第40話 エリシアと三人
それは創が誕生する一年前のこと。
当時パンゲアとして生活していたエリシアは、何度もバイオロイドの制作に着手する夢のそばにいた。
パンゲアは同種族間でのみ交流が可能な、電波による固有のコミュニケーション領域を持っている。
しかし、研究のためエリシアだけがラボに残され、パンゲア同士のコミュニケーションは閉ざされていた。
そんな時に現れたラボの風景は、今まで水中で暮らし続けたエリシアにとって非常に新鮮な場所として彼女の僅かな自我に定着する。
声を聞き、肌に触れ、薬品の匂いを感じ、餌を味わい、彼女を見つめてきた。
そんなある日、誤って別の水槽を割ってしまった夢は、腕に出血を伴う切り傷を負った。
いくつかの血液が、同時進行で取り出した水槽のエリシアに付着していた。
手当を行う為に、暫く夢がラボから離れることとなったとき、エリシアに異変が生じた。
全身が熱く沸騰するような感覚に突如襲われ、呼吸困難に陥る。
気づけば蓋のない水槽から一気に跳び上がり、地面に落ちてしまった。
すると自らでも不思議なことに呼吸が落ち着き、熱く火照った身体がゆっくりと冷えていった。
「これは――」
うつ伏せに倒れたエリシアはふと起き上がって目を見やると、そこには見覚えのある両手や胸、お腹、脚など自らを観察していた夢に近い存在に姿が変わってしまった。
近くの洗面台にある鏡で顔を見れば、それは紛れもなくエリシアを研究していた女性の顔であった。
驚くことに、夢の持つ身体の情報に加え、彼女のもつ記憶が一斉に吸収されたようで、目の前に見える道具や水槽の用途など、それらの知識まで一気に収得することができた。
同時に元のパンゲアの姿へ自由に切り替えが可能で、夢が姿を見せたときはすぐにパンゲアに戻り、水槽で生活するという日々を送るようになった。
その後エリシアの変化した細胞を元に制作することで、創というバイオロイドが誕生する条件を満たしていたのだ。
時には夜遅くまで研究にあたる夢に、こっそりブランケットをかけて水槽に戻るというスリリングな行動まで成し遂げている。
創が誕生した際には、一日を終えて眠る創にゆっくりと近づき、頭を優しくなでて微笑んだ。
「ふふふっ。とても綺麗な顔です」
エリシアの存在が知れ渡れば、世間では大きな混乱が生じることを予期し、正体を明かすことは決して行わなかった。
そんな不思議で幸せな時間を過ごしたあるとき。
創がクロロの力を引き出して暴走し、何者かがパンゲア同士のコミュニケーション領域に侵入したのだ。
人間として、バイオロイドとして、初めて出現したのが、クロロを開放した創であった。
エリシアはあの時のやりとりを行いつつも、創の意識に干渉し、暴走時の痛みを和らげるために数多のβエンドルフィンを放出させていた。
黒いワープゲートは、対象者の意識を戻すための出入口としてエリシアが発現したものだったのだ。
クロロの覚醒と暴走は、症状が異なっているがエリシアが発熱した時に見られる防衛本能の一種ではないかと、夢のデータベースを元に推測した。
そのため、クロロはウイルスから身を守るための免疫生成に近い動作であり、その後もクロロの副作用で向上した能力が付属したままになるのだ。
海に放流され、創と一度通信を遮断したエリシアは、夢たちが移動した目的地を予測し、先回りして日本の太平洋沖まで移動していた。
人間の姿になったまま移動するうちに細かな無数のエラが発達し、際限なく海中を移動し、夢たちのいる日本の首都圏の湾まで到着した。
再びコミュニケーションの領域内に入ったところで、長い年月は創とともに通信を繰り返しながら過ごした。
しかし、その通信が正常につながらない事態が何度か発生する。
助けを求める、創の近くにいる存在。
ある日受信した電波の中に、少女の姿をしたヒトが時折エリシアの創り出した空間に投影された。
制服を着た少女は人知れず、路地裏で涙を流していた。
パンゲアの周波数というよりも、バイオロイドである創の周波数に限りなく近い。
この少女が発信する危険信号のような、鋭く尖った情報。
