Act.2-1

 相手の放った銃弾が、こちらが身を隠す壁の縁をえぐる。廊下には、撃ち殺された仲間と《標的ターゲット》たちの死体が、入り乱れて転がっている。

「この部屋で最後なんだけどなぁ……」

 永の隣で弾倉を交換しながら、チームメイトの少女が舌打ちする。十四歳くらいだろうか。ブロンドの髪をベリーショートに整えた、永より年上の少女だ。

「残っているのは、私と君だけになっちゃった」

 とんだ実地訓練ね、と少女は小さく嘆息する。足もとに、教官だった初老の男が倒れている。チームメイトのひとりを庇った隙を突かれて、撃たれて死んだ。そのチームメイトも、数分後には死体になったけれど。

 決して難しい任務ではなかった。クーデターを企てている反社会的勢力の一翼を担う小さな事務所をひとつ潰すこと。似たような任務はこれまでに何度もこなしてきたし、だからこそ、教官一人と訓練生五人で十分と判断された。しかし、想定外の事態は、どんな任務にも付きものだ。あるいは、相手の戦力を低く見積もっていたのかもしれない。何にしても、災いした結果が、これだ。

「どうする? 一旦、退こうか……任務は失敗になっちゃうけど」

 少女が永に尋ねる。歳は少女のほうが上だが、養成所スクールの在籍年数は、永のほうが長い。

「……あそこから、あいつらの背後に回れるかもしれない」

 永はちらりと廊下の天井を視線で示した。通気口が開いている。任務の前に確認した図面と照合すると、あの通気口は、部屋の中央に通じているはずだ。

「ただ、そのためには、あいつらをなるべく前に……こちら側に、誘導してもらわないといけないけど」

 気づかれたら撃たれる。身動きの取りにくい天井裏だ。狙われたら避けられない。

「分かったわ」

 少女が頷く。

「私が奴らの気を引く。ふたりで任務を成功させて帰りましょう」

 瞳を交わして、永は静かに立ち上がった。少女の肩を借りて、彼らに悟られないように、そっと天井裏に入る。

 まもなく、銃声が聞こえた。少女が早速、相手を引きつけてくれている。極力、音を立てないように気を配りながら、永は天井裏を進んだ。

 当たりだ。通気口から、彼らの背中が見えた。三人……確認した人数とも合う。上手く回り込むことができた。後は挟撃するだけ。

 右手と左手、それぞれに銃を構え、軸足に力を込める。息を詰め、永は通気口の蓋を破った。着地するより早く、トリガを引く。彼らが振り返る前に。

 二人の男が、血飛沫を上げて倒れた。その一瞬後には、最後の一人もくずおれれる。

 部屋の中は、水を打ったように静まり返った。永は小さく息を吐き、銃を片方、しまう。

「すごいじゃない! 君、二丁拳銃なんてできたの⁉」

 少女が死体を飛び越え、駆け寄ってくる。

「私なんて、利き手と逆の手で撃つのも難しいのに」

「……実戦で試したのは、初めてだった」

 永は短く、静かに答えた。

 ずっと練習していた。まずは片手で撃てるように。それができるようになったら、次は利き手と逆の手でも撃てるように。そして、今のように、左右の手に一丁ずつ構えて撃てるように。筋力が追いつくまでは難しかったが、必死で鍛えたのもあり、体が成長するにつれて安定して撃てるようになっていった。ただ、連続して使うと、腕に負荷が掛かりすぎて、痛みが走ることがある。まだ、子供の体だ。

「何は無くとも任務は終了ね。車に戻りましょう」

 及第点くらいは貰えるかなぁと、少女は苦笑しながら教官の死体に目を落とした。

 撤収し、車が走り出してもしばらくは気を抜かず、いつでも撃てるように構えていたが、《標的ターゲット》の増援が現れることはなかった。教官とチームメイトの死体は、後に控えている《掃除人クリーナ》が処理する手筈になっている。

 来たときはまだ茜の滲んでいた空は、早くも藍に覆われ、点々と星々の銀が瞬き始めている。夏の星座だ。

「今日の夕ご飯は何だったかな」

 時計を確認して、少女は鼻歌でも歌いそうな口調で呟いた。

 チームメイトを喪うのは、珍しいことではない。個別に親しかった場合は別だが、偶々その日に同じチームになっただけの相手の死に引きずられる子供は、ここにはいなかった。養成所スクールでも、月末に、その月に死亡した子供を合算して追悼式が行われるけれど、悲しみの空気に包まれることはない。殺すことも、殺されることも、すぐ傍にある日常として受け容れている。そのうえで何を想うかは別だが、少なくとも表面上は、誰も足を止めることなく、日々は淡々と進んでいく。進められる。そういう子供が集められているのだ。郊外にたたずむ、高い塀に囲まれた広大な施設。大人は孤児院ハウスと呼び、子供は養成所スクールと呼ぶ、そこに、永は七年前、兄と一緒に連れて来られた。《勧誘人スカウトマン》のテストに合格して。

