◇ 屋敷が燃え、町が消え、その罪を全て擦り付けられた。

 エオルたちディアンヌ公爵家が来る少しの間に、ファニーシュはお勉強タイムを挟むことにした。とはいえ、公爵家のもてなしの準備に着替えもあるので、普段のお稽古に比べて時間は取れない。


 集中したいから、と言って一人になったところで、ラァムは本棚の影から姿を現し、ため息交じりに嗤うという、なんだか器用なことをした。


「どうせなら、風邪が拗れるようなことをしようぜ。水を引っかけてやるとかさ」

「駄目よ! 悪化したらどうするの!」

「悪化させようって言ってんだよ」

「なんて酷い事を言うの! まるで悪魔ね!」

「自分が何呼び出して何と契約してんのかぐらいは把握しようぜ、アホ令嬢」


 こんな奴に構ってられないわ、と背の高い本棚の間を通り歩き、小難しい背表紙の並びから医学書を探すファニーシュに、ラァムは飽きもせず話しかける。


「大体、お前こんだけアホなんだから、医学書読んだって理解しきれねぇだろ」

「あら。わたくし、これでも記憶力はいいのよ! 聞いていない話は覚えてないけど!」

「人の話聞くのとセットじゃねえと意味ないんだよその力は」

「この家に医学書なんてあるのかしら? うちからは誰もお医者様は出ていないのよね」

「さっそく聞いちゃいねえし」


 適当にざっと周囲の本を見渡し、ふと思い立ち、ファニーシュはラァムと視線を合わせる為にその場に屈んだ。


「ね。貴方、指定した物を移動できるのよね?」

「あ? なんだ、俺の話は聞いていたのか」

「勿論よ! でね! この書庫に医学書があったらここに持ってきて頂戴よ!」

「契約してないんだがなー……」


 ぼやきながらもラァムは大きな一つ目をぐるりと動かし、「ほれ」と一言放つと一冊の本をどこからともなく目の前に落とした。


「凄いわ!」

「随分奥まった位置にあったが、この程度なんてことはないね」

「手品みたいねっ」


 素直な感想のつもりだったが、ラァムは誇らし気な態度から一変、「そりゃ誉め言葉じゃねえや」と拗ねてしまった。ファニーシュは気にせず本を手に取った。


 開き癖がついていたのか、真ん中よりやや後半にある奇病のページが開いた。『聖女病』『花浮き病』『石持病』……。治すには神々の力が必要な病名ばかりだが、今は関係が無いので前の方に紙をめくり直し、


「そういえば、パルフェの症状を聞いてないから調べようがないわ!」


 根本的な事を思い出し、はっとして本を閉じ立ち上がる。


「おっと。どこに行く」

「パルフェに直接聞いてくるわ!」

「どうせ仮病だ、仮病。目上の奴に会うのが面倒なんだよ。ほっとけって」

「まーっ! パルフェの事なんにも知らないで! あの子は真面目で誠実なのよ!」

「その真面目で誠実な女に、大好きな婚約者盗られたんだろ」

「今は盗られてないわ!」

「すぐに同じことが起こる。変えられないんだよ、感情は」


 そういうものなのだろうか。と尋ねれば、ラァムは、そりゃあそうだろ。とあっさり肯定した。そういうものらしい。


「そもそも前回、お前が騒いで牢屋にぶち込まれた時、パルフェは元気だっただろう。毎日のように様子見に来てさ」

「でも、前回と違って朝食の席にいなかったわ。呪いの試し打ちで悪くなったのかも」

「大天使の加護で無傷だ。多少反動を受けたとしても、眩暈が一回あったとかその程度だ。分かったら、婚約者盗られた後のことでも考えろよ」


 ラァムに言われるがまま、ファニーシュは唇を尖らせ唸りながら考える。感情は変えられないとは言うが、どうせならパルフェにはエオルを好きにならないでいて欲しい。


 うん、と一つ頷き、ファニーシュはその場に再びしゃがみ込み、ラァムと目線を合わせて提案する。


「徹底的にエオル様と会わせないっていうのはどうかしら? 知らない人を、好きになることはないでしょう? パルフェなら素直だから、お願いしたら聞いてくれると思うの!」

