Act.7-2

ワタル・ケイマ様ですね」

 お待ちしておりました、と上質なスーツに身を包んだ初老の受付係が、招待状を確認し、由と永をやしきに通す。北方を統括していた元・貴族の別邸で、廊下には著名な画家の絵が何枚も掛けられ、広間には豪奢な調度品の数々が飾られている。

 亘・ケイマは、此度こたびの任務に際して用意した由の偽名だ。今日、由と永は、南方で慈善事業として孤児院を運営している財閥の御曹司と、その従者という設定になっている。そういった者たちが加盟している組合の親睦会だった。

「お初にお目にかかります、マカノ様」

 頃合いを見計らい、由は広間の奥にいる中年の男に声を掛ける。小太りの体に、上等なスーツ。暖房の効いた室内で、禿げた頭にはうっすらと汗が浮かんでいた。

「新参者かね?」

「はい。亘・ケイマと申します。南方で貿易事業を主として営んでおりましたが、昨年、父が孤児院の運営に参入いたしまして……今年から私が運営を任されることになったのです」

 この度は、ご招待いただき、感謝いたします。なまりのない丁寧な発音に、優美な笑み。マカノの眉が、ふっと、上機嫌に緩んだ。

「そうか。南方から……遠路はるばる、よく出席してくれたね。君のような若者が我々の仲間に入ってくれて、嬉しいよ」

 マカノは、このパーティーを主催する組合の幹部の一人で、渉外を担当している。この男に接触することが、今日の目的だった。北方の人身売買における第二機関の関与――それを調べるために、由は《削除人デリータ》数名と共に、この地へおもむき、暫定拠点アジトを設けていた。

「しかし、なかなか難しいですね、慈善事業というのは……」

 由は、そっと、眉根を寄せる。

「この国の、他児養子の割合は、たったの一パーセントです。が、全く一致していない」

「……ほう?」

 マカノの瞳が細くなる。由は頷くように笑みを浮かべ、声をひそめて続けた。

「主軸は貿易会社なものですから……需要から供給へ、がスムーズに流れずとどこおるというのは、どうにも性に合わなくて……」

 距離を詰め、マカノにささやく。諂媚てんびの色を溶かした声音で、

「そこで、父から、助言を貰ったんです。となった子供のについて、マカノ様……貴方にご相談を、と」

 いかがでしょう、と、由はそこで、すっと身を引いた。にこりと薄い笑みを引き、マカノの返答を待つ。

「……良いだろう」

 マカノは、スーツの胸ポケットに手を入れた。取り出したのは、一枚の名刺。

「この男にコンタクトを取ってみなさい。私から、話は通しておこう」

「ありがとうございます」

 名刺を受け取り、由は微笑む。今度はマカノが一歩、由に距離を詰めた。

「ところで、親睦の証に、今度、一緒に食事でもどうかな? 君ほどの好青年は、なかなか珍しい。久しぶりにを過ごせそうだ」

 にやりと、マカノの口の端に、下卑た笑みが浮かぶ。

「ええ。私でよろしければ、是非」

 さらりと笑って、由はきびすを返した。

「……あいつ、今すぐ撃てたら良いのに」

「永」

 物騒な声で呟く弟を、苦笑まじりにたしなめる。

「まだダメだよ。まだ、ね」

「分かってる。いずれ必ず、だろ」

「ああ」

 互いに前を向いたまま、誰にも聞こえない声でささやき合う。

「良い時間だ。目的も達成したし、長居は無用だね」

 帰ろう、と出口に向かう。周囲に配置していた《削除人デリータ》たちにも、撤収の合図を送った。

「どうして《削除人デリータ》を?」

 会場を出て、門へと続くアプローチを歩きながら、永は尋ねた。この親睦会に、現時点で粛清するべき対象はいない。

「……いるかもしれない、と思ったからだ」

「え……?」

「出方によっては……始末せざるを得なくなるから」

「それって……?」

 主語を伏せた由の言い方に、永が怪訝に眉根を寄せる。

 ふっと、視界に影が落ちたのは、その時だった。

 永が、はっと視線を上げる。油断していたわけではない。警戒の糸は張っていた。だが、相手は巧みにそれを潜り抜け、害意を隠して近づいていた。

「おや?」

 わざと驚いたように、相手は片眉を上げて、由と永を見下ろした。

「懐かしい顔ぶれだね」

 上質なスーツに身を包んだ背の高い男。オールバックに流した明るい金髪。顎に添えた指には金のリング。十三年の歳月を経て、軽薄さから貫禄へと移行した眼光。細められた目尻には、年相応の笑い皺が刻まれている。

 久彌ヒサヤ・クメキ――十三年前、北のスラムで相対した男。

「はて、おかしいな……今日の出席者のリストに、君の名前はなかったというのに……なぁ? 由・クロセ」

 クメキが周囲に目配せをする。彼の配下が数人、素早く由と永を取り囲んだ。

「随分と広い領地テリトリですね」

 いくら同じ北方とはいえ、あの街と、ここでは、かなりの距離があるのに。

「おかげさまでね。こうして、の警備も任されるほどになっている。特に、には定評があってね」

 コツ、と硬い靴音が、由に一歩、距離を詰める。

「ここで荒事を展開するのは無粋が過ぎる。せっかくの再会だ。まずは話をしようじゃないか」

 クメキがきびすを返す。取り囲んでいた数人が肉薄し、続いて歩くよう、背中に銃口を押しつけた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る