Act.7-1

 盛夏を過ぎると、季節は途端に冬へと駆け下りていく。秋風を惜しむ間もなく、街にはこがらしが吹き始めていた。

 弟は、由を抱きしめて泣いた夏の夜以降、由に触れることはなかった。躊躇ためらいのかせを、まだ完全には外せずにいるのだろう。自分を見つめる弟の瞳が、時折、苦しそうに揺れるのを知っている。けれど、由はまた、何も言えずに、気付かないふりをしてしまう。《調整人コーディネータ》としてならいくらでも弁舌を振るえるのに、弟にはどうして、こんなにも自分の唇は役立たずになるのだろう。


――俺は、お前が思うような、綺麗な人間じゃないよ、永。


 言えずに、伝えられずに、《調整人コーディネータ》と《護衛人ボディガード》の関係のまま、由と永は淡々と任務をこなしていた。



 くだんの女性の告発と、それを受けたメディアの世論操作により、公安は議員の逮捕に重い腰を上げざるを得なくなっていた。この数か月で、既に数名の議員が議会を去っている。

「それにしても……なぜ、君はそんなに回りくどい方策を取ったのだ?」

 《調整人コーディネータ》の定例会議で、由は別の《調整人コーディネータ》から指摘を受けた。女性が手にした文書の存在を、由は彼女よりも先に把握していて、その気になれば入手も可能な状態だった。しかし、由は、あえて女性に入手させた上で、それを保護し、告発を助ける計画にした。

「文書に載っている議員を、片端から〝粛清〟してしまえば早いのに」

 君がそれを思いつかないはずはなかっただろう。そう言って片眉をひそめた《調整人コーディネータ》に、由は答えた。

「断罪されるべき人間が、〝おもて〟で正しく裁かれることが、この国、本来の、在るべき形でしょう。俺たちが手を下すのは、その人間が、不当に罰を逃れたときです」

 正しく罪を償い得る人間の命まで奪う必要はない。

「もちろん、公安の網をくぐり、《標的ターゲット》となった者たちへの粛清については、先程、報告した通りです」

 罪を償って生きるか、罪をまぬがれて死ぬか。その運命を問い、後者に容赦はしない。それが由の遣り方だった。一度は権力を行使し告発を逃れた議員の中には、周囲に粛清が進むにつれて、公安に保護を求める形で自首をした者もいた。



 ひとつの任務が終わっても、またすぐ次の指令が下る。《運搬人ポータ》の車内で、《伝達人メッセンジャ》からの報告書に目を通していた由は、ぱさりとそれを閉じ、小さく溜息を吐いた。

「大きな案件?」

 永が尋ねる。由は書類を封筒に戻し、あぁ、と小さく頷いた。

「北方の人身売買に、第二機関が関わっている疑いがある」

「第二機関って……」

 外交を司る、この国の機関だ。

「この国が、この国の人間を、他の国に売り飛ばしているってこと……?」

 永は愕然として、目を見開く。その眉根が、険しく寄った。

「……どうしてなのかな」

「永?」

「どうして、この国の人たちは、持てる力を、悪いことばかりに使うんだろう」

 腐敗した権力を持つ者は弱者から金や命を奪おうとし、怒れる武力を持つ者はクーデターを起こして国を奪おうとする。そして、そのどちらも、第九機関は粛清していく。終わらない奪い合いの狭間で、終わらない殺し合いを繰り返している。

「……与えない国に、未来はない」

 由は呟いた。

「奪うのは、飢えているからだ。飢えているのは、満たされていないからだ。満たされていないのは、与えることを知らないからだ」

 静かに続く由の言葉に、永が、落としていた視線を上げ、由の横顔を見つめた。

「それって……俺たち第九機関にも、未来はないってこと……?」

「今のままではね」

 由は小さく頷いた。

「悪の芽を摘むだけでは、恐怖による支配が広がるだけだ。そんな国は、誰も信じないし、愛することもない。いつか、俺たちの組織が……あるいは、新たな組織が発足して、善の芽を育めるようにならないと」

 今は難しくても、いつかは。

「……与えることを知る……」

 由の言葉を咀嚼するように、永は、ゆっくりと瞬きをした。この国の歴史のことを思う。占領、革命、独立……奪われ、奪った、その果ての国。未だ分配されることのない不均衡な力に揺れる、不安定な国。傾いた力の天秤が、腐敗を生み、反乱を生み、第九機関を生んだ。〝粛清〟という、全ての力を奪う組織を。

「兄さんは、本当に……《調整人コーディネータ》なんだな……」

 呟いた永に、由は微かに苦笑を浮かべた。

「今は、まだ、下される指令をこなすだけで精一杯だけど……」

「〝まだ〟ってことは、〝いつか〟があるってことだろ?」

 永が、明るい熱を持ったまなざしで、由を見つめる。

「兄さんは、この国を変えようと考えている。この国の未来を創ろうとしている。そうだろ?」

「そんな立派なものじゃ――」

「俺、尚更なおさら、兄さんを守らないとな」

 無邪気に微笑む永に、由は言葉を切り、小さく笑みを返した。

 立派なものじゃない。

 永が思っているような、崇高な大志じゃない。

 至極、独り善がりな、夢想だ。

 この国を変えることができたら、第九機関は役目を終える。

 第九機関がなくなれば、《調整人コーディネータ》も《護衛人ボディガード》もなくなる。

 定められた《キャスト》から解放され、自分たちは、ただの人間になる。

 ただの兄と弟に、戻ることができる。


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