英雄の子

 人々の喧騒行き交うディールの都市ベルファーム。暖季に差し掛かり、少しばかり雪の溶ける穏やかな一日が人々に訪れていた。


 そんな街の郊外にある小高い丘の上、グラッド教室と呼ばれる小さな道場では今日も競技用の木刀を握る子供達が赤い髪の青年に教えを受けている。


「グラッドー! どうすればテガロスに勝てる!? あいつ、体デカいから僕じゃ勝てないよう!」


 泣きながらグラッドに飛びつく少年。彼が指さした方向には周りの子供たちとは頭一つ抜けた体格を持つ青髪の少年が競技リングの中でまた剣を交えた子供を倒していた。


「テガロスに負けちゃったのかい? 確かにテガロスは体も大きい、力も強い。だけど君にも彼に勝つ力がある。僕の教えたことを思い出してみよう。体の大きい相手は基本的に動きづらいんだ。君はその体を生かして彼より早くに剣を振ることができる。それを練習すれば勝てるようになるよ」


 泣き喚く少年を宥めるグラッド。それでも少年のぐずりが止まることはなかった。


「ふう……ありがとう。ラルフ。また手合わせ頼むよ」


「くそ……やっぱ強えな、テガロス。来たばっかりは弱虫テガロスって言われてたのによ」


 手を差し伸べた青髪の少年の手を握り、地面に尻餅をついていた少年が立ち上がる。


 テガロス。ディールの英雄テキウスの子でこの教室で剣を学ぶ十三歳の少年。他の子供たちより頭一つ分高い身長と体格を持ち、教室内でも向かうところ敵なし。


 ──1、だが。


「やあ、テガロス。今日もまた弱い者いじめをしているのかい?」


 テガロスが振り向いた先には灰色の髪に華奢な体つきの少年が立っていた。


「ぐっ……ルーガ……」


「そんな君に吉報だ。僕が相手してあげよう。君との勝負は僕の五十二戦だね。そろそろ勝ちたいだろう。手加減して欲しいかい?」


 挑発的な態度で灰色の髪の少年ルーガはテガロスを挑発する。テガロスは少し引き攣った表情を一瞬だけ見せたがすぐに覚悟を決めたのか表情を引き締めた。


「……いや、手加減なんかいらない。僕は本気の君を倒すために毎日鍛えているんだ。今日こそは君に勝つ!」


「はいはい。いつでもいいよ」


 木剣を握り構えるテガロス。ルーガは小馬鹿にするように鼻でその姿を笑い、木剣を構える。その構えは独特で、順手ではなく逆手で剣を握るナイフ持ち。さらに低く沈んだ体勢はまるで獲物を狙う獣のようだ。


「行くぞ! うおおおっ!」


 テガロスはその優れた体格を生かし真っ直ぐにルーガ目掛けて突っ込む。実にテガロスとルーガの身長差は約三十センチメートル。リーチの差も圧倒的にテガロスに旗が上がる。


 間合いに入り木剣を振るうテガロス。その振り抜きは力強くすでに子供という殻で包んでいいものではない。スピードも抜群だ。既に構えていなければ受けることはできない。だが


「──フッ」


 地に這うような体勢のルーガはその振り抜きが体を捉える前にテガロスの足元に潜り込む。そして振り抜きの当たらない位置を確保し、逆手に持った木剣で切り込みの呼吸を合わせ躱すと同時に攻勢に打って出る。


 逆手に持ったナイフは順手よりも手首の返しで巻き込むように切りつけることが出来る。さらに可動域が狭い分、固定しやすい。よって小柄な者でも力を逃がさないことでしっかりと力を伝えることができる。ルーガはその力の理論を剣で応用し、テガロスの足元を切り払う。


「ぐっ──おお!」


 それを察したテガロスは振り抜きを伸ばすために。そして体を丸め、前転させながら後ろにまで振り抜きのリーチを伸ばした。


「マジか。本当に脳みそまで筋肉まで出来てるんじゃないか?」


 その芸当を見て呆れながらルーガは一歩に出る。そして振り抜かれた木剣を避け、無防備なテガロスの左横に間合いを詰める。


「避けれるかい!?」


 最速で詰めた間合いから順手に持ち替えた木剣をテガロスに向けて振り抜く。振りの速さを重視できる順手で確実にテガロスの首元を狙い、勝敗を決める一撃を叩き込もうと。


「──! うおおっ!」


 テガロスは右手で持ち、振り抜き途中の木剣を強引に左側へと引き寄せる。空中で身動きが取れない中で最低限の防御としてルーガに突きを食らわせようと、自身の得意とする力技で対抗した。


