第37話

 なにかが聞こえた気がして目が覚めた。

 部屋はまだ暗闇のままで、寝ぼけ眼ではなにも見えない。

 手探りで枕もとのスマホを探り当て、時間を確かめる。

 深夜と早朝の中間くらいの時間だ。

 こんなに時間に目が覚めることは、ほとんどない。

 ましてや昨日は寝不足で、少し早めに布団に入ったくらいだ。

 もちろん、すぐに眠ることもできた。

「…………でも」

 確かになにか、聞こえた気がした。

 俺はスマホの明かりを利用して、部屋の中を照らしてみる。

 そしてすぐに気づいた。

 フローリングに敷かれたもう一つの布団に、いるはずの人物がいないことに。

「……まさか」

 意識が一瞬にして覚醒し、思考が急速に回り始める。

 ベッドから降りて、部屋の電気をつけた。

 急な明かりに目が痛くなるが、今は無視する。

 やはり、暗闇で見た錯覚などではない。

 案の定、彼女が眠っているはずの布団には誰もいない。

 ついさっきまでそこで眠っていた気配は残っている。

「着替えた、のか」

 布団の横には、彼女が眠る前に着ていた部屋着がそのままにしてある。

 いつもならちゃんと畳んだりしているのに、脱ぎっぱなしだ。

 まるで、そう。

 急いで着替え、片付ける間も惜しんで出かけたみたいに。

 思考がそこに辿り着いた瞬間、俺は玄関へと向かっていた。

 当然のように、靴もない。

 俺は裸足のまま玄関の鍵を開け、外に出た。

 眩しいくらいの蛍光灯がついているマンションの廊下に、人影はない。

 目覚めてすぐ廊下に出ていたら、もしかしたら後ろ姿が見えたかもしれないけど。

 ため息を噛み殺し、部屋の中に戻る。

 静かに玄関を閉め、鍵を掛けた。

「……この音か」

 無機質に響いたのは、玄関の鍵を掛ける音。

 俺が目覚めるきっかけになった音は、これで間違いない。

 意識なんてしなくなるくらい聞き慣れた音だ。

 そんな音で目覚めたのは、奇跡と言っていいくらいの偶然かもしれない。

 もしくは、俺にとって警鐘だったのか。

「こんな時間に……」

 ベッドではなく、ソファに座って息を吐いた。

 別に彼女の行動を全て把握しているわけじゃない。

 深夜に目覚めて、コンビニに行きたくなっただけかもしれない。

 俺だって覚えがある。

「…………スマホ、置いてったのか」

 一応連絡してみようと思ったが、彼女のスマホは布団の近くに置きっぱなしだった。

 スマホを持って行かなかったのなら、本当にちょっとコンビニとかに出かけたのだろうと、普通なら考える。

 でも彼女は普通じゃない。

 俺は立ち上がり、カーテンを開ける。

 よく晴れた深夜の空に、月が見えた。

「……どこかで、戦ってるのか」

 言語化できない不安に、胸が軋む。

 わかっていたことじゃないか。

 昨日……いや、一昨日か。

 彼女はどこかで戦い、傷ついて帰って来た。

 その姿をちゃんとこの目で見たのに。

「まさか、こんなに早くまたそうなるなんてな……それも、こんな夜中に」

 一昨日の戦いまでは、最低でも一週間以上なにもなかった。

 でも今この瞬間に戦っているのだとしたら、ゆっくり休む暇もない。

 一昨日の傷は治っているらしいから、まだマシなのかもしれないけど。

 だが、戦いに行ったということは、また新しい傷を負ってくるかもしれないわけで。

「正義の味方に、時間もタイミングも関係ない、か……」

 一般的な仕事とはなにもかもが違いすぎる。

 就業時間も決まっていなければ、休日も決まっていない。

 一週間戦わない日が続きもすれば、連日戦う日が続くこともある。

 そんなのは、ちょっと考えればわかることだ。

 子供の頃に見ていた特撮やアニメじゃないんだから。

 でもどこかで、なにかルールがあるのかと思っていた。

「都合なんて、考えるわけないんだよな」

 いつどこで戦うのかは、敵の気分次第とでも言えばいいのか。

 こんな深夜でも、彼女は赴く。

 なにかを察知して、倒すべき敵のもとへ。

「当たり前の話……あぁ、だよな」

 抱えきれない不安に、笑いが込み上げてきた。

 窓に手をついたまま項垂れ、自嘲する。

 眠る前は、あんなにもいい気分だったというのに。

 たった数時間で、またこんな気持ちを抱えることになるなんて、な。

 こっそり出て行ったのは、俺に対する気遣いだろう。それはわかる。

 まさか、鍵の音で俺が目覚めるとは思っていなかっただろうし。

 目覚めてしまった俺が、たぶん悪い。

「寝てなきゃ、だよな……やっぱ」

 彼女がどんな姿で帰ってくるかはわからないが、俺が起きていたら気を遣わせてしまう。

 怪我をしていたら彼女も誤魔化しようがないだろうけど。

 とりあえず、電気を消してベッドに戻る。

 義務のように目を閉じてみるが、当然眠れるわけがない。

 寝返りを打ち、暗闇の先にある抜け殻みたいな布団を見つめていた。

 いつの間にか眠れていれば、それでいいと思いながら。

 まぁ、そう都合よくは行かなかったわけで。

 彼女が忍びながら帰って来たのは、夜が明けるほんの少し前だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る