第38話

 あれから更に数日が経過した。

 毎日ではないが、それからも彼女はふらっと出かけ、しばらくして戻ってくるようになった。

 彼女が戻ってくるのは、ほとんどが深夜。

 でもこれはたぶん、俺が把握できている範囲の話で。

 俺が知らない時間――仕事中にも彼女はきっと、どこかに行っているのだろう。

 彼女が先に戻って来ていたら、俺には確かめるすべがない。

 会社から何度も連絡を入れて確認すればできなくもないだろうけど、さすがにそれはどうかと思う。

 もしかしたら、今までだって俺が気づかなかっただけで、彼女は戦いに行っていたのかもしれない。

 怪我をすることなく帰って来たら、それこそわからないのだから。

 彼女が戦っていると確信できるのは、怪我をしてくるようになったからだ。

 あの日から彼女は、出かけるたびに怪我をして帰ってくる。

 初めて怪我をした日と同じか、それ以上の傷を負って。

「だから大丈夫ですって。心配いりませんよ、こんなの」

 そのたびに彼女はそう言って、笑って見せた。

 最初こそ怪我の手当てもちゃんとしていたが、しばらくするとそれも適当に済ませるようになっていた。

 どうせ一日もあれば完治するから、医療品がもったいない、と。

 こっちがどれだけ構わないと言っても、彼女は首を縦には振らない。

 手当てをしたいと思うのは俺の自己満足だ。

 だから彼女がそう言うのなら、引き下がるしかない。

 そして、何度目かのときに、俺はやっと理解した。

 彼女が無頓着にセール品の服ばかり買っていた、その理由を。

 戦うたびに傷を負う彼女の服は、当然のように血まみれだった。

 おまけに破れたり焦げたりもしているので、再利用はできない。

 洗濯物は彼女が昼間のうちに済ませてくれるから、なかなか気づかなかった。

 でも一度気づいて思い返せば、すぐ腑に落ちた。

 彼女が身に着ける服のバリエーションが、少しずつ減っていることに。

 ボロボロになった服は、俺の知らないところで処分しているのだろう。

 彼女にとって服とは、日常生活を送るためのものじゃない。

 着飾って楽しむものでもない。

 戦いの中で消耗するだけのものなのだ。

「ブランドに興味がないわけだ」

 彼女くらいの年齢なら、一番興味があってもおかしくないものなのに。

 いや、ファッションだけじゃない。

 同年代が楽しむ多くのものが、彼女にとっては不要なものなのだろう。

 最低限の生活ができるものが揃っていれば、それでいい。

 スマホですら壊れたらそのままでもいいかと思えてしまうくらいに。

 もとからそういう性格だったのなら、仕方がない。

 でもそれが後天的なもの――正義の味方として不要なものを削ぎ落した結果なのだとしたら。

 仕方がないと割り切ってしまうのは、あまりにも悲しいことじゃないかと、俺は思う。

 どんな理由で戦っているのかはわからない。

 そもそも、どんな相手と戦っているのかも謎のままだ。

 彼女はそれを語ってはくれないし、知られたくないと思っているようだし。

 俺のような一般人には、知る権利なんてないということか。

「いや、知らないほうがいいのかも、だな」

 この世界に正義の味方が必要だと思う瞬間は、正直ない。

 事件や事故はあっても、おおむね平和だと思う。

 でもそれは、俺に見えている世界がそうなだけかもしれないと、最近は思う。

 そしてそれを守ってくれているのは、他でもない彼女で……。

「ただいま」

 玄関の鍵を開け、帰宅する。

 週の半ば。

 残業もなく、いつものように帰って来た。

「…………またか」

 仕事が終わったというメッセージに反応がなかったから、そうだろうとは思っていた。

 心構えはしていたし、もう何度も経験している。

 それでもただいまと口にしたのは、望みを持っていたかったからだ。

 けど、やっぱりそんなものはどこにもなくて。

 今日も彼女の姿はなく、少し前までここにいたという気配だけが残っている。

「今度はどこで、戦ってるんだろうな」

 誰にともなく呟きながら、俺は着替えを済ませる。

 そしてじき帰ってくる彼女のために、冷蔵庫の中を確認し始めた。

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