それはクロロを暴走させた創に似た類のものだ。
本来エリシアの空間に適合するためには、パンゲア又はそれによって造られた創のみが対象とされていた。
この少女は偶然にも、創の持つ電波に近い帯域で、まるでこちらに救難信号を送っているようだった。
更に突如として大量のパンゲアの電波がエリシアに降り注ぐ。
傍受された信号は、意思を持たない、人の姿をした何かがひしめき合っている映像に移り変わった。
更に茶色い髪を持つ謎の青年が、この人型を統率し、同様にパンゲアの持つ固有の電波を保持していた。
映像を中継し続けると、コンピュータの画面には見たことのある人物が頻繁に表示される。
芦川夢――その人だった。
ほぼ同時に発生した二つの映像。
助けを求める者と、何かを企む者。
夢の情報が大きく流出すれば、エリシア自身も狙われる身になる事は、大いにあり得ることだった。
そして創と同等の周波数を放つ特異的な少女の出現は、エリシアにとって予想外の出来事であった。
今後を考えるなら、身動きが出るうちに創との連絡を断ち、エリシア自身も身を隠す必要が出てくる。
ただ、それではSOSを発する少女を助けることは放棄せねばならない。
あらゆる可能性を秘めていると考えられるヒトのなかで、この空間へ向けられた信号を彼女は無視することができなかった。
時間が迫る中、エリシアは一つの決断をする。
創に外界の少女を託し、彼女はひっそりと海の底へ消えるという選択を取った。
不安も少なからずあったが、彼の持つ可能性に賭け、彼女を導いてくれると信じていたからだ。
創に託したその少女こそ、新島彩理だったのだ。
しばらくの時間が経過した頃、エリシアの空間に登場したのは、クロロの暴走の最中にいる彩理の意識だった。
またしても、エリシアにとって予想の範疇には無かった、驚きであった。
適合した周波数を持つ彩理が、創に次ぐ新たなクロロの保持者となっていたのだ。
空間に映像に映し出された、アンプルを入れる細長い容器とクロロの覚醒。
銃撃を受けながら倒れた直後に、中身は彼女の口の中へ消えていた。
それは重傷を負った彩理による一か八かの手段だった。
しかし、その行動はクロロを発動させる条件が揃っていたことでもあった。
それは致命傷であること、エリシアの細胞を取り込んでいること、誰かを守ろうとする意志を持っていること。
彼女が条件を全て知っていたのかは解らない。
だが、夢やエリシアに危険が迫る環境に躍り出た彩理は、瑞々しい力で満ちあふれた心強い存在として変わっていたのだ。
ワープゲートを開き、同時に彩理の脳へ大量のエンドルフィンを放出させる。
彩理が空間へ飛び込み、ゲートを閉じた翌日、肉体としてのエリシアが捕獲されてしまった。
ヒトの姿を模したまま、網に捕まってしまったのだ。
なんとか脱出しようと網目に指を絡ませて引きちぎろうとするが、うまく力が入らない。
そのまま捕まった網に引き上げられるなか、神経を鋭く刺すような刺激が全身を伝う。
意識が途絶える直前、高圧電流により肉体の力をすべて奪われてしまった。
次に目が覚めた時には、ガラス張りの鳥籠によって閉ざされてしまった。
相手方が神経を引き続き麻痺させているためか、身体の自由を制御されてしまっている。
水槽の先で見えるものは、企むように笑う白衣の男。
このまま標本のように定められた水中に固定される存在になれば、過ぎた悪戯が加速してしまう。
意識を張り巡らせたところ、幸いにも彩理も創も領域内にいることが解った。
男が水槽から離れたことを確認し、彩理と創へ同時につながる。
これは、いままでエリシアと関わった夢、創、彩理――そして自身を救うための、希望の糸を紡いだ通信だった。
しかし、男も通信を傍受できたのか、電流を流され、再び意識を塞がれてしまう。
エリシアは、夢とクロロを持つ二人を信じ、長い眠りについた。
そして再び覚めた時には、彼女の思い描く3人が瞳の中に映し出されていたのだ。
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