第41話 始まりの別れ

「今まで秘密にしていたのは、直接ユメへお礼を伝えたかったのです。貴女がこの切掛けを作らなければ、ソウやアヤリともこうして出会うことは、決して有り得ませんでした」


 倉庫で今までの過去を語るエリシアの視界には、涙で溢れた夢がいた。


 過去の非を詫びるように、ゆっくりとエリシアへ伝える。


「ごめんなさい。今までずっと、あなたに辛い思いをさせてしまったなんて……」


 パンゲアというくくりの中にいたエリシアに、気づいて上げられなかったことを悔いていた。


 こんなことが無かったら、こんな大事に発展することも無かったはずなのだ。


 自らを責めるように泣く夢に、エリシアは細い腕で彼女を精一杯抱きしめる。


 エリシアの体温は高く、服を着ている状態でもその温もりが全身へ浸透してゆく。


 夢の頭を撫でながら、エリシアは優しく口を開く。


「悲しまないでください。むしろユメには、感謝でいっぱいです。私に新たな世界を見せてくれたのは、紛れもなく貴女ですから」


「エリシア……」


「見てください。今の貴女には心強いお二人もいます。この出来事は決して悪いことばかりでは無かったのですよ?」


 抱擁を終えた二人の前には、夢が造った青年と、研究を継承する少女が、笑顔でこちらへ目を向けていた。


 失ったものも大きいが、それだけ得たものも大きかった。


 夢は泣くことを止め、改めて二人を見つめる。


「謝るのも悪いことじゃないけどさ、皆で、笑って終わろうよ」


 創は清々しい表情で満ち溢れていた。


「わたしは、創や先生と出会って、こうしてエリシアさんが目の前にいること、それ自体がとても嬉しいです。今までの辛い毎日が、嘘みたいに楽しくって、仕方がないです」


 照れを見せながらも、彩理は、出会った人たちとの感動を共有していた。


「うふふっ。そうですものね。アヤリはソウのことを愛おしく想っているようですし」


 あまりにも唐突に、エリシアは彩理の本質を見抜いていた。


「なっ! なんでっ!?」


 彩理に“動揺しない”という選択肢は無かった。


「お見通しなのはソウの心だけではありませんよ?」


 顔を真っ赤にしながらたじろぐ彩理は両手で顔を隠しながら俯く。


「うううぅ……」


いかにも鈍感な創は、今更な新事実をエリシアに問いかけた。


「つまり、エリシアの見つけた彩理ちゃんは、俺にとっての“運命の人”だってこと?」


「ということかもしれませんね。妙に波長が合っていたのはそれだけ近しい存在だということです」


 エリシアが発見した要因は、まさかの“赤い糸”がつながったという事象だった。


「認めなさい、新島さん。あなたが“創に一目惚れした”ことを」


「は、はい――」


 彩理にとっては、ドドメどころかオーバーキルな夢の一言に敗北する。


   *


 倉庫の奥にある別の出口に向かい、海の近くまでやってきた。


 コンクリートの足場と水面の差は1メートルほど離れていた。


 外はまだ暗く、弱く流れる潮風もまた冷たい。


 エリシアは3人と出会って間もなく、別れの時間がやってきた。


 外ではジルの呼び出した緊急車両のサイレンが近づき始めている。


「もう行ってしまうの?」


 別れが寂しい夢は、控えめな笑顔になる。


「はい。これからは自由に海を泳いで、駆け巡ろうと思います」


「俺たちの家なら、安全に暮らせるんだけどな」


 創も生活環境を充実させると説明したが、エリシアの意思は変わらなかった。


「やはり私は水槽よりも、広大な海の中にいる方が性に合うようです」


 エリシアの背後にある水面では、ワープゲートに似た黒い大渦が作られ始めた。


 ここから飛び込み、各地の海を目指すようだ。


「元気でね。身体には気を付けるのよ?」


「ええ。ユメも研究で根を詰めすぎないようにしてくださいね」


 会話を交わし抱きしめる姿は、見た目も相まって姉妹のようだった。


「今までありがとう。エリシア」


「ソウ。これまでの時間を共に過ごせて、とても楽しかったです」


 長い時間を過ごした創とエリシアは握手をし、夢と同様に抱き合った。


「わたしを見つけてくれて、ありがとうございました」


「アヤリは、私とユメ、そしてソウを結びつけてくれた、一番の功労者です。本当にありがとうございます」


 彩理も握手と抱擁を交わす。


 温かい身体と戦いの疲れで睡魔に襲われそうだった。


「また、会えますか?」


「きっと、どこかで会えると思います」


 3人との挨拶を終えたエリシアは、彼らから数歩下がり、彼女が見せることの出来る、とびきりの笑顔を向けた。


「ユメ、ソウ、アヤリ、どうかお元気で」


 背を向けたエリシアが、ワープゲートへ飛び込む。


 大渦が彼女を吸い込み、完全に彩理たちの視界から消え去ったあとは、いつもと変わらない、寄せて返す波が、日常を示していた。


「さぁて、警察の皆さんとお話して帰るわよ」


 号泣してリフレッシュしたのか、やたら元気な状態で工場へ戻る夢だった。


 徐々に距離が離れてゆく活発な夢を、二人は立ちすくんで見るだけだった。


 彩理の隣に立つ創の左手が、不意に彼女の右手を握る。


「どうしたの?」


 いきなりの行動に驚く彩理へ、創は柔らかな笑顔で告白する。


「俺も、彩理ちゃんが大好きだよ」


 虚を突かれた彩理が顔を赤くしてパニックになる。


「えっ、えええっ!? そそそれってまさか――」


愛の告白かと言いかけたときには、しゃべることができなかった。


 大きく口を開いた瞬間に、創の唇が彩理の唇へ覆いかぶさってきたのだ。


 身長差があるため、創は倒れないようにと抱き寄せていた。


 手をつないだまま通う体温と指先の鼓動が、密着する。


 同時に口の中にあった温度すら、創が残らず吸い取っていく感覚が絶えず続く。


 彩理の身体から創が離れると、かろうじて両足は立ったままだが、不自然なほどに瞳はあさっての方向を向き、呼吸が止まった分だけ、心拍数が早くなり、両頬は赤くなったままだった。


「恋人になったら、こういうことするんだよね?」


 この言葉が聞こえていることすら彼女には怪しい。


 無反応な彩理に目の前で手を振る創だが、一向に反応はなかった。


 予想を大きく越えた恋の進展に、完全に意識が持って行かれてしまったのだ。


「彩理ちゃん? おーい! 彩理ちゃーん!」


 必死で呼びかける創と、放心状態の彩理をよそに、待ちかねた夢が呼びかける。


「二人ともー!早く来なさーい!」


 夜明けを告げるように、空が白み始めていた。

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