第48話

 彼女が自身のことをここまで話してくれたのは、初めてだ。

 出会って、もうすぐ一ヶ月。

 ようやく彼女という人間がどんな生き方をしてきたのかを、知ることができた。

 どうしても埋められなかった距離が、これで少しは縮んだ気がする。

 それを嬉しく思っている自分が、確かにいた。

 けど、比例して大きくなったのは不安だった。

 彼女の言葉もそうだし、声も、表情も。

 その全てがどこか儚く思えてしまう。

 これじゃあまるで、遺言みたいだ。

 どうして話してくれる気になったのか。

 なぜ、今なのか。

 考えれば考えるほど、怖くなる。

 距離が縮んだはずなのに、手が届かなくなりそうで。

「最近、よく出かけてるけど……やる気が出た、みたいな感じか」

 悪い予感を腹の奥に押し込み、出しやすい言葉を口にする。

 もちろん、それも訊きたいことではあった。

 俺と会ってからしばらくは、戦っている様子はなかった。

 なのに最近は頻繁に外出して、ボロボロになって帰ってくる。

 そこにはなにか理由があるはずだ。

「言い方としてどうかと思う部分はありますけど、そうですね。そういう部分も、なくはないです」

「他にもなんか、ありそうだな」

 俺の言葉に彼女は頷き、なにか言いにくそうな顔で続ける。

「少し前はその、一時的に力が弱まっていたので。ある程度回復するまで待っていたんです」

「……もしかして、俺の治療のせいか?」

「治療のせい、という言い方は不適切ですけど、まぁ」

 彼女が言いにくそうにしていた理由がそれなら、納得できる。

 ちょっと考えればわかりそうなものだ。

 死んだ人間を生き返らせ、肉体を修復する。

 彼女にどれほど特別な力があろうと、簡単にできるわけがない。

「なら、ラッキーだったのか。その間に戦う必要がなくて」

「そうですね。あのときは向こうにもかなりのダメージは与えたので、回復に努めていたんだと思います」

 その戦いを思い出したのか、彼女は僅かに目を伏せた。

 けどすぐになんでもなかったように顔を上げる。

 彼女の瞳に宿るのは、痛みでも哀しみでもない。

 やり遂げるという強い意思だ。

「お互い、十分回復はできたのでまた、という感じです」

「じゃあ、また戦い続ける日々に戻るのか」

 どこかで否定して欲しいと思いながら、確かめる。

「いえ、もう終わります」

 だから彼女がそう言ったとき、弾かれたように顔を上げた。

「終わる?」

 聞き間違いじゃないのかと、彼女の顔を見る。

「はい、終わります。もう、終わらせます」

 一瞬でもそこに希望を抱いた俺は、たぶんバカだ。

 彼女がもう戦わずに済む、などと一瞬でも期待するなんて。

 そんなこと、あるわけがない。

「終わらせるって言うのは、つまり……」

「ちゃんと決着をつけます……次で」

 決意表明でもするように、彼女は拳を握ってみせる。

 どこかおどけた仕草だが、そこに宿る意志は本物だ。

「いろいろ無茶はしましたけど、やっとその目途が立ったので。ここで一気に終わらせます。いわゆる、そうですね。最終決戦ってやつです」

「……なるほど。それは、わかりやすいな」

「はい。だから次は……決着がつくまで、戻ってはきません」

 まるでその言葉を区切りとするように、彼女は立ち上がる。

 そして一歩前に出て、振り返った。

「というわけで、今から行ってきます」

「え、今からって……ちょ、ちょっと待て。いきなりすぎるだろ」

 さすがに冗談かと思ったが、ここでそんな冗談を言うわけがない。

 なにより彼女から、とてつもない決意の塊みたいな気配を感じる。

「こっちの都合なんて考えてはくれませんし。だからもう、行かなきゃ」

「ま、待て!」

 咄嗟に立ち上がって彼女を引き留める。

 そうしなければ、一瞬でいなくなってしまいそうな気がした。

 だから引き留めてどうするかなんて、考えていなかった。

「えっと、なんでしょう?」

 彼女も引き留められるとは考えていなかったらしく、戸惑いを見せる。

 行くな、とは言えない。

 言えるわけが、ない。

 だから……だから俺に言えるのは。

「どう、するんだ? その、終わったら」

 彼女が無事戦いを終えると信じて、その先を訊くことくらい。

「……わかりません。考えたこと、なかったので」

 ある意味では予想通りの答えだった。

 なにもかもを失った彼女にとっては、戦うことが全て。

 それが終わったあとのことなんて、考える余裕はなかったのだろう。

 でも、そんな彼女にこそ、必要なんじゃないかと思う。

 終わったあとで、どうするのかという意識が。

「なら、帰ってくるといい」

「……それって、あの」

「必要だろ? 平和になったあとで、その……新しい生活を始めるときに、ちょっとひと休みしながら考えられる宿、みたいなものがさ」

 今はなにも考えられなくてもいい。

 だけどせめて終わったあと、迷わず戻れる場所があれば。

 やり遂げたそのあとに立ち止まらず、すぐに帰るべき場所を定めておくことができれば、きっと違ってくる。

 最初からそうだ。

 俺が彼女にしてやれるのは、寝床の提供くらい。

「どうして、そんなこと……」

「いや、まぁ……正義の味方の正体を知ってる一人の人間として、平和のお礼、みたいな感じで、さ」

 俺程度の人間にそんな資格があるかは、正直わからない。

 自分が彼女の助けになれるほどの人間だ、なんて自信は全然ない。

 彼女に対してだけじゃない。

 自信なんてものがあったのは、何年も前の、入社してしばらくの間だけだった。

 あの頃はまだ率先して動くこともできたし、自分はなにかを成し遂げられると思っていた。

 そんな俺だったから、咲奈も魅力を感じてくれていたのだと思う。

 でも、次第に自信を失っていった。

 自分より優秀な同期、失敗する仕事。

 次で取り返せばいいなんて思えていたのは、いつ頃までだったか。

 気が付けば目標らしい目標もみつけられなくなって、当たり前のようにあった情熱も枯れ果てていた。

 そして挙句の果てに、大切な人を傷つけた。

 好きな人を、泣かせてしまった。

 そんな、自分自身ですら肯定できない俺に、なにができる?

 疲れ切ってボロボロになっても戦い続ける彼女に。

 第三者の視点で考えるまでもなく、できることなんてない。

 なにかができると思うこと自体、おこがましい。

 でも、だけどもう一度だけ、誰かのためになにかができる自分になりたい。

 ずっと前に砕け散った自信を、塵みたいな自分を掻き集めて、彼女に今、伝えたい。

「疲れを癒すくらいは、できるだろうからさ。終わったらうちに、羽やすめでもしに来てくれ」

 帰る場所がないと言うのなら、それこそ。

 あの珍しくなんともないワンルームのマンションに。

「いつになってもいいから、さ」

 帰って来て欲しいと、笑いかけた。

 彼女はそんな俺に、なにも言わなかった。

 ただ嬉しそうに笑顔を見せる。

「――――」

 そしてそのまま、空間に溶け込むように、姿を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る