勝利の宴

「乾杯!!」


 指揮官ラトリーの挨拶で一斉に酒を飲み出す兵士たち。国境バルフォード防衛戦はテキウスが敵軍大将グロードウェイを討ち取り、勢いに乗ったディール軍の勝利に終わった。


「おいおい、何しけた顔してんだよテキウス。お前の手柄だろ? ほら、飲めよ! グイッとよ!」


 テキウスの戦友レクターが酒を勧める。テキウスは勝利の立役者にも関わらず勝利の美酒を好んで飲むことはしない。


「酒なんか飲んでらんねえよ。この戦いも結局は防衛戦だ。村に戻ったらまた畑仕事に戻んなきゃなんねえ。それに死んでったやつらもいっぱいいるんだ。そいつらの前で勝利に酔うことは俺にはできん」


「相変わらず硬いやつだなぁお前は。確かに死んでったやつらもいっぱいいる。だからこそ今生きている俺たちがそいつらの分も生きなきゃなんねえんだろ? あとなんでお前はずっと『農民ファッド』のままなんだよ? 毎回国からの式の招待も蹴ってるって言うし」


「俺は国からの指図なんざ受けたくないのさ。王都に行ったところで貴族階級の腐れた社会の現実を見るだけだろう。それに俺は今の農民生活で満足してんだよ。なんせ愛する妻と子供たちがいるからな」


 テキウスは木のジョッキに注いだ果実水を一口飲んだ。


「そういやテガロスはどんな感じだ? 稽古つけてるんだろ? お前の稽古なんか考えただけでも怖気がするけどな」


 レクターはジョッキの酒をグイッと飲んだ。


「デカくなったぜ。お前が見に来た時は産毛の生えたようなガキだったが、今じゃ170ぐらいはあるかもしんねえ。それに剣の腕前だけなら俺と互角に渡り合ってくる。さすがアリスの子だぜ」


 テキウスは楽しげに自分の家族の話を始めた。勝利の宴でも酒を飲まない彼だが、彼にとって最も幸せなことは勝利の美酒に酔うことではなく、愛する家族の幸せを見ることなのだ。そして戦友と共に人々のため戦い、家族の自慢話をすることがテキウスの楽しみである。


「そうかい。お前んとこの嫁さんは美人だよな。ウチの女房なんて鬼みたいな女だからな。取っ替えてくれねえかな?」


「馬鹿野郎。あの女は俺だけのもんだ。それにウチの嫁は確かに世界一美しいが、それに比例して危なっかしいからな。この前も火の番し忘れて危うく火事になるとこだったしな」


 次は互いの女房の自慢話をする。レクターは大きな体に幾つもの傷痕を残す戦士らしい男だ。彼はテキウスと共に約20年ほど前からディール軍で戦い続け、今では国から直々に昇進式を設けられるほどの有名人となっている。階級は貴族クラトアであり、テキウスの農民ファッドの二段階上となっている。


「よ、飲んでるか二人とも」


 話をする中で指揮官のラトリーがやって来た。彼もまたテキウスの戦友の一人でテキウスは彼の指揮の下、数々の戦場で武勲を挙げて名を馳せて来た。


「相変わらずテキウスは酒を飲みやしねえ。付き合いの悪いやつだぜ」


「テキウスはそういう男だからな。付き合いがいいのは家族の自慢話だけの馬鹿ってな」


「おい! お前の戦略作りも手伝ってやってるだろ!」


 三人は笑い合いながら飲み合う。戦うしかないこの世界でも彼らのような友情は持てる。歪みあった世界もいつかはその歪みを正せる希望が生まれるのだろうか。そのためにも剣を振るい続けなければならない。テキウスは空を見上げる。そこには眩いばかりの星々が夜空の絨毯を埋め尽くしていた。



 野営地に酔い潰れた兵士たちが場も弁えず大いびきをかく中、テキウスは空虚な目でただ星空を眺めていた。


「眠らないんですか。テキウスさん」


 後ろから声をかけられてテキウスは振り向く。そこには若い赤髪の青年が立っていた。


「グラッドか。お前こそ眠らないのか?」


「僕はお酒が飲めないので皆さんみたいにいびきをかいて眠ることなんてできませんよ」


 グラッドはテキウスの横に座る。まだ二十のこの青年はテキウスの部下で、すでに戦場にも出ている。年端もいかぬこんな青年でも戦わなければならないという事実にテキウスは心を痛めていた。


