何かが突き刺さっていた。


 いや、違う。俺が空に向かって突き刺している。


 幼い迷子のようにママを探してへこへこと喚いたのを覚えている。



「ママ〜ママ〜何処にいるのぉ〜いっちゃダメェェ〜」


『無理だよぉ。もういくよぉ』


「やだやだやだ怖いよママいかないでぇぇぇえ!!」


『えーちゃんも一緒にいくんだよぉ』


「うんボクもいくぅぅ」



 そんな音声が流れているのに、動画の中の俺は一人孤独に叫んでいた。すると画面の端からピンクのゴム手袋が現れ、そのロケットを俺の息子から引き抜こうとした。


 まるで幼子からオモチャを強引に取り上げるみたいにして。


 だが流線型のロケットはミニョーンと伸びて捻れて引き抜けない。


 まるで幼子がそのオモチャをまだまだ遊び足りないからと手放したくないかのようだ。



「……これ…」



 今になって漸く理解した。



 …⚪︎ナホだ。


 これ。オ◯ホだ。


 あれ、オナ⚫️だったんだ。



「………ママじゃなかった……?」



 あれは最高だった。最高の体験だった。


 だけどこの絵面は最低だった。最低な俺がそこにいた。



「はひ……」



 なのに、俺はこの動画に釘付けだった。


 だってあの頃の俺を重ねて見ていたから。


 あの頃のママの姿を思い出していたから。


 それが藍沢望空に置き換わる、ノンノママに置き換わった。


 まるで赤子をあやすかのようにして耳に染み入ってきたノンノママが俺のママを上書きしたASMR。


 そしてロケットは希望の大空へ向けて飛び立つために盛大に噴射したGW。


 それがこれは何だ?


 そのロケットが空中でビキビキに擦れて割れて壊れて新しい自分へと、また生まれ変わってしまうように感じるじゃないか。


 せっかく塗り替わったのに、また塗り替えられてしまうように感じるじゃないか。



「は、はひ。いひひ…」



 でも、だからか、例え客観視でも気にはならない。



「ふいひひひひ…」



 変な声が喉奥から聞こえてくるが気のせいだ。


 俺の心と身体は、動画の中の幼子なボクとボクの幼子に完全にシンクロしている。


 そしてむしろそこに今いない自分が自分に嫉妬すらしている。



『ちょっとッ! 本当にこれでいいの!? これ伸びまくるのよ!? ねじれるのよ!? 怖いのよッ!!』


『もぉ! 声入るでしょ! ゆりかすのバカ!』


『はぁぁッ?! さくらんこそ禊ぎに参加──』


『手首まだ治ってない!』


『手袋してんでしょーが!』


『ゆりかすみたいに上手くないの!』


『誰がビッチだごらぁぁああ!』



 何やら別の音声が聞こえてくるが、ノンノママの声でロックされているのか、俺の耳には入って来ない。



「あは、はひ、ははは…ママ…ママ…」



 ようやく俺の息子が眠ったのか、画面の中の俺の口元には、恍惚の笑みが浮かんでいた。


 その時を思い出して動悸が激しい。


 パンツが濡れて気持ち悪い。



「はひ、はは、ママ、ママ…パンツ取り替えてよ…ママ…」



 ふと、画面の端に映るクリアーな箱が見えた。


 それには英語でデカデカと商品名がお洒落に描かれていた。


 あの大空に連れて行ってくれたロケットの名前だろうか。


 いや、きっとママの本当の名前だ。


 

「いひ、はひ…スゥ、ピ、ナー…いひ、ゼロ、ツー……いひひひ…」



 そしてボクは、カラカラに乾いて掠れた情け無い声で、知らない名前を口にした。

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