「──!」


 ルーガはその突きをいなしながら一度体勢を整える。テガロスは間一髪決定打を逃れ、息を荒げながらも体勢を整えた。


「はぁ……! はぁ……! くっ!」


 荒い息をつくテガロスに対して余裕の表情でテガロスを見るルーガ。その顔には相変わらずの嘲笑が刻まれていた。


「やっぱり面白いな君。やってのけることが全部力技、脳筋とは君のためにある言葉なのかな?」


「それは僕を馬鹿にして言っているのか? それとも褒め言葉と捉えるべきか?」


 一歩足を引き構え直すテガロス。眼前のルーガは順手の握りのまま中腰の体勢を取る。


「僕は強いからね。基本的に僕以外のやつらに言うことは全部馬鹿にした発言だけど、君は面白い。突き抜けた馬鹿に言うならそりゃもう褒め言葉さ」


「そうか……それなら僕も──鼻が高いッ!」


 もう一度、さらに速い踏み込みでテガロスは間合いを詰める。そしてその右手に握られた木剣を振るい、未勝の相手に初の白星をつけるべく力を込める。


「馬鹿。皮肉に決まってるだろ」


 ルーガは振われた木剣を避け、ルーガはテガロスの右腕を掴む。そして手首に膝蹴りをかまし、木剣を落とさせ、次は手首を掴む。


「おお!?」


 手首を掴まれたテガロスは手玉に取られる。腕を捻られ、バランスを崩された体は小柄なルーガの体重でさえいとも簡単に背中から倒される。


「ぐっ!」


「勝負あり。だな」


 目を開けたテガロスは首に突きつけられた木剣を見た。その持ち主は灰色の少年。越えられない絶対的な壁がそこに聳え立っていた。



◆◆◆



「くっそー……また負けてしまった……」


 テガロスは街道から分岐した田舎道をとぼとぼ歩く。ため息を吐きながら今日の試合を振り返る。


「どうすればルーガに勝てるんだ。これで五十三戦、五十三敗、全敗か……。僕だって強くなっているはずなのに、なぜ彼には勝てないんだ」


 夕暮れの空を眺め、テガロスはまたまた深いため息をついた。そして後ろに見えるベルファームの街を眺め、次こそはと胸に想いを込め一歩ずつ帰路に足跡をつけた。


 ラクト村に着いた。着くと同時に村人から声をかけられるのはいつも恒例の光景だ。そして毎度毎度テガロスにかけられる言葉は慰めの言葉から始まる。


「おや、まあ、またこっぴどくやられたんだねえ。大丈夫かい?」


「ははは……今日もまた負けちゃいました。でも次こそは勝って見せますよ!」


 雄々しく拳を天に掲げるテガロス。実は腕を上げるだけでも激痛が走っているのだが痩せ我慢が得意な彼は顔を顰めることは決してない。


「そう言ってまた負けるんだろ? オメエの父ちゃんにもっかい稽古つけてもらえや? 父ちゃんみてえにならねえといかんだろがテガロスや」


「……はい! 父さんみたいに一日でも早くなれるように頑張ります!」


 慰めの言葉もあれば厳しい指摘もある。そうだ。彼はあのディールの英雄テキウスの子。偉大なる父の子であるならばその子は父を越えねばならない。それはテガロス自身も分かっていたし、さらにはこの時代、ましてや貧しいこの村では戦士たちの武勲によって褒賞を得ることが村人達の生活を繋ぐのだ。未来の卵であるならば彼らに頼らねば生きていけない。厳しい寒さの中で鍬を振るう生活ではいつ崩れるかも分からない。彼らは戦士たちに賭けるしかなかった。


「ただいま」


「おかえりなさい。テガロス。まあ、今日もまた痣だらけ……ルーガ君に負けたのね?」


 子供をあやしていた女性がテガロスに駆け寄る。彼女はアリス。テガロスの母で貧しいこの村で生活しているにも関わらず浮いた服装や美貌を持つ女性だった。


「うん。また負けてしまったよ。……ごめんなさい」


 テガロスは申し訳なさそうに消え入りそうな声を出した。そんな息子の額をピンと母は指で弾く。


「もう、謝る必要なんてないよ。テガロスが頑張ってることぐらい知ってるのよ? 頑張ってる我が子が一番大好きなんだから、謝らなくていい。ほら、湯浴みに行きなさい。泥だらけじゃない」


 アリスはテガロスを押して風呂場へと直行した。


 テガロスの家は村の中では大きい家だ。二階建ての木造建築で、風呂場や台所なども備わってはいる。だが父の名誉を考えればより上の生活ができるはずだ。なぜそうしないのか? それは父の考えが彼らの生活を農民に留まらせるからだ。