「これまで何の問題も無く元気に過ごしていた妹が、急に表舞台から消えたら、俺が婚約者側の家族なら何かしら事情を勘繰るがね」

「うーん、そうね。わたくしならともかく、パルフェはもうデビュタントも済ませてしまっているものね!」


 困ったわ! と声を上げれば、ラァムは「あんまり困ってるように聞こえねぇんだよな、お前のその元気の良さ」と笑いながら返事をし、書庫の外から聞こえて来た足音が近づいて来たのを機に、さっと姿を消した。


「ファニーシュ。そろそろ準備しないと間に合いませんよ」


 やって来たのは母で、医学書を抱えたまま床に座り込むファニーシュを見つけ、「あらあら」と困ったように微笑んだ。


「面白い本でも見つけましたか?」

「いいえ! パルフェの風邪が良くなるものを見つけたくて、読んでみたのだけど、症状を聞いてないから全く分からなかったわ!」

「ふふ。そう。……あら」


 本を見せながらさっきあったことを話すと、母は少し首を傾げた。林檎を模した耳飾りがきらりと光る。


「こんな本、あったかしら……?」

「奥の方で見つけました!」


 ラァムのことは隠してそう伝えると、母は「医学書は、叔父様が全部持って行ったと思っていたけど、残っていたのね」と自身を納得させるように呟いてから、にこりと笑みを見せた。


「読書はお茶会が終わってからにしましょうね。さあ、着替えてきなさい、ファニーシュ」

「はいっ、お母様!」


 ひょいっと軽い動作で立ち上がる。母が微笑まし気に目元を緩ませて、ファニーシュの菜種色の髪を優しく撫でた。


 母の慈悲に満ちた視線と、優しい手がファニーシュは大好きだ。こうして撫でられるとずっとそうしていたい気持ちになるけれど、先に言われた事を済ませようとファニーシュはにこにこしながら「着替えてまいります!」と元気いっぱいに言って、その場を後にした。


「そうだわ! 心苦しいけれど、今日はひとまず、パルフェにエオル様と会わせないようにすればいいんじゃないかしら!」


 部屋まで歩きながら思いついたことを口にする。突然の提案にも、メイドは慣れた様子で「そうでございますね」と相槌を打つ。


「お風邪をエオル様やディアンヌ家に皆様に、移すわけにはまいりませんから」

「そうね! でも大丈夫よ! 夜には元気になっていたわ!」


 前回、日中に無理に部屋から引っ張り出しても、夜中には寝起きだったにも拘わらずパルフェは元気に大きな声を張り上げていたから、ラァムの理論ではきっと大丈夫のはずだ。


 前回の事など知らないメイドにはよく分からない発言なのだが、ファニーシュが突拍子もないことを言うのはいつもの事なので、メイドは「そうですね」と笑って相槌を打ってくれた。


 るんるん気分でファニーシュは自前のドレスルームに足を運び、用意させた鮮やかな黄色のドレスに着替える。鏡の前に座り、髪をセットしてもらいながら、思わずにこにこしてしまう。


 やはり何度見ても可愛いドレスだ。まあ、どちらかといえばファニーシュは濃い色味の方が似合うから、淡い色が似合うパルフェに今度あげてしまおう。最近はパルフェの方が背が高くなってきたけれど、まだ衣服を共有できるはずだ。今日エオルに会わせてあげられない埋め合わせになるだろう。


 着替えの後には、出迎えの用意や茶会で出す飲食物の内容を使用人から聞き、つつがなく進んでいることを確認する。二度目とはいえ主催とは何をすればいいのだか、何が何だかよく分からないことだらけだが、家族や使用人たちに何度も確認してもらっているので大丈夫だろう。


「なんだか、大人みたいね!」

「当然でございます。お嬢様も、もう少ししたら社交界にも参加させてもらえますよ」

「本当? 楽しみだわ!」


 パルフェやリーヴィから聞いてはいるが、社交界にはまだ参加したことが無いので嬉しくなって、ファニーシュはにこにこしながら、その日が来るならどんなドレスにしようかと想像した。


