◇ 問われるままに財宝の在処を教えた。

 声の主は、巨大な目が顔の中央にあるだけのカラスの姿をしていた。普通のカラスより、二回りは大きいだろうか。カラスはその一つだけの目をにやけた形にして、ファニーシュを眺めている。


 悪魔。


「成功……?」


 半笑いになってぼそりと呟いてみれば、カラスは大きな嘴を開けて赤い舌を覗かせながら笑いをこらえた声で言う。


「馬鹿言え。他の奴らが騒がしいから、鎮める為に来てやったんだ。こんな落書きで呼び出されやがって、どいつもこいつも契約を安く扱いやがる──」


 にやけた目でファニーシュをじっくり眺めて、カラスは「ほぉ。神々に罪人と認められた女か」と興味深そうに続けた。


「ふぅん? お前、名前は?」

「ふぁにーしゅ……りゃ……なる、ど」

「リャーナルド家!」


 家名を聞いた途端、カラスはカカカ、と小刻みに首を動かして笑った。腹を抱えているのか、片足が浮いている。


「ああ、ああ、そういうことか、通りで! そりゃあ、面白がって見に来るわけだ! いいねぇ、俺も遊んでやろう」


 たった一つの大きな目をことさら強調するみたいに見開いて、カラスはずいっと顔を近づけた。


「ほれ、望みを言ってみろ。この悪魔伯爵、ラァムが聞いてやろう」


 悪魔にも爵位があるのね、とあまり話題とは関係のない事に興味を示しつつも、ファニーシュは言われた通りに望みを口にする。


「いも、とを」


 上手く声が出ない。口をはくはくと動かすのが精いっぱいだったが、悪魔召喚に成功するなんてきっとこれが最初で最後だと、必死になって腹に力を入れ、最後の力を振り絞って叫んだ。


「妹、を……パルフェを、呪って!」


 悪魔は愚かな願いをゲラゲラと笑った。


「身内殺しの罪を背負ったお前らしい願いだ! ああ、いいぜ。俺らも、あいつにゃ消えて欲しい──」


 ラァムが片翼を広げた瞬間、ぐにゃり、と視界が歪んだ。早速契約を結ばれたのだろうか、ファニーシュは内心で焦る。


 え、もう? もっとこう、契約の為に必要な話とか、色々あるんじゃないの? こっちに不利な話なら、先にしてくれなきゃ不履行にするわよ、と。


 しかし抗議の声をあげるにはもう力尽きていて、ファニーシュはぐるぐると回り出す視界に耐えきれず瞼を閉じた。


***


「お嬢様、朝ですよ! ほら、起きて!」


 聞き覚えのある声に、ファニーシュは目を開けた。丁度のタイミングでカーテンが開けられ、視界に白い日差しが飛び込んできて「うっ」と顔を顰める。


「今日は、エオル様が挨拶に来られる日ですよ。目一杯おめかししましょうね」


 日陰の方に移動して、周囲を見渡す。見慣れた自分の部屋だった。カーテンを開けたメイドはファニーシュが物心ついた頃には既にいた中年の女性で、微笑まし気に衣装の準備をしている。


「ええっ?」


 思わず声を上げて、はっとして喉を押さえる。あんなにも掠れて、声を出せば出すほど痛かった喉が痛くない。綺麗な衣服、ふかふかのベッド。清潔さが保たれた空間に目をぱちくりとさせてから、ファニーシュは裸足のままベッドから飛び降りた。


「あらあら、お嬢様。いけませんよ、もう婚約者もいる身なんですから」


 いつもの元気が有り余る行動だと思ってか、和やかに注意する彼女の声を聞き流し、ファニーシュはドレッサーの前に立ち、大きな鏡に映る自身の額を見やった。


「消えてる!」


 咎の証が、きれいさっぱり無くなっていた。鏡に顔を近づけ、角度を変えて見てもやはりあの焼き印のようなものは見当たらない。顔がよく見えるよう前髪を真ん中で分けた額はつるりとしているし、牢獄生活の間に伸びたはずの髪は、波打ちながら肩口で真っすぐに切りそろえられている。


「夢だったのかしら……」

「怖い夢でも見られましたか?」

「そうなのよ。わたくしの額に、咎の証が浮かんでいたの」

「まあ、それは恐ろしい」


 ずいぶん現実的な夢だったな、と感想を浮かべ、メイドに押されて顔を洗いに行く。


「ですが、夢でございます。神々と契りを交わし、代々清き一族として知られるこのリャーナルド家から、咎の証が浮かぶ者が出るはずがありませんわ」

「そうね!」


 水から顔を上げて元気よく返事をし、ファニーシュは用意された衣服に着替える。それから、エオルと会う時に着替えるドレスに目をやった。


 妹とエオルを引き合わせたあの茶会の日に着たものと同じだった。あの時、エオルは似合っていると褒めてくれたので大のお気に入りのドレスではあったが、一度着たものをまた着て出迎えたら、衣服を揃える資金も無いのかと心配されるだろうか?