「大丈夫だよ。もう子供じゃないんだから」


「子供なのは変わらないわよ。大きくなったけど。ほら、タオルは置いておくから、ゆっくりと入ってきなさい」


 戸棚からタオルを取り出すアリスは少し暗い表情をしていた。そして気まずそうに笑ってテガロスに話す。


「……ごめんね。狭い家で。お父さんがになればもっといい生活をさせてあげられるのだけれど……」


「何回言わせるの。僕はこの家での生活が一番好きなんだ。父さんや母さん、レントやエギルたちがいる毎日が好きなんだから」


 テガロスは屈託のない笑顔で真っ直ぐな返答をする。そこには嘘は何一つなく、彼にとってここでの生活はかけがえのない幸せそのものなのだ。


「……私もよ。みんなが揃って生きれるって、とても大切なことなのよ。あの人は本当なら貴族クラトアに昇格できるの。だけど農民ファッドの生活があの人にとっての日常なんだから、あなたたちに辛い思いをさせてるんじゃないかと思ってね……」


貴族クラトアであろうと関係ないよ。僕たちにとってここでの生活は日常で、変わらないもの。だから母さん、何も気にすることはないんだよ」


「テガロス……」


  目尻に涙を溜めながらアリスは息子の頭を撫でた。照れ臭そうに笑いながら息子は母の愛情を受ける。戦乱の世であっても親子の絆というものは皆に等しく与えられるのだ。



◆◆◆



「あ、テガロス兄ちゃんおかえりー!」


「わあ! また傷だらけ! いたそー!」


「アトラ! ダッド!」


 まだ5歳になったばかりの双子の兄妹がテガロスの胸に飛び込んでくる。テガロスは二人とも優しく包み込んで頬擦りした。


「二人ともまた川に行ってたのか? 今の時期は寒いし、流れも急になるんだからあんまり行くなって言ってただろ〜?」


「でも楽しいんだもん! 魚取り!」


「ほら、いっばい!」


 そう言って二人は木の桶に入った大量の魚たちを目を輝かせながらテガロスに見せつけた。


「うお! すごいな二人とも! もしかして将来は魚取りの名人になるかもな!」


 テガロスは二人の頭をくしゃくしゃと撫でて褒める。撫でられた二人は嬉しそうに笑いながらこう言った。


「ううん、僕、お父さんみたいなせんしになるう!!」


「わたしはお父さんみたいなひととけっこんする!!」


「……! そう、か……そうなれると……いいな」


 この世は戦乱の世。男子は戦士に、女子は戦士の妻に。それが当たり前で子供たちは次の戦いに駆り出すために育てられているようなものだ。その現実がテガロスにはとても辛かった。


「ういー、ただいまー……ウムゥ!?」


 神妙な表情で二人を見ていたテガロスは玄関から聞こえた声で誰が帰ってきたのかを察した。玄関まで走っていくとそこには開口一番キスをしている父と母の姿があった。


「きゃー、らぶらぶー」


「ままー、ぼくもちゅー」


「こら! 二人とも見ちゃダメですっ!!」


  後ろからついてきた双子の目を隠して少年少女の健全を守るテガロスの姿はまるで母親のようなものだった。


「もう! 二人とも玄関でそんなことやめてよ! 子供たちに悪いと思わないのかい!」


「お、テガロス〜またデカくなったか? ほら、アリス、アイツってばお前よりも母親らしいこと言ってるぜ?」


「ドジな私と違ってテガロスはしっかり者ですから。あなたに似たんですよ、きっと」


「そうだよな! だって冷静かつ、叡智溢れる俺の自慢の息子だもんな!」


  豪快に笑う父親は少なくともしっかり者ではない。武勲を上げると同時にその大雑把な性格のせいで生み出された味方たちからの批判の声も同じくらい山積みになっているくらいだからだ。


「テガロス」


テキウスはこっちに来いと手でジェスチャーをする。この仕草はいつもテキウスが帰ってくるとするお決まりの仕草だ。


「おかえり、父さん」


「ああ、ただいま」


  二人は互いに抱き合う。父と子の抱擁。これがこの時代で一番の幸せの象徴だった。戦争での戦死率は5割。親を亡くした子供はもう抱き合う人さえも無くしてしまう。誰が悪いわけでもない。それでも戦争は人を殺す。


 しばらく二人は抱き合った。これ以上ない幸せを二人は噛み締めた。そして6年後、二人は永遠と抱き合うことはできなくなる。

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