 それから少しして、いよいよディアンヌ家の来訪を待つ時間を前に、ファニーシュはパルフェの部屋を訪れた。


 扉を叩き、返事が来る前に開けてしまうと、勉強机の前に座っていたパルフェが驚いた様子で顔を上げた。一つも灯りが点いていない部屋にいるパルフェは、透明感を失うことなく目を丸くさせている。


「お、お姉様……どうされましたか? お茶会は?」

「これからよ! パルフェが元気ならちょっとだけでも出られないかしらって……あ、じゃなくて!」


 うっかり、前と同じように引っ張り出しそうになって、慌てて軌道修正をする。


「今日は、無理しないでいいわよ! わたくしが、ディアンヌ家の皆様をしっかりおもてなしするから! 何かあっても、リーヴィもいるし、安心してしっかり休んで頂戴!」


 ファニーシュが胸を張って宣言すると、どこかほっとしたようにパルフェは淡く長い髪をそろりと耳にかけて微笑む。少しだけ開いたカーテンの隙間から差し込む自然光を後光のように背で浴びる妹は、本当に天使のようで眩しくて、思わず目を細めた。


「……はい。今日は、お休みします。お姉様もどうか、無理はなさらないでくださいね」

「ええ! 任せて!」


 行ってくるわね! と両手を勢いよく振ってその場を後にする。あの調子なら、パルフェが自ら部屋を出て来ることは無さそうだ。


「順調ね!」

「左様でございますね」

「ふふん!」


 ふんぞり返りつつも足は止めず、ファニーシュは時間ギリギリにディアンヌ公爵家を出迎えた。


「お久しぶりです。ファニーシュ嬢」


 黄赤色鮮やかな髪を揺らし、エオルは会釈する。桃花色の優しい目が微笑みの形になり、その口が名を紡ぐだけでファニーシュは有頂天になる。


「は、はいっ! お久しぶりです、エオル様!」

「今日も元気そうでよかった」

「え、えへへ……」


 軽く父に背を小突かれ、はっとして練習した通りにエオルの両親にも挨拶をし、天気の良い庭園のガゼボに案内をする。


 二度目なので優しい公爵はファニーシュのぎこちない動きを責めることが無いと知っていたので、安心して動くこちらより、どちらかといえば両親の方がどきまぎとしていた程だった。


「申し訳がありません、何分、あの子も不慣れなもので……」

「構いませんよ。こうして彼女と過ごせるだけで、有意義な時間ですから」


 大人の会話を聞き流し、ファニーシュはエオルに目配せをする。確か、前回は茶会が始まってからこのぐらいの時間に、ドレスを褒めて貰えたのだ。


「なあ、エオル?」


 公爵に話を振られ、エオルは落ち着いた様子で「はい」と答え、にこりと微笑んだ。


「本当に、素晴らしく尊きことです。神々に渇仰せずにはいられません」


 彼の視線がこちらを向く。庭園の花々を背景に、彼が微笑む。何もかもがきらきらと輝いて見える世界で、彼が一番目を惹く美しさを持っている。同じだ。前回と、同じ。


「そのドレスも良く似合っているよ」

「!」


 分かり切っているはずの台詞に、ファニーシュの胸はときめく。なるほど、ラァムが言っていたことはこういうことか。一度目だとか二度目とか関係ない。彼の言葉は、動きは、何度でもファニーシュの心に同じように響くのだ。


「あっ、あり、がとう……ございます……っ」


 前回は極度の照れで言いそびれてしまった礼を言い、真っ赤になっている自覚をしながらファニーシュははにかんだ。


(この場にパルフェもいたら、もっと楽しく……は、ならなかったのよね。残念……。後で、お菓子持っていってあげよっと)


 テーブルに並ぶ菓子類を見てそう考えていると、


「よかったら、庭を見て周りますか?」


 父の声がふと耳に入り、ファニーシュは顔を上げた。父はエオルの方に顔を向けていた。


「よろしいのですか?」

「ええ、勿論。ファニーシュ、案内してあげなさい」

「? はいっ」


 庭の案内をすればいいのかな? 話を全く聞いていなかったので小首をかしげつつ返事をすると、客人の手前、父はさすがに困ったように笑って、「エオル様は、信仰治療を熱心に学んでおられるから、神様への供え花を見せてあげるんだよ」と付け足した。