 ここに集められた子供が全員、同じテストを受けてきたのかは知らない。ただ、人を殺せることが、ここにいるための最低条件ではあっただろう。午前中は普通の学校と同じような勉強、午後からは訓練。玩具は、弾の入っていない銃と、ダミーナイフ。食事は豊富で、衣服は新品、ベッドは柔らかく、毛布は厚かった。病気になれば往診があり、当然のように薬が与えられ、適切な治療を受けられた。

「私、《削除人デリータ》の素質、あるかなぁ」

 後部座席に深くもたれ、少女が呟く。そもそも機関に入れるかも怪しいけど、と肩をすくめながら。

「来年、卒業だから、私」

 十五歳になると、子供たちは養成所を卒業する。軍に配属される子供もいるが、優秀と認められた子供は、この施設を運営する機関へ推薦される。そこでは《キャスト》と呼ばれる様々な職種があり、それぞれの適性によって振り分けられている。主に政府にとって不都合な対象の暗殺や裏工作を担う《削除人デリータ》、有望な人材を見出す《勧誘人スカウトマン》、そして、どんなヒトでもモノでも何でも運ぶ、今この車を運転している《運搬人ポータ》……いずれも組織に割り当てられた《キャスト》のひとつだ。他にも数々の《キャスト》が存在し、それぞれに専門性を発揮して、組織に――国に、貢献している。

〝第九機関〟――それが、彼らを抱える組織の呼び名だ。

 この国の中枢は、八つの機関から成り立っている。法務を司る第一機関、外交を司る第二機関、財務を司る第三機関、そして、公安を司る第四機関というように。そして近年、秘密裏に発足したのが、おおやけには存在しない九番目の組織。〝粛清〟を司る第九機関だ。あらゆる違法行為――殺人さえも、第九機関が〝執行〟すれば、それは〝超法規的措置〟の扱いになる。

「そういえば、君のお兄さん、《調整人コーディネータ》の補佐に推薦が決まっているんだって?」

 少女が身を乗り出して、興奮気味に言った。

 《キャスト》の中でも、指揮官の役割を担う《調整人コーディネータ》は、最も希少で、最上の位置付けになっている。

「補佐って、つまりは候補生ってことよね。普通は《削除人デリータ》とか、他の《キャスト》を経験してから抜擢されるものなのに、最初から《調整人コーディネータ》の候補に選ばれるなんて……優秀なのは知っていたけど、そこまで適性を見出されているなんて……」

 羨ましい、と少女は苦笑した。永は無言で聞いていた。

 兄とはクラスも離れていたし、実地訓練で同じチームになったこともなかった。夜は同じ部屋で過ごしているけれど、お互いに、任務の話をすることもない。だが、兄のうわさは、自然と永の耳に届いていた。

 兄がリーダーを務めた実地訓練は、毎回、一人も死者を出すことなく、成功している。永はまだ任務の指揮を執ったことはないけれど、それがどれだけ難しいことなのかは分かる。加えて、兄の穏やかで優しい物腰は、周囲の信頼を更に厚くした。永が遠くから見た兄は、いつも静かに子供たちの輪の中心にいた。

 養成所に着き、車から降りる。陽はとっぷりと暮れていて、寮の明かりも多くが消えていた。

「君、なんだか顔色、悪くない?」

 任務の報告を終え、廊下を歩きながら、少女が永の顔を覗き込む。

「車の中は暗かったから分からなかったけど……大丈夫? 医務室、行く?」

「……平気だよ。少し疲れただけ」

 あぁ、でも……と、永は足を止めた。食堂と寮へ行き先を分ける角の手前で。

「俺の分の夕食は、いらないって伝えてあるんだ。今日は、もうこのまま眠るから」

「えっ、そうなの……一緒に食べようと思ったのに」

「ごめん」

「ううん……お互い、今日は、生き残れて良かったね」

 おやすみ、と少女は、はにかんだ笑みを浮かべてきびすを返した。

 夕食の時間は決まっているけれど、今日のように、実地訓練で遅くなった子供の分は、取り分けておいてもらえる。だが、任務の後に、永が食事を口にできた日は、これまでに一度もなく、あらかじめ抜いておいてもらっている。

 シャワールームに続く廊下を歩いていく。歩調は段々速くなり、やがて駆け足になった。明かりも点けずに、無人のシャワールームに飛び込む。カランを最大まで回して、膝をつく。

「……う……ぇ……っ」

 胃の中は空だ。吐き出せるものなんてない。それでも嘔吐えずきは止まなくて、永は咳き込んだ。

 人を殺した日は、いつもこうなる。こうなってしまう。どうして……。

 兄が初めて人を撃ったのは八歳だった。なのに、自分は……もう十二歳なのに、なんだ、この体たらくは……。

 もっと、ちゃんと、撃てるようにならなきゃ。

 殺せるようにならなきゃ。

 兄の隣に立てるように。

 兄を守れるように。

 もっと。

 強く。

「……兄さん……」

 シャワーの雨の中、永は固くこぶしを握る。

 戦慄わななく手を、力づくで黙らせて。


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