Act.7-3

 連行された先は、敷地内の倉庫だった。今は使われておらず、照明は切れかけたランプと、建てられた当時から残った燭台だけ。中央には大きなテーブルがあり、由はそれを挟んでクメキと向かい合う形で、そして永はその近くへ、それぞれ拘束されたまま、膝で立たされた。

「そういえば、君たちは、十三年前、私から、身の安全と自由を買っていったね」

 クメキは笑みの形に目を細めた。

「あの時、君たちは非力で無害だった。だから私は、それを君たちに売ったよ」

 でもね、とクメキは続ける。

「力を持ち、害があるなら、話は別だ。私に害をなす者に、私は、何ひとつ、売りはしない。与えはしない。むしろ、徹底的に、奪わせてもらう」

 そう言って、クメキはテーブルの上に両肘をつくと、緩く両手の指を組み、顎を乗せた。

「さて、質問だ。君たちは、何の目的があって、ここへ来た?」

 冷たく研ぎ澄まされた眼光が、由を捉える。由の肩を押さえる男の手に力が込められた。

「目的も何も……招待客として来ただけです」

 表情を変えずに、由は、静かに回答する。クメキは小さく舌打ちした。

「見え透いた嘘はやめたまえ。招待客のリストに、君の名前はなかった。偽名を使って入り込んだ理由があるだろう」

「偽名じゃありませんよ」

「なに?」

「貴方は、俺たちの十三年間を知らない」

 淡々とした口調で、由は言った。瞳は凪いだ湖水のように、クメキの視線の刃を受けとめていた。いささかもらすことなく。

「行く宛てもなく行き倒れかけていた俺たちを、保護してくれた富豪がいたんです。子供がいなくて、跡継ぎを探していて……養子になるときに、名前を変えました。それだけのことです」

 ですから、と由は続ける。口の端に、微かに、不敵な笑みを浮かべて。

「さっきは、こちらも、あの親睦の場の雰囲気を壊したくなくて、貴方にこうして従いましたが……正当な招待客である俺たちに、これ以上、手荒な真似をすれば、貴方の評価に関わるのでは?」

「なんだと?」

 クメキの眉が上がる。途端、由を囲んでいた三人が動いた。一人は由の頭に銃を突きつけ、もう一人は由の腕を掴んでテーブルに押しつける。そして、少し離れた所にいた一人が、燭台を手に近づいた。

「兄さん……っ」

 永の叫ぶ声が響く。

「質問の相手を変えよう」

 クメキが視線を横へと向ける。怒りに体を震わせながら、永はクメキを睨みつけていた。

「君の兄が言っていることは、本当か?」

 答えたまえ。

「君まで本当のことを言わないなら、さて、どうしようかね……君の兄の指を一本ずつ順番に折っていこうか、それとも、背中に燭台の蝋を垂らしてやろうか、あるいは、いっそ、一思いに頭を撃ち抜いてしまおうか」

 顎の下で指を組み替え、クメキは、ゆっくりと、そう言って、笑った。いびつな笑みだった。永の喉が震え、上擦った吐息が漏れる。しかし、それが声を乗せる前に、凛と放たれた言葉が、それを遮った。

「弟に訊いたところで、何の意味もありませんよ」

 由の声が、張り詰めた場の緊張を、ぴんと弾く。

「ほう。意味がない、とは?」

 クメキが視線を由に戻す。天窓から射す月の光がかげり、室内の闇が濃くなった。

「弟の答えが何であろうと、貴方には、それが本当かどうか、今この場で確かめることはできない。俺が言ったことと、弟が言うこと、それが、同じだろうと、異なろうと、貴方は今、何が本当なのか信じられるだけの根拠を持ち合わせていない」