「どうしたんですか?」


 不思議そうにテキウスの顔を覗き込むグラッド。テキウスは嫌そうに顔を背ける。


「なんでもねえよ。早く家に帰りてえなと思っただけだ。嫁が何かしでかしてないか心配でな」


「テガロス君がついてますから大丈夫ですよ。彼はとても真面目な子ですから」


「……あいつがお前のもとで剣を習い始めてからメキメキと実力を付けてきた。今じゃ剣で俺と互角にやりあえるほどだ。よっぽどお前の指導がいいんだろうな」


 少し寂しそうにテキウスはため息をついた。ディールは他の国と比べて気温が低い。バルフォードから少し離れた山間部にあるこの野営地では息が白くなるのも当然だ。


「そんなことないですよ。中々上達しない子たちもいる中でテガロス君は人一倍意欲的に鍛錬に励んでいますから。私ではなくテガロス君を褒めてあげてください」


 謙遜してグラッドは言った。しかしテキウスは納得がいかないと言わんばかりに不満気に唸った。


「じゃあなんでお前の『お気に入り』には俺の息子が勝てないんだよ。おかしいだろ。俺から見てもテガロスの剣はガキどもの剣とは一線を画すもんなんだぞ?」


「いやー……彼は何というか、一言で言うと『怪物』ですから……だって初めて会った時に私をんですからね」


 少し恐怖に近い感情を交えた声でグラッドは言った。


「……まあ、でも期待の子供たちがついてるんだ。この国も安泰だろうよ。……でもな、俺は出来ればアイツらには戦場に出て欲しくねえなぁ……。なんならお前にも戦って欲しくないぐらいなんだからよ」


空を見上げてテキウスが白い息を吐く。空に輝く星とそれに負けない大きな満月を白いその空気が塗装する。


「……そうですね。『いつか世界中で笑える日を』。僕があなたの部隊に入った時に伝えられたあなたの目指している世界の在り方です。世界中で戦争が起き、多くの人が死んでいく。そして残された家族たちは悲しみ、それでもこの世を生きて行かなければならない。僕もその人々の一人ですから分かりますよ。ですが僕は僕の意思で戦っている。父の無念を晴らすために、僕みたいに取り残される人が一人でも少なくなるようにとあなたのもとで戦うのです。それはあの子たちだってそうだと思います。一日でも早く平和な世界が来ることを望み、やがてそのために剣を取る。そういった希望の星たちが未来を築いていくのでしょうね」


 グラッドは年齢に反して達観した価値観の持ち主だ。父親に似たのかとテキウスは思う。グラッドの父ゴーファはテキウスの上官にあたる人物でテキウスは彼のことを慕っていた。とても聡明で気さくな兄貴分の人物で、部下たちからの信頼も厚い人物だったが、テキウスがディール軍に入った三年後、隣国デクラメートとの戦争で逃げ遅れた部下たちの囮となり亡き人となった。


 テキウスは己の無力さを呪った。自分にもっと力があれば助けられたと。彼以外の友たちももっともっと助けられたのだと。そして彼は英雄と呼ばれるに相応しい力を得るため、鍛錬に励んだ。来る日も来る日も寝る間も惜しんで自傷に等しい毎日を送った。


 彼はやがて英雄となった。十年前のフローラ戦では大国と呼ばれるフローラに田舎国であるディールが食い下がった。六年前のデクラメート戦に至っては圧倒的戦力差をものともせずに敵軍の将軍の首を取り、敗戦続きであったディールを勝利に導いた。テキウスの名は世界中に轟き、ディールは英雄の国と呼ばれるようになった。


 だが英雄と褒め称えられようとも、散っていった仲間たちは戻らない。助けられたはずの命。悲しみに暮れる人々。目の前にいるこの青年の父を助けられなかった悔恨は今となっても消えることはない。


「……すまん。俺があの日お前の父を救えたならばお前の人生に苦労をあたえることもなかったろうに」


「いいんですよ。父は役目を全うしてテキウスさんたちを救ったんです。隊長として当然のことですよ。もし父がテキウスさんたちの囮にならず、一人家に帰って来ても僕は父を侮蔑していたことでしょう。だから僕は父を殺したデクラメートに一矢報いなければならない。それが息子である僕の責任です」


 グラッドは強い口調で自分の意思を固める。その顔に彼の父の面影をテキウスは垣間見た気がした。


「そうか。流石ゴーファさんの息子だ。お前の父も強い決意を持って戦う人だった。その姿に俺たちは憧れてついて行った。その強さを受け継ぐお前ならいつか俺の夢を叶えてくれるかもしれんな」


 テキウスは軽く笑って言った。普段は無愛想な彼が笑うことは家族の話以外滅多にないことだった。


「買い被りすぎですよ。テキウスさん。僕なんてまだまだ子供みたいなもんですし。そろそろ寝ますね。明日は片付けをして帰路に着く日ですから」


「そうだな。俺もそろそろ寝るよ」


 二人は白い息を吐きながら立ち上がって仲間たちが眠りこける酒の場に戻るのだった。

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