 あんまりにもまじまじとドレスを見つめていたからか、髪に櫛を通していたメイドが、「どうされましたか?」と尋ねて来た。


「またアレを着て迎えたら、呆れられるかしら?」

「また、とは?」

「前にも同じドレスでエオル様と会ったわ」

「はぁ」


 納得がいかない表情で相槌を打たれ、「何よ」と唇を尖らせてメイドを見上げれば、彼女は困ったように「あちらのドレスが届いたのは、昨晩ですが……いつエオル様とお会いになられたのでしょうか」と首を傾げた。


「昨晩? 本当に?」

「ええ。夕食の前に届きました。お嬢様は大層お喜びになって、食事の時間にお呼びしてもずっと眺めていたではありませんか」

「……え、今日って何月何日かしら?」


 覚えのある行動に、あれ、と思い、今更ながら日付を尋ねた。おかしそうにメイドはくすくすと笑って、「春の月、二十四日でございます」と答えた。


 エオルとその家族を家に招き、簡略的な両家の顔合わせをした日──パルフェとエオルが初めて出会い、そして恋に落ちた日である。


「っはぁ!? パルフェは!?」

「!? ど、どうなさいましたか、今度は……」

「パルフェはどうしてるの!?」

「今日は朝から体調が優れないようで、お部屋で休んでおられますが……」


 そうだった。そうだ。思い出してきた。確かにあの日、パルフェは珍しく体調を崩していて、茶会を欠席しようとしていたのを、ファニーシュは『家族になるのだから、挨拶だけはするべきよ!』と彼女を部屋から引きずり出したのだ。


 ドレスも、パルフェの様子も、あの日と同じシチュエーションが揃っている。


「──っカカ、そういうことか、そういうことか。ようやっと理解した。あいつらがニヤケ顔で、順番待ちするわけだ」

「!」


 聞いたことのある男の声に驚いて大きく肩を揺らし、ファニーシュは櫛の流れも無視して振り返った。こちらが急に頭を動かしたので、メイドは持っていた櫛を落とし、慌てて拾おうと屈んだ事で、背後にあるベッドにカラスがちょこんと立っているのが見え、ファニーシュは「あーっ!」と声を上げながら立ち上がる。


「ちょっと貴方! 急にいなくなったと思ったら!」

「仮にもご令嬢が、人様を指さして大きな声を上げてんじゃねェや」

「わたくしはどうなりましたの!? 生きてる!? あ、生きてはいますわ!」

「まあまあ、まずはそっちの女を外に出してくれや。頭のおかしい奴だと思われるぜ?」


 そっち。と一つ目の鴉が片翼で指した方に視線をやれば、櫛を拾った体勢のまま呆然とこちらを見上げるメイドがいた。


「こ、今度はどうされましたか……?」

「ベッドの上!」

「……?」


 言われるがままにメイドはベッドの方を見やり、首をかしげて視線をこちらに戻した。


「何もありませんが」

「ええっ? 何を言っているのよ! いるじゃない! ほら、一つ目のおっきなカラスが!」


 カカカ、と小刻みに首を動かして、一つ目カラスこと悪魔伯爵のラァムは笑った。


「見えやしねぇよ。俺が見えるのは、一応召喚者であるお前だけさ、愚かなファニーシュ」

「なんですって!」


 ファニーシュが殊更大きな声を上げた次の瞬間、部屋の扉が乱暴に叩かれた。急いでメイドが扉を開けると、義弟のリーヴィが鬱陶しそうな顔で立っているのが見えた。今起きたばかりのファニーシュと違い、彼は既に身支度を済ませ、小難しそうな本を脇に抱えている。


