第47話

 彼女を支えていたものがどれほど大きいものだったのか、俺にはわからない。

 もし自分が彼女の立場だったら、果たして同じように戦えただろうか。

 こんな――普通の生活だけでも精一杯な俺に。

「……今は、どうなんだ?」

 彼女は一度見失っている。

 戦う、その理由を。

 なのにまた戦い、傷ついて帰ってくる。

 話を聞いたからこそ余計に不思議だった。

 どうしてまた、正義の味方として戦うことができたのかが。

「おかげさまで。今はもう、大丈夫です」

 一切の躊躇いもなく、彼女は笑顔で答えた。

 思わず見惚れてしまいそうになるくらいに、憧れてしまうほどの清々しい笑顔で。

「私はたぶん、幸運だったんです。なにもかもを失った日に、あなたに会えて」

「……ゴメン。全然意味がわからない」

 予想外のタイミングで自分が登場したことに心底驚く。

 この流れで彼女からそんな風に言われるなんて、普通は考えない。

 だって俺は、大したことをなにもしていないのだから。

「あなたにとっては、なんでもなかったんでしょうね。でも、私にとっては特別だったんですよ。あなたとあの部屋で、あんな風にすごせたのは」

 そう言うと彼女は、遠くを眺めるように目を細めた。

 そしてそのまま視線を巡らせ、家族連れの声がする公園を見る。

 俺も同じように、彼女の視線の先を見た。

「あなたが思い出させてくれたんです。たった一つだけ、戦う理由を」

 彼女はそう言うが、俺に思い当たる節はない。

 全てを失った彼女が、もう一度戦う決意をする。

 絶望という言葉では陳腐になるかもしれないが、彼女はそうとしか言いようがない状態だったはずだ。

 だけどまた立ち上がった。

 一体、俺がなにをできたと言うのだろう?

「今でも正直、迷ってる部分はあります。私にはもう、世界なんて大きなものを守るために戦うことは、たぶんできない。目の届かない場所まで守りたいとか、知らない誰かのために戦おうとか、そもそもそこまでして守る価値がどれだけあるのかとか、全然わからないし決められない」

 曇ってもおかしくなさそうな言葉とは裏腹に、彼女の表情はどこまでも晴れやかだ。

 迷っているようには見えなかった。

「でも、まだ残ってるみたいです。それでもやっぱり、守りたいっていう気持ちが。守れるものなら……」

 視界の端で彼女が拳を握る。

 噴き出しそうな痛みを抑え込むような、そんな仕草に見えた。

「確かめてみたかったんだと思います。そんな気持ちがまだ、自分の中にあるのか」

「……ちゃんとあったってことか」

「はい。あなたのおかげです」

「いや、だから俺は……」

 本当に意味がわからない。

 あの部屋で一緒にすごして、そんな大層なものを見つけられるとは、どうしても思えない。

 顔に出ていたのだろう。

 俺を見た彼女は小さく笑う。

「私が守りたいと思ったのは、あなたでした」

 それから更に意味のわからないことを言い出す。

 からかわれているんじゃないかと疑いたくなるくらい、予想外すぎて。

「あなたがいるあの部屋を、場所を、時間を……世界を、守りたい」

 ただ、続く言葉を聞いて、不思議なくらい胸の中に入ってきた。

 彼女の笑顔と優しい声、それに温かくなる気持ちが。

「世界のことなんて知りません。私はあなたと、そこですごせる時間を守りたいって、そう思えました。世界を守るっていうのは、おまけみたいなものです。私は私のエゴで、守りたいと思えたものを守る。その結果、ついでに世界を守れてしまうだけで」

 正義の味方失格ですね、なんて彼女はおどけてみせる。

 だが、それが本心だというのは、確かめなくても伝わって来た。

 あまりにも迷いのない笑顔すぎて、疑う余地なんてこれっぽっちもない。

「だから、あなたのおかげなんです。私がもう一度戦って、最後までやり切ろうと思えたのは」

 彼女の言葉を嬉しいと思う半面、苦しさを同時に覚えた。

 俺のおかげだと彼女は言うが、裏を返せばそれは、俺のせいということになる。

 俺とすごしたせいで彼女はまた戦いに赴き、あんな姿になっているのだ。

 そう考えてしまうのは、彼女への侮辱も同然なのかもしれない。

 でもどうしても、思わずにはいられなかった。

「俺なんて、別に……もっと君のためになるやつなんて、いくらでもいたはずだ。たまたま俺があそこにいただけで……」

「でも、あなたなんです。どう考えても怪しい正義の味方を許して、居候までさせてくれたのは」

「あんなの、利害の一致みたいなものだったし」

 命に関わる傷を癒すためには、そうするしかなかった。

 彼女がいてくれなければ、俺はこうして生きてはいなかったのだから。

「でも、言ってくれましたよね? 一緒にいる必要がなくても、帰れない事情があるならいてもいいって」

「それは……まぁ」

 確かにそう言い出したのは俺だ。

 でも、そこまで特別に思われることとは、正直思えない。

「凄く驚きました。詳しい事情も話さないような私に、ここにいてもいいなんて言ってくれるから」

「困ってるように見えたし、な。誰だって……とは言えないけど、そうする人は多いと思う」

「かもしれません。だけどあのとき私に言ってくれたのは、あなたです」

 彼女の視線に、息が詰まる。

「他にもいろいろありますけど、とにかく嬉しかったんです。なんでもないような、あなたの言葉が」

 手足が痺れるような感覚と共に、胸が苦しくなった。

「あなたが私にくれたのは、そういうものです。だから、ありがとうございます」

 どうしてだろうか。

 笑顔でありがとうと言う彼女が、儚く見えてしまうのは。

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