「供え花ね! わたくしも、あの花々は好きなの! エオル様も気に入ってくれると嬉しいわ!」


 好きなものが同じだったら嬉しいと思い、ファニーシュは難しい話は全て右から左に聞き流し、静かに勢いよく立ち上がった。リーヴィが注意したそうな顔をしたが、こちらも客人の手前、いつものように言い出しづらかったのか笑顔を凍り付かせてそっと視線を逸らしていた。


 今にも駆け出しそうなファニーシュに、エオルは手を差し出した。


「転ばないように、ゆっくりと行こう。折角の素敵なドレスを、汚したくはないでしょう?」

「! はいっ!」


 満面の笑顔で頷いて、差し出された手を取る。そうか、これが淑女扱いというものか、皆してファニーシュを窘める時は羽交い絞めにして、褒める時はぐりぐりと頭を撫でるから、こういった扱いは初めてでドキドキする。


(お庭の案内なんて、前回は無かったわ!)


 ちなみに、前回はお菓子を見た辺りで、『パルフェがこれを今食べられないのは可哀そうね!』とその場を飛び出し、パルフェの部屋にまで全速力で走っていたので、こんなにも楽しい出来事が待っていたとは思いもしなかった。


「重ね重ね、申し訳がありません。ご子息にもご迷惑をおかけして……」

「いいんですよ。長らく令嬢としての教育からも、離れていたとお聞きしました。これから学んでいけばいい──」


 大人たちの会話から遠ざかり、ファニーシュは使用人を数人連れてエオルに庭の案内を始めた。


 ファニーシュは、供え花が好きだ。色とりどりの花は、信仰心の高さを表すように美しく咲き誇っている。年中枯れることなく咲いているのに、見飽きることがない。


「素晴らしい……我が家でも、これほどの供え花は咲いていないよ」

「えへへ。家族皆でお世話して、お祈りして育てているんですよ! 特に、パルフェは毎朝、お祈りの為に早起きしているぐらいで……」


 そういえば、今日のパルフェは体調を崩しているから、個人的な日課としてやっていた朝のお祈りはできなかったのだろうか?


 代わりにやっておこうか、と本人に聞くみたいに何気なく、パルフェの部屋がある二階に視線をやった。窓が少しだけ開いていて、風でカーテンがゆらゆらとしているのが見えた。室内が暗いのでパルフェがいるのかどうか分からない。


「どうかしたの?」

「あ、えっと」


 ややしかめっ面になって上を向いていたファニーシュを、エオルは不思議そうな顔で覗き込んだ。顔の近さにどきりとして、「妹が、」と思わず口をつく。


「ああ、そういえば妹のパルフェ嬢は体調が優れないんだったね──」


 茶会への案内中に話したことを覚えていたエオルは、少ない言葉からパルフェが部屋にいるのだろうと察した様子で、ファニーシュと同じように二階の方を見やった。


 一迅の風が吹く。


 パルフェの部屋のカーテンがめくり上がり、窓の横の壁にもたれるようにしてこちらを覗いていた彼女が、日差しを浴びて姿を現した。


 一応櫛だけ通したプラチナブロンドを輝かせて。部屋着だというのに、それが聖者の倹約さを思わせて。天使のような妹は、風に驚いたのか目を丸くしていた。


「──」


 何もかもが一瞬止まったような気がした。


 息が、時間が、絡み合った視線が、血の巡りさえも、止まった。そんな気がした。


 実際、エオルは大きな反応どころか、指の先をぴくりとすらさせなかった。ただ──間があった。……それだけだ。


 ファニーシュはこんな時だけ冴えた頭で全てを悟った。女の勘だ。二人は恋に落ちたのだ。ファニーシュが何度同じ言葉でエオルに褒められても喜ぶように、パルフェも一目でエオルを気に入った。


 はくはくと、声にならない言葉を吐き出そうと、唇だけが動いて、乾いた息を吐いた。



 何を?


 何事も無かったように時間は動き出す。パルフェは一瞬目を泳がせて、何でもないようにこちらに手を振り、エオルがそれに応えて手を振り返し、手を強く握ったファニーシュを不思議そうに見下ろした。


「ファニーシュ嬢? 何か──」

「やだ」


 思いが口から洩れた。

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