「朝からうるさいぞ」

「リ、リーヴィ様。どうしましょう、お嬢様がまたおかしくなってしまわれたのでは……」

「元からだろ。甘い物でも口に突っ込んで黙らせておけ。こっちは勉強で忙しいんだ。まったく」


 静かに憤慨して、リーヴィは立ち去った。おろおろと廊下とこちらとを交互に見やるメイドを横目に、ラァムは嘴を開けてニヤついた。


「契約の話をしようって言ってんだ。さっさとしな」



「時間が巻き戻った!?」

「うるせぇなぁ。一々でけぇ声出さねぇと気が済まねぇのか」


 朝食の時間になったらまた呼びに来て、とメイドを一旦部屋から下げると、ラァムは端的に現状をこう表現した。『時間が巻き戻った』と。


 驚くファニーシュは、額をこする。


「だ、だから咎の証も消えたって事!?」

「たった今した注意も聞きやしねぇ。これが本当に貴族教育を受けた人間かァ?」


 可笑しそうに愚痴ったラァムを真正面に見つめ、ファニーシュは花を咲かさんばかりに明るい笑みを浮かべ、「まあまあ、まあ!」と彼に顔を近づけた。


「なんて素晴らしい! つまり、わたくしの未遂事件は無かったことになったのね! 神よりよほど人の心が分かる悪魔ではありませんの!」

「……リャーナルド家の人間とは思えん発言、こりゃあどうも。それとも、分かって言ってんのか?」

「痛ぁっ!?」


 左右に首を揺らし、ラァムは一度ファニーシュの鼻先を蹴ってから「さて、それで契約の話だが」と続けた。


「まず、俺に出来ることは、指定された物の移動、町や村の破壊、あるいは人間の尊厳を貶める事だ。お前の願いは、妹のパルフェを呪って欲しい、だったか」

「ええ、ええ! そうよ!」

「アホなお前の為に、端的に言ってやろう。──

「……はっ?」


 にたにたと一つ目を細めるラァムに間抜けな声を返すと、彼は「試してみるか?」と嘲るような調子で提案した。ファニーシュはよく考えもせず飛びついた。


「ええ! お願いするわ!」

「ほらよ」


 ラァムは器用に鈎爪を動かしシーツの上に皺で魔法陣を描くと、それは光り──刹那、ファニーシュに雷が落ちた!


「ギャッ!?」


 短い悲鳴を上げ、ファニーシュはその場に倒れ込んだ。痛みは一瞬で、じーんとした痺れが全身を走り、少しして消えた。


 ラァムはぴょん、と跳ねて雷を避け、カカカと笑っていた。


「ああ、予想通り。やっぱり、俺らの力を跳ねのける程度の守りはあるだろうな」

「一体、どういう……」

「お前の妹は、大天使様のお気に入りだ。人の身には余る加護を与えられているのさ」

「なんてこと……天使のよう、というのは例え話ではなかったのね!?」


 まあそうだな。と一応肯定して、ラァムは続けた。


「呪う程憎い相手だ、ここは──」

「あら、ちょっと待って」

「あん?」


 何か勘違いをされていたので、ファニーシュは訂正の為に急ぎ体を起こし、口を挟む。


「わたくし、パルフェの事はそんなに憎くはないわ」

「……呪う程だってのにか?」

「そうよ。わたくしの婚約者を盗った、それが許せないだけで、大好きな自慢の可愛い妹だわ」


 そう、だから婚約者との顔合わせにも多少無理させてでも引っ張り出したのだ。愛する婚約者と、大好きな妹と小生意気だけど可愛い義弟で末永く仲良くしたかったから。それを壊されたのが、許せなかった。それだけだ。


