第16話

「随分と久しぶりに感じるなぁ」

 肩までお湯に浸かりながら、心地よい脱力感に身を委ねて天井を見る。

 朝はシャワーだけで済ませたが、お湯を張って正解だった。

 普段から面倒でシャワーだけで済ませていたが、こうしてみるといいものだと実感する。

 週末くらい、面倒がらずにお湯を張るのもいいかもしれない。

「にしても、不思議なもんだな、本当に」

 朝も確認はしていたが、傷痕はもうほぼ見えないと言っていいくらいだ。

 目を凝らせば薄っすらと痣のようなものが見えなくはないが、痛みもないおかげで錯覚かと思える。

 今日一日、身体に違和感を覚えることは特になかった。

 昨日、一昨日とあれだけのものを感じていたというのに。

「全部夢だったりは、しないよな」

 ついそう思ってしまうくらいに、身体は元に戻っていた。

 一度死んでから蘇生してもらったなんて、まるで嘘みたいだ。

「ま、死んだ自覚なんて、さっぱりだけど」

 あくまで彼女がそう言っただけで。

 俺としては気を失ったことすら気づかないレベルで、目が覚めたら怪我をしていたくらいの認識だ。

 だからだと思う。

 彼女に謝られても、今一つしっくり来ないのは。

 当事者だという認識が、どうしても薄くて。

「……このあと、どうするつもりだろ」

 夕飯のときは気づかず話を合わせていたが、考えてみればもう看病をしてもらう必要がない。

 彼女はそれを当然の償いとして、だからこそ俺と一緒に暮らしている。

 けど、看病の必要がないということは、彼女が俺といる理由もないということだ。

「なんか、まだ料理をするっぽいこと言ってたけど……」

 あれはつまり、ここにまだ残るということなのだろうか?

 それとも彼女自身、そのことに気づかず、ついノリで言ってしまっただけかもしれない。

 なんとなく、そういう線はありそうな気がする。

 意外というべきか、彼女は少し抜けたところがあるようだし。

「まだ負い目があるかもしれないけど、でもな……」

 彼女が納得できたかはともかく、俺としてはもう世話になる理由がない。

 一時的な同居人、居候。

 しかも相手の素性ははっきりしていない。

 そんな彼女を受け入れる理由は、明日になればもうなくなる。

 彼女だってそのことは理解しているはずだ。

「俺が一人じゃどうにもならないから、あの子はいてくれたんだよな」

 満足に動くともできないから、力を貸してくれた。

 対処のしようがない痛みを、その特別な力で和らげてくれた。

 でももう、彼女になにかをしてもらう必要はない。

 それでも居候を続けるというのなら、そのときは……。

「今日中に話しておかないと、だよな」

 問題を保留にしたまま明日を迎えるのは、きっと良くない。

 なんとなくで同居を続けるのは、お互いのためにならないと思う。

 咲奈との関係だって、もっと早く答えを出しておけば良かったと、何度も後悔した。

 傷を増やすだけの惰性は、もうゴメンだ。

「とは言え、どう切り出したものか……」

 いや、問題ははっきりしているのだから、切り出し方なんて一つしかないのだが。

 ついそんな風に考えてしまうのは、俺の中で答えが決まっていないからだろう。

「どう、したいんだろうな」

 俺は、彼女と。

 もう平気だからと、明日には出て行ってもらうのか?

 まぁ、それが一番正しいのかもしれない。

 俺とあの子は偶然出会い、必要だから数日を共に過ごしただけで、もともとは他人なのだから。

 正義の味方を名乗る、少し不思議な女の子。

「って、あっちがそれじゃあさようならって可能性もあるか」

 料理の話は、本当に気づいていなかっただけかもしれなくて。

 彼女がここに残りたいと思っているかどうかが、そもそも謎だ。

「……ま、それも含めて俺がどうかってことだよな、まずは」

 俺の気持ちというか、気構えというか。

 彼女に対する感情の軸を一つ、胸に置いておくべきだ。

 頭に浮かぶのは、三日間の出来事。

 印象に残っているのは、彼女の表情。

 気にするなというのは、無理があった。

 疲れたような表情と、ときどき見せる楽しそうな笑み。

 あの子とすごして、俺はどうだったのか。

「迷惑とは、感じてないんだよな」

 それだけは間違いない。

 彼女とすごした時間は、不思議と心地よくも感じた。

 もちろん、困る部分がなかったわけじゃないけど。

 プラスかマイナスかで言えば、答えは明白で。

「だからなし崩し的にってのは、な」

 お湯で濡れた手をかざし、目を閉じる。

 話せる時間は少ない。

 だからせめて風呂から上がるまでに、自分の気持ちくらいははっきりさせないと。

 俺はその答えを探すように、瞼の裏の暗闇を見つめた。

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