Act.8

 北方の地での調査を終え、首都へと移る朝。灰白色の空からは、ちらちらと粉雪が舞っていた。真冬の気配が、すぐそこまで来ている。これから数か月、この国は、寒さに凍える日々が続く。

 マカノから入手した名刺を足掛かりに、兄は慎重に調査を進めていた。

 名刺の人物は、第二機関の末端、北方の地域局の一部署に所属する職員だった。けれど、それは手足のひとつに過ぎない。粛清すべき《標的ターゲット》は、手足の向こうにいる、頭となっている人物だ。名刺を起点に組織の根を辿り、茎を手繰り、兄は、その先の人物を突き止めた。

「……景秀ケイシュウ・アカガネ」

 窓外の雪を眺めながら、兄が《標的ターゲット》の名を呟く。去年まで第二機関の――外務官僚だった男だ。過去に公安も目をつけ、検挙に乗り出したことがあったが、第二機関からの圧力により、捜査は難航。結局、決定的な証拠を掴む前に、アカガネは依願退職し、多額の退職金を手に行方をくらましていた。公安は、その後、それ以上の捜査を打ち切っている。

「第二機関への影響力を維持しながら、機関から離れることで、闇に隠れたわけだ」

 永が眉をひそめ、吐き捨てるように言う。

「公安も公安だよ。捜査を放棄したくせに、こっちに情報を渡さないなんて」

「放棄したからこそ、だよ」

 兄が緩く首を横に振る。

「公安――第四機関にとっては、為すべき正義を為さなかった……口外したくない暗部だろうからね」

 アカガネと公安との件は、アカガネを調べていく中で分かったことだ。アカガネが牛耳る売買ルートにより、第二機関と反政府組織のあいだで金が流れていることを掴んだ。更なる情報を手に入れるため、第四機関の捜査官にも接触を試みたが、彼らの口は重かった。

「そもそも、第四機関は、第九機関に協力なんて、絶対にしたくないだろう」

 公安を司る第四機関が正しく機能していれば、粛清を司る第九機関を発足させる必要はなかった。

「何は無くとも、アカガネの居場所の目星はついた。特定でき次第、粛清の計画を、実行に移すよ」

 カーテンを閉め、兄は窓からきびすを返す。部屋のドアを開けようとしたところで、永の手が、それを上から押さえた。

「永?」

 兄が振り返る。とさり、と鞄が床へと落ちた。兄の体を抱きしめる。

 第四機関がアカガネの捜査を打ち切る少し前、捜査を指揮していた検察官が死亡していた。殺されたのは明白だった。アカガネを追えば、第二機関を敵に回すことになる。兄がアカガネを《標的ターゲット》としているように、アカガネも兄を標的とするだろう。殺すべき対象として。

「……少し痩せたね、兄さん」

「……お前は、たくましくなったな」

「鍛えているからね」

「ふふっ。背は、まだ、俺のほうが高いけれど」

「俺は、まだ、十八だよ。これから、あと少しは、伸びると思う」

「そうか。……まだ、十八なんだな、永は……」

「……兄さんだって、まだ、二十一だろ」

 抱きしめ合って、ささやき合う。

「いつか……〝まだ〟が……〝もう〟になる日が、来るのかな……」

「兄さんと一緒なら、ずっと〝まだ〟だよ」


「〝まだ〟っていうのは、〝生き足りない〟ってことだよ」


 北風が、カタカタと窓を鳴らしている。さらさらと、硝子に雪の掠める音が響く。

 そっと、腕を解いた。ドアを開け、世界に出る。献花の花弁のように雪の舞う、凍てつく冬の世界の中へ。

 寄り添い歩く。指先が触れる。絡め、結び、固く繋ぐ。

 たったひとつの温もりを、奪われてしまわないように。


 兄も、永も、春に生まれた。

 この冬が終われば、兄は二十二に、永は十九になる。


 春になれば、ふたりで、一緒に。


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Coffin The Memory ソラノリル @frosty_wing

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