「ということは……あっ、そうだわ! 時間が巻き戻ったのなら、パルフェはまだエオル様と会っていないってことよね! じゃあ、今は呪う理由が無いわ!」

「いいのか? 巻き戻ったところで人の心は変わらねェ。二人が出会えば、何度だって恋に落ちるだろう。芽は摘んでおくのが賢いぞ」

「犯してもいない罪を罰されても、パルフェが困っちゃうわ」

「はーん……」


ラァムは何もかも理解したような目をして、「浮かばれないねぇ」と憐みの言葉を口にしながら嗤っていた。


「何の話?」

「さぁ? ──んで、呪う気はもうねぇんだな?」

「ええ! 今はね!」


 あきれ果てたようにラァムは半眼になり、「契約する気がねぇなら、俺はここでおさらばなんだがなぁ」とぼやく。


「ま、面白いからしばらく待ってやるよ。必要になったら力を貸してやろう。人の心が分かる奴だからな、俺は」


 そう言って小刻みに笑うと、ラァムは思い出したように再び口を開いた。


「ああ、そうそう。契約の代償に、お前が差し出すものだが」

「それっていつ渡すものなの?」

「お前が死ぬ時さ」

「じゃあ結構先なのね!」

「妹殺して長生きする気満々かよコイツ──止めだ、止めだ。お前の望みを叶えた時にしよう。契約が履行されたその時、“穢れた魂”を貰っていくぜ」


 それはどのような物なのか。聞き出そうとして、部屋の扉が叩かれ、メイドが心配そうな顔を覗かせた。


「お嬢様、朝食の準備が整いましたが……落ち着かれ、──どっ、どうなされたんですか、そのお怪我!?」

「へ?」


 慌てて駆け寄って来たメイドが、忙しなくファニーシュの顔を拭い、衣服を叩き、髪を梳く。そういえばさっき雷に打たれてそれっきりだったので、あちこち焦げていたかもしれない。不思議と最初の衝撃以降は痛くなかったので忘れていた。


 まだラァムと話したかったのだが、先ほどのようにメイドを不安にさせるわけにもいかず、ラァムとメイドとを交互に見やると、ラァムが大きな嘴を開けて真っ赤な舌を動かした。


「契約の話はこれで終わりだ。話したいことがあるなら、人がいない所で呼びな」


 カカカ、と笑ってラァムはその姿を朧気にしたかと思うと、空気中に溶けるようにして消えた。


「まあ……!」

「お、お嬢様?」

「面白いの見ちゃったわ! ねえ、今日のご飯はなあに?」


 ラァムがいなくなると空腹なのが気になり、ファニーシュはころりと話題を変えた。いつも通りの元気なファニーシュを見てメイドはほっとしたのか、今日のメニューをつらつらと語り、手早く身だしなみを整えてくれた。


 牢にいたおよそ三か月のかび臭い食事はもう食べなくていいのだ。久々の豪華な朝食に機嫌をよくして、スキップをしそうな気持をぐっとこらえてファニーシュは広い居間に顔を出した。


 両親は既に席についており、丁度義弟が使用人に椅子を引かせて座ろうとしているところだった。


「あら、パルフェは?」


 キョロキョロと周囲を見渡していると、ファニーシュとよく似た菜種色の髪を結わえた母が上品に頬に手を当て、「体調が悪いみたい」と心配そうに言う。


 記憶では、この日パルフェは席についていて、朝食の最中に体調が悪い旨を伝えて部屋に籠ったはずだ。ラァムの呪いをはじき返したせいで、若干体に影響が出たのだろうか。


「そう……。今日はエオル様が来られるのに、残念ね!」

「もし風邪なら、ディアンヌ家の皆さんに移したら大変だわ。先にお医者様に診てもらいましょう」


 ファニーシュもそれまでは静かにして頂戴ね。と付け足され、ファニーシュは素直に頷いた。


(でも、本当に残念だわ。エオル様との挨拶、あの子だって楽しみにしていたのに!)


 パルフェにも、リーヴィにも、ファニーシュはエオルがいかに素晴らしく、優しく、格好良くて素敵な人か語り続けていたので(リーヴィには若干鬱陶しがられたが)、パルフェは本物のエオルに会える今日を心待ちにしていた。


 そう、だからファニーシュはあの日、パルフェを無理矢理部屋から出したのだ。エオルたちディアンヌ公爵家の人間が、わざわざ家に来てくれる機会なんてそう無いし、風邪で寂しい思いをしているパルフェに、ちょっとでも元気を出してもらおうと思って。


「わたくしに出来ることは何か無いかしら! パルフェには元気になって欲しいわ!」


 エオルと恋に落ちるのだけは困るが、今はまだ二人は出会っていないし、恋もしていない。パルフェはただただ可愛い妹でしかないのだ。


 リーヴィはそんな姉を見て肩をすくめる。


「お医者様に診てもらって、薬を飲んだらすぐ元気になりますよ。素人のお姉様は大人しくしてください」

「庭の花を贈ったら喜ぶかしら?」

「話聞いてます?」


 子供らの会話聞いて、父はおかしそうに肩を震わせ、穏やかに微笑んだ。


「ファニーシュ。リーヴィの言う通り、私たち素人がどうこう出来ることではないよ、専門家に任せなさい。それでも何かしてあげたいのなら、まずは勉強から始めないとね」


 そう窘める言葉に、ファニーシュは強く頷いた。確かにそうだ。


***


「ということで、勉強に来たわ!」

「お前、恨んだ過去まですっぽ抜けたのか?」


 朝食後、屋敷の書庫に足を踏み入れたファニーシュを、ラァムは呆れてそう呟いた。

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