 違いますか、と由は言い放った。引き絞った弓を射るように。

「なるほど?」

 クメキは口の端を引き上げて笑った。

「そういう時は、ひとまず、こちらに都合の良いほうを信じて、裏を取れば良い。調べれば、すぐに分かることだ」

「……そんな時間は、与えない」

 由の声が、すっと低くなる。クメキが瞬きをした。その瞳が、怪訝から警戒に、色を変える、前に――

 天窓が、けたたましい音を立てて砕けた。瞬間、由と永を拘束していた男たちが、次々に血飛沫ちしぶきを上げて倒れる。

「兄さん!」

 永が床を蹴り、飛びつくように由に被さる。そのままテーブルの下へ、由を抱えながら転がり込む。銃弾の雨が降る。

 すぐ脇に倒れた男の一人が、口汚くののしりながら、自身の血にまみれた手を伸ばし、由に銃口を向ける。

「っ……撃たせない!」

 由をかばって身を屈めながら、永は男の腕を掴み、銃を取り上げようとする。男は舌打ちし、身をよじって、もう片方の手でナイフを取り出す。

「永!」

「そのまま伏せていて! 兄さん!」

 左手で相手の銃を、右手でナイフを抑えながら、もつれ合うように拮抗する。大柄な男だ。力だけでは負ける。それなら――

 ふっと、右手の力を抜く。自分の右側へ流すように。バランスを崩した男が瞠目する。しかし、すぐに体勢を変え、永にナイフを振り下ろした。ぎりぎりで避ける。首のすぐ横にナイフが突き立つ。弾みで男が肘をついた。ナイフを持つ手が一瞬、緩む。その隙を永は逃さない。素早くナイフを奪い、体を反転させ、銃を持つ手を脚で押さえる。そのまま息を詰め、永は男の喉を掻き切った。血飛沫が上がり、永の頬が濡れる。構わずに、永はすぐさま周囲に視線を走らせた。

「……まだ、いる」

 絶命した男から銃を取り上げる。由のもとへ戻り、永は、それを構えた。左腕で、伏せさせた由の体に被さって守りながら、右腕は伸ばし、銃を撃つ。

 こちらに向けられる敵意を、殲滅せんめつするまで。

「……いなくなった」

 銃声の嵐が止み、永は、やっと、銃を下ろした。

「兄さん、怪我は……?」

 腕の中の由に、永が目を落とす。

「……大丈夫だ」

 由は永を見上げ、ぎゅっと眉根を寄せた。

「……永は……」

「俺も平気だよ。これ、全部、返り血だから」

 体を起こし、頬に散った血を、永は肩口で無造作に拭った。

「ご無事ですか⁉」

 天窓から、《削除人デリータ》が一人、ひらりと飛び降りる。続いて、扉から、もう一人の《削除人デリータ》も駆け寄った。二人とも女性で、由よりも年上だ。

「肝が冷えましたよ」

「見張っていて正解でした」

 彼女たちが、心底、ほっとしたように笑う。

「ありがとう、ふたりとも……それから、永も」

 立ち上がりながら、由も彼女たちに笑みを返し、傍らの永に視線を向けた。

「永……?」

 由を見つめる、永の瞳が揺れていた。器に満ちた水が、今にも溢れそうに水面を震わせるような、透明な危うさをたたえた揺らぎだった。

「あ……っ、ううん。何でもないよ。無事で良かったって、思って……」

 永は微笑み、視線を逸らした。

 テーブルの向こうから、うめき声が聞こえる。

 クメキの体が転がっている。銃弾を数発、浴びながら、彼は、まだ生きていた。

 一瞥いちべつし、傍に転がる死体から、由は、拘束されたときに奪われた自身の銃を回収する。

「兄さん」

「永は、そこにいて」

 永を留め、由はクメキの傍に立つ。撃たれた腹部を押さえ、苦痛に喘ぎながら、クメキは由を見上げた。

「……君は……何者だ……あの子供が……一体……何者になった……?」

 由を睨みつける目が、そこでふと、何かを思いついたように牙を収める。

「そうだ……手を組まないか……? それが良い……そうしよう……買収でも良い……君たちの組織が何かは知らないが……きっと力になれる……私たちの組織は、何でもしてきたんだ……何でも……それで大きくなった……これからも大きくなる……だから、頼ってくれ……私たちの組織を……買ってくれ…………」

 クメキは笑った。びるように。へつらうように。由は、ただ静かに、それを見下ろした。長いものに巻かれ、大きなものに取り入り、売り込んで、買い取って、力を手にしてきた男を。

「……貴方が、今日、俺たちの前に現れなければ……俺たちに、……俺は、貴方に、でしょう」

 銃を構える。クメキの顔が、恐怖に引きった。

「貴方は俺たちの仕事の害悪になった。害ある限り、俺は貴方に、何も売らない。何も買わない。……

 由の声も、瞳も、硝子のように凪いでいた。クメキの言葉を、鏡のように返して、由はトリガに掛けた指を、静